第ニ部 ガス橋周辺 

  その2 堤のサクラの春と秋

写真を撮っていると「人の目はよく出来ているナー」と感心することがしばしばあるが、桜はその代例である。満開のサクラは文句無い美しさだが、直接目で見た感じをそのまま写真にするのはとても難しい。
人は何気なく青空、桜の花、幹など明るさの違うものをアレコレ見るが、人の視覚機能は見る対象ごとに、明るさのレベルを調節し感度を最適化している。一般に風景写真は青空でないと絵になりにくいが、サクラの場合は一般論を超えて、青空の存在が必須条件になる。サクラを写真に撮る難しさは、色が白に近い淡い彩色でしかも輝度が高いことにある。桜の花の色を出すためには、花びらの照返しより明るい彩色物を露光基準に採る必要がある。(人の目とは違って、一枚の写真では露光基準は1通りに限られるので、青空が白トビしないような基準を採用すれば、幹の部分が黒潰れしてしまうのは止むを得ない。)
ガス橋のサクラ並木は西南西に向いていて、ほぼ真北に向いた殿町(右岸大師橋下手)のサクラほど条件は悪くないハズだが、(多分周囲が明る過ぎるせいで難しく)過去2年はあまりにひどい出来だった。桜に3度目の挑戦となった2004年の春は、これまで最も不作だったガス橋のサクラを最重点に据えて取り組んだ。

以下の写真で開花時の13枚は全て2004年の撮影、今回の更新でギャラリーに残した散り後(新芽時)の2枚 {No.224} {No.225} と、紅葉の4枚はホームページ開設時からの掲載で、いずれも2002年の撮影である。
右の2枚、[No.223a] と [No.228] は偶々同じ場所で撮っていたので、季節感を出すため先頭に持ってきた。(ここがガス橋側で工事中のスーパー堤防と、丸子側になる旧堤防の境の位置にあたる。)
2004年の開花時の写真は [No.230] と [No.222b] はやや曇天の別の日の撮影だが、それ以外の11枚は全て同じ日に撮った。 [No.221b] 以下は、概ね川上側から川下側(ガス橋方向)への順で並べてある。晴天でも地平近くの空は青くないので、大体見上げるようなアングルで上空の青を撮り込んでいる。ただ側帯に下りている [No.22C] と [No.22D] では、桜トンネルの中に入っているため周囲が暗く、露光基準が下がって白トビに近い条件になり、桜は陰になって色もよく出ないがこれは止むをえない。

[No.22E] と [No.22F] はほぼ同じ辺りで川上川下の両方向を見ている。この位置では川下側にマンションが見えてきている。[No.22G] 以下は未だ工事中のスーパー堤防に移植されたもの。[No.22H] と [No.22J] の2枚はマンションの工事現場先を過ぎ、キヤノンの敷地先に入っている。ここは堤防工事の始まったのが遅く、桜の移植もマンション地先分より1年後だと思う。([No.22J] は陽が傾いた頃で、ガス橋を写し込んだ構図が自慢。)

桜の紅葉は花に似て寿命は極めて短い。先頭に持ってきた [No.228] と下の方に残してある [No.226a] [No.227] は2002年11月中旬の撮影で紅葉真盛りの頃、最後の [No.229] は同じ年の11月下旬だが、紅葉は既に大半が散ってしまっている。
ソメイヨシノは紅く紅葉し結構見応えがあると思うが、花があまりにも有名なせいか紅葉を見に来る人はずっと少ない。(この地は特に堤防上の通行が締切られたり、ダンプが行き交い砂埃が巻き上がるなど環境は非常に悪く人影は疎らだ。)


日本の象徴ともなっているソメイヨシノだが、日本に古来から自生していた野生種ではなく、江戸末期に生まれ明治になって急速に普及した交配種といわれ、高々200〜300年程度の歴史しかない新種の桜である。
 (ソメイヨシノと染井村 [参考21]

関東地方に分布する桜の野生種としては、ヤマザクラ(山桜)、エドヒガン(江戸彼岸)、オオシマザクラ(大島桜)などが知られている。いずれもバラ科サクラ属サクラ亜属に属する。
ヤマザクラは東北地方南部以南に分布する日本の桜の代表的な野生種で、花は中輪、白〜淡紅色。若芽は紅紫色から緑色まで様々あるが、開花時に同時に展葉している特徴がある。大和の吉野山などが有名な江戸時代以前の花見は大抵ヤマザクラで行われた。

エドヒガンも東北から九州まで広く分布する桜で、寿命が長く(岐阜県根尾谷の淡墨桜(ウスズミザクラ)は樹齢1500余年といわれている)、花は小さく濃い紅紫色から純白色まで範囲が広い。葉に先駆けて花を咲かせ、大木の樹皮は縦裂が目立つようになる特徴がある。エドヒガン系の園芸種で枝が垂れ下がるものはシダレザクラ(枝垂桜)とよばれる。

オオシマザクラ(大島桜)は伊豆諸島が原産地で、ヤマザクラから種分化したものらしいと考えられている。伊豆半島から三浦半島、房総半島にかけて自生するが、これらは燃料(薪炭)用として持ち込まれ、人為的に栽培されていたものが野生化したと考えられている。花弁は大き目で形は様々の変異が見られる。花は白色のものが多い。開花時には淡緑色の若葉を出している。(葉が大きく香りが良いため桜餅の葉として使われる。)

ガス橋上手の左岸堤防は、川裏側の法面(のりめん:傾斜面のこと)が2段になっている。花見の人々が陣取っているのは中段で、桜の木自身は下段に植えられている。もちろん花見の便宜上で中段を造ったわけではなく、堤防が造られた当初から強度上に配慮してこのように造られたのである。
多摩川下流で堤防が初めて本格的に整備されたのは、国の直轄事業として大正7年に着手され、昭和8年に完成した大改修工事による。六郷川の堤防は、一部旧堤を補強したところもあるが、大半はこの改修工事の際新しく造られたものらしい。
 (直轄改修工事概要 [参考11]
工事完了後内務省東京土木出張所が発行した『多摩川改修工事概要』(1935年)の中に、「堤防は天端の高計画高水位上1.5米、馬踏5.5米、両法2割法にして、川裏に天端より1.8米下に幅員3.6米の小段を付せり」という記述がある。(天端は「てんぱ」とよむ,計画高水位:想定される最高水量時の洪水面高さ,馬踏:堤防上面の幅,川裏:堤防の内側をいう)

改修工事は浚渫(しゅんせつ)、築堤、護岸などが同時並行して行われた。堤防の形があらかた見えてきた昭和4年4月、下流域沿川の市町村有志により、「大多摩川愛桜会」が結成され、両岸の堤10里25町(約42km)に1万本のサクラを植えようという計画が立てられた。実際の植樹は翌年から始められ、この多摩川堤の植桜を記念して、田園調布の浅間神社境内に愛桜碑が建立されたそうである。
この時期に植えられた堤の桜は多くが空襲によって焼失し、残ったものも戦後の困窮時に薪材として伐採されたという。その後桜並木の復活をめざした植樹が行われ、六郷橋下手の桜については昭和30年に苗木が植えられたのを覚えている。しかし今見るかぎりでは、ここの桜は六郷橋下手のものより遥かに年輪を感じるが...。

日本の桜の8割はソメイヨシノとされ、とくに都市の公園や学校などで見られる桜は殆どがソメイヨシノとみて間違いない。一般にソメイヨシノの寿命が60年程度と言われるのは、遺伝子上の寿命のことではなく、木が枯れるまでの実績の平均値を示したものである。
バラ科に属する植物は自家不和合性の種類が多く、遺伝子を同じくする花同士では結実しない。江戸時代末期頃に生まれた栽培種とされるソメイヨシノは、専ら接木によって苗木が作られるクローン増殖法が採られてきた。そのため、世代交代を繰返し自然淘汰の洗礼を受けて生き残ってきた自然種の逞しさ(環境耐性)を備えていない。都会ではあちこちに植えられているが、テングス病など病害虫に弱く、よほど手入れが行き届かないと50〜60年程度で枯れてしまうということだ。

2004年4月にNHKの「クローズアップ現代」が、近年各地で枯れ始めたソメイヨシノとその再生技術を特集していた。全国の桜の名所100ヵ所に対して「(財)日本サクラの会」が行ったアンケートによれば、樹齢40〜80年のものが66%を占め(80年以上23%)、全体の75%に枯れが目立つとのことである。木が弱ると花が密集せず疎(まば)らにしか咲かなくなってくる。(広島県尾道の千光寺公園には1600本のソメイヨシノがあるが、市の調査ではそのうちの83%が不調で、既に300本余りの撤去を決めたとされる。)
一方青森県の弘前公園には樹齢100年を超える古木が300本以上あるが、よく手入れされていずれも元気だという。専任の桜守がおり、秋に周囲の土を掘り返し、根の病気になった部分を削り取り、土壌改良(堆肥などを混ぜる)を行う。

弘前公園方式の最も特徴的なところは、2月の大寒の時期に太い幹を切る剪定にある。昔から「桜切るバカ、梅切らぬバカ」と言われ、桜は傷口を塞ぐ能力に乏しい為、剪定してはならないというのが常識とされていた。しかし青森では同じバラ科のリンゴを栽培していた経験を生かし、50年も前からソメイヨシノを剪定していたそうである。古い枝や混みあった枝は、害虫がつき易いため切り落とし切口を殺菌消毒する。剪定により水や養分がよく行渡るようになり、成長が早いというソメイヨシノの特徴が生かされ、若い枝が伸びて新しい花を付けるようになるとのことである。
ここガス橋上手の桜並木は多分樹齢50年くらい。スーパー堤防工事のため50本程度が植替えられた。防虫を施しワイヤーで支えるなどの配慮は見て取れるが、根の処理や土壌対策などのことは知らない。今年で植替え後3シーズン目を迎えたマンション側のものは、昨年までよりはよく花を咲かせていた。

挿し木や株分けなど、園芸の分野ではクローンによる個体の生成は昔から行われてきた。だがクローン産生がそれほど自然な植物界でも、それが有性生殖に取って代わって本質的な繁殖手段になる気配は微塵もない。(近年盛んな動物の体細胞クローンは、樹木に於ける挿し木に相当するものなどと言われたりするが、動物の細胞には植物のような全能性が備わっておらず、動物の体細胞クローンは自然には起こりえない人為的な操作である。)
有性生殖は世代交代によって遺伝子の更新を図る貴重な機会であるが、染色体の組合せを偶然に任せることで、個の多様性が不断に維持され、このことが環境の激変期に遭遇しても、種のあるものが耐えて生き延びる可能性を担保している。
顕世累代は今から5億6千万年前に遡るが、この間5度の大規模な生命の絶滅期があったとされる。だがどの危機に際しても、DNAを擁した生物の全体が絶滅してしまうことはなかった。有性生殖の仕組みが進化を導き生物の多様性を実現していたからである。(遺伝子を卵細胞を使って複製しているだけの体細胞クローンは、見掛上新しい個体が発生しているように見えても、実際には世代交代は行われていない。)

ヒト体細胞クローンの目的は、拒絶反応を起こさないような移植臓器の生産手段、或いは不妊治療そのものなどである。大義名分は何であれ、思い通りの遺伝子を持った個体を産生したいという目先の欲を追求すれば、生物種としての環境適応能力そのものを失っていくことは間違いない。
人のすることは倫理上どこまでが許されて、どこからが神の摂理に反するのかという線引きは、その時代に固有の価値観や宗教意識に左右される。倫理基準をもって科学技術の特定の成果を封印しきれると考えるのは、楽観過ぎるというよりむしろ無力感の表明に近いのではないか。
バイオテクノロジーは品種改良の延長線上の技術だし、品種改良はそもそも原始時代の人類が栽培種や家畜を作ったところから始まっている。科学技術そのものにイチャモンを付けると、ヒトは己の存在自体を全否定することになりかねない。
どうしても特定の技術を封印したければ、それが人類にとっていかに有害であるかということを立証するしか方法はないのではないだろうか。
 (クローンについてもうすこし詳しくは  [参考22]



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