第一部 丸子橋周辺 

(丸子橋周辺の地図を表示)

  その3 多摩川台公園 (その2) 2003,2004,2005,2006年のサクラ

2003年の東京の桜の開花宣言は3月27日だった。2004年は前々年の2002年に似て、開花宣言は平年より2週間ほど早い3/18だった。ところが開花日直後から低温続きとなり、開花の進展は止まってしまった。異常低温は1週間ほど続いた後緩和され、都心の方では3月下旬には本格的な開花が進んだが、六郷川の周辺では開花の再開は都心よりかなり遅れ、満開になったのは4月初めで奇しくも2003年とほぼ同じ時期になった。

このページは2003年〜2005年の撮影の合併になっている。2004年春サクラの撮影は、前年に不作だったガス橋上手左岸の堤の桜を最重点においた。順位を下げざるを得なくなった丸子地区では、それまで殆ど撮っていなかった公園外の川表の桜を精力的に撮った。(「その1」に掲載) 公園内の桜は2003年に結構撮れていたので後回しとなり、大半は最盛期を過ぎた後の散り時の写真になった。
2005年の開花は4月初旬、開花が遅れた分散るのも早く、最盛期は短かった。前年に撮りきれなかった丸子地区の川表の桜を撮りたかったので、貴重な1日を丸子に向けた。その関係で公園の桜も一部を更新することになった。
2003,05年はほぼ満開の時期に撮ったが、2004年は満開を過ぎた後に撮っている。配列は北から南へ位置の順に並べてある。

[No.131a] は公園の北端、2003年の紅葉でヤマモミジを撮影している近くになる。(宝莱山古墳方面への坂道を上ったところで、この先で多摩川台を下りると宝来公園の方角になる。) 桜のある裾には  「ヒトリシズカ(一人静)」   など細かいものも色々植えられているようだが、ターゲットはあくまでサクラなのであまり余所見はしていられない。

公園の中央ゲートの方から来ると、虹橋を渡った先の宝莱山側にあるのが自由広場。公園の正面入口脇にある運動広場(ここより南側)ほどではないが、ここも花見時にはサクラが並ぶ側は一面花見客で一杯になる。
2003年に紅葉を撮影したとき、この自由広場が絵になりやすいスポットであることを発見した。通常景色が「窓」になる構図(明るい遠景の周りに暗い近景があって、中央と周囲で明るさが極端に異なるケース)は、露光設定の上で写真が最も苦手とする条件だが、この自由広場の場合入口から撮ると北を向くことになるため、「窓枠」が完全な蔭にならず遠景の白化も抑えられ、綺麗な写真が撮れるのである。
2003年秋に [No.145a] などをここで撮った時、春にも是非狙いたいポイントの一つと考えていた。翌2004年の春、この日サクラは既にかなり散っていたが、公園中央の運動広場の方は未だ一面のブルーシートだった・・・。半ば諦めてここに来てみたところ、嬉しいことにこちらの広場では片付けはすっかり済んで邪魔物は何一つ無かった。
遅くきたことが幸いし、念願かなって撮ることが出来たのが広場入口側から撮ったこの [No.134a][No.135a] と、目標の木を撮った下の2枚 [No.132b][No.133b] である。

右の2枚 [No.132b][No.133b] は自由広場にある同じ木で、広場の南側入口から見て右側に連なるサクラ並木の奥側(宝莱山側)にあり、上に載せた全景図ではヤマザクラの陰になって殆ど見えていない。この広場のサクラは主として、南入口側はヤマザクラ、奥の方がソメイヨシノになっている。
秋の紅葉の写真 [No.146a] に写っている太い幹はこの木で、大木であり格好も優れている。(何枚かの写真に地面から枝を支える心張り棒が写っている。遠景写真では重なって紛らわしくみえるが、棒を支っているのは一つ手前のソメイヨシノでこの木ではない。)
見ての通り既にサクラの花びらが地面一面に散っている。だがこの木はまだ十分花を蓄えていて、坊主になった枝がアチコチに突き出すというような状態にはなっていない。この日は天気もよくまさに望外の撮影環境に恵まれた。
2005年の春、最盛期のこの桜が予想通りさらに見事な姿であることを確認できたが、一面の花見客とブルーシートで、到底風情ある桜の写真にはならない。
この公園は、右側にヤマザクラを含む一連の桜があるほか、上に載せた自由広場の全景写真に見えるように、正面左奥(滑り台の後ろ)にも花の盛んなソメイヨシノがある。上の3枚目に載せた [No.13Hb] は2005年に撮ったものである。

多摩川台公園は最大高さ40メートル近い丘の上にあり、幅約100メートル、北西から南東に約700メートルの細長い矩形状をしている。
東急線の側から公園正面のスロープを上ると、メインゲートの右手に運動広場と呼ばれる広場がある。古墳展示室や管理事務所があるこの広場は、奥の方3方を桜で囲まれ、ここの桜は公園の中で一番見応えがある。
[No.136a] は広場の西側背後にある古墳群の山野道から広場を見下ろす位置で撮っている。平和都市宣言記念像のあるさらに奥で、幾重にも重なる桜の枝ぶりには風情があり、この辺りから見る桜の景観は見事だ。ただ残念ながら、この広場は花見時には団体客の宴会場となり、広場自身は鑑賞に耐えるような写真にはならない。さらに物置小屋の横に仮設トイレが並べて設置されるなど、奥の方を向いても目障りな障害物が多く入り、写真の構図設定はかなり窮屈なことにならざるを得ない。
この山野道から運動広場奥の桜を見るポイントは、(写真は制約が多く残念ながらとても難しいが)、私の印象ではこの公園の桜風景として随一の見栄えと思う。ここで絵を画いている人を見掛けたことがあるが同じ評価なのだろう。[No.137b] は2004年、同じ場所から見ているがもう花は少ない。[No.138b] は下に下りた運動広場の北の端。

メインゲートのスロープを挟んで運動広場の反対側(南側)一帯が亀甲山古墳になっている。亀甲山古墳の西側(川側)前面は大通りになっていて、ここは古墳側裾野の斜面の桜と、川側斜面の桜が上空でほぼ重なり、桜トンネルのような景観を呈している。
(桜トンネルについては、2002年に撮影したものがトンネルの雰囲気がよく出ていたが、2002年ものは画質が悪いので、見出しの小画像にだけ2002年の写真を残した。)

亀甲山古墳前大通りの多摩川面には、見晴し台と呼ばれる展望位置があり、多摩川の上流方向(二子方面)を眺望することが出来る。(見晴し台からの景色は「その2」の方に特集したので、桜もそちらに載せてある。)
[No.139b] は見晴し台のある東屋から少し下手の位置で、中央通りに掛る川側の桜を見上げている。(2005年撮影のものに更新したが、これまで載せていた [No.139a] も2003年の花が最盛期の時期で殆ど同じ写真だった。)
[No.140b] は大体同じ位置から撮っているが、こちらは亀甲山古墳傾斜面の方の桜を見上げている。[No.13Aa] は [No.140b] とほゞ同じ向き。これは2004年の撮影で、花が薄い分幾らか緑が濃くなっていて、この時期ならではのコントラストといえる。

多摩川台公園のある細長い丘は、中央部から南東側では多摩川左岸に接している。但し丘の斜面は直接川縁に至るのではなく、途中に自動車道路が通されている。江戸時代初期に六郷用水(現丸子川)がこの山腹を切り欠いて掘られ、現在ではその堀の高さに沿って多摩堤通りが通され自動車が往来している。
上流側からの左岸の堤防は、天端面がそのまま路面に繋がるような形で、山腹に切り欠かれたこの多摩堤通りに合体していく。通常堤防に樹木が植えられることは無いが、ここは川裏が山になった決壊とは無縁の所なので、川表の法面に桜が一列植えられている。
中央通りの東側は、亀甲山古墳の南に水生植物園、四季の野草園、紫陽花園が順に作られている。これらはいずれも中央通りを南に下ると左側に上る位置にあるが、それらとは反対に通りから右手の川側斜面にも山野道があり、これを下りていくと多摩川が近くに見えるような場所がある。
[No.13Ba] はその川側の山野道から撮った。ここでは公園内の桜と外の桜が重なって見えている。(この辺から川上側に並ぶ川表の桜については「その1」の方にまとめて載せている。) [No.13J] は、道路フェンスの向こう側にある川表の桜をズームインしたものだが、公園内から撮ったということでこちらに載せた。

亀甲山古墳の南側に造られている、水生植物園、四季の野草園、紫陽花園は、古墳の高さから段々に下る棚状構造に作られている。
上段の水生植物園は調布浄水場時代に沈澱池だった場所で、当時亀甲山古墳に掛かっていることを知らずに工事してしまった所である。中段との境は赤レンガ造りの垣になっていて正面階段下に綺麗なクスノキが植えられている。

[No.13Ca] は水生植物園の回廊から中を見下ろしている。(左手側が亀甲山古墳になる。) 真上はヤマザクラで、反対側(東急線側)にソメイヨシノが見えている。
ソメイヨシノは葉に先立って花をつけるが、ヤマザクラは花と同時に展葉していて、花もソメイヨシノのように赤味が無いので趣がかなり違う。双方は同じ時期に開花し、この公園では両方の花を並べて見られる場所が数ヶ所ある。幹や葉はかなり似ているので花の無い季節では識別が難しいが、紅葉時には又双方の違いがはっきりする。ソメイヨシノの紅葉は葉が半ば枯れ落ちていくような短命なものだが、ヤマザクラの場合はしっかりした紅葉らしい紅葉でその期間もソメイヨシノよりは遥かに長い。
(この真上のヤマザクラの紅葉は [No.14Da] に載せている。 )

中段になる四季の野草園は周囲を石垣で囲まれ、この周辺では他の植物に織り込まれた景色の桜を見ることが出来る。以下の4枚はいずれも公園の東南にあたる野草園の周囲の桜を撮影したものである。
野草園西南の角には東屋があり、川に面した生垣はボケ(木瓜)になっている。ボケはバラ科の低木で、独特の雰囲気があり庭木として好まれる。[No.13Db] はボケのある場所で、生垣越しに下を通る山野道を撮ったもの。ここから松は何本か視野に入るが、背丈の高いものが多く、枝が桜の上空に張っていて構図が採り難い。奥に見えているのはヤマザクラ、下の方緑の若々しい新芽はアジサイである。
(「その5:鉄道橋梁群」のページの先頭に、東急東横線を撮った写真 [No.151b] を載せているが、この同じ位置(東屋の角)から南を向いて撮ったものである。)

以下終りまでの3枚は、四季の野草園から紫陽花(あじさい)園に面した階段を下り下段で撮っている。紫陽花園自身にはめぼしい桜風景は無い。 (紫陽花園のアジサイは「その2」で紹介している。)

[No.13Ec] は階段の下の東屋から四季の野草園を見上げている。この階段は左下がこのソメイヨシノで左上にはモミジがあり、右下は大きなクヌギになっている。この階段は北向きになるため、空を見上げると青さが際立ち、紅葉の時期にもクヌギを撮っている。 [No.14Ha] (赤く紅葉しているのはこの桜ではなく、階段の上方にあるモミジである。)

[No.13Fa] は同じ階段下で、川の方向を向いている。右手の石垣の切れ目が階段のあるところで、石垣上の植込みはトサミズキである。
(トサミズキ属はミズキの名が付くが、実際には水辺を好み樹液の多いミズキ科ではなく、山地に多いマンサク科の落葉低木で、野生種は高知県の蛇紋岩地帯にのみ自生していた。春に新芽に先駆けて黄色い釣鐘形の小花が穂を作って垂れ下がる。近年では公園などに植えられているのをよく見かけるので、桜の咲く時期に黄色い花をつけ、細い幹が複雑に入り乱れたような低木を見かけたらトサミズキである可能性がある。)
[No.13Fa] で正面左手の濃い緑はアジサイ。手すりのある階段は公園の出入口の一つで、ここで山腹を下ると多摩堤通りに出る。東急線とは反対側(川側)になる。

この階段は紫陽花園全体を見下ろす位置にあり、東急多摩川駅から最短コースで公園に入る上り道を来ると、この階段の下に出てくるような位置関係にある。
(紫陽花園下の多摩川駅の側は駐輪禁止で、自転車置き場は川側の多摩堤通りに面した上り口の方にある。)
右の [No.13Gb] は東急側のはずれになる石垣の上部方向を撮った。(2003年から3年続けてこの場所の桜を撮ってきたが、2005年の更新の際、容量調整のため2003.4年のものは削除した。)
[No.13Gb] はサクラが最も綺麗な最盛期の様子である。手前の緑の新芽はアジサイで、その後ろは東急方面に下る道になっている。(小画像は2004年の撮影分を残した。こちらは時期が遅いだけ、サクラの花が薄く逆に紫陽花の新緑は濃くなっている。)
この位置の桜は花が綺麗なので、秋の紅葉時にも比較のため撮っている。 [No.14Ga]
この石垣の位置は紫陽花園としてみれば最奥になり、「その4:紅葉」のページの最後で撮っている巨大なクヌギの真下にあたる。([No.14L]
(この階段下から東急側に下りる道の下にあるアジサイは [No.12Ma] で撮っている。ピンク系のアジサイで結構見事である。)



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