第一部 丸子橋周辺 

(丸子橋周辺の地図を表示)

  その4  多摩川台公園 (その3) 2003,2004年の紅葉

2002年はモミジの紅葉が綺麗だったが、画質が悪いため全て削除になった。2003年の紅葉の時期は2002年より2週間程度遅れた。11月下旬にはサクラが未だ残り、その他のものは紅葉していないものが多かった。11月下旬にはサクラだけを撮り、その他のものは12月初旬に撮った。2004年は桜が紅葉する頃に一度来ているが、その後には来れなかった。以下は2003年の撮影を中心に、撮影場所が西側(上流側)になるものから順に並べてある。

公園の北西端から「宝莱山古墳」方向に上る山野道は、公園の中でヤマモミジが一番綺麗なところ。
ただし2003年は(特に赤いものについて)紅葉が遅れただけでなく、十分に紅葉しきらなかったものも多く、当地のモミジも緑のままだったり、着色してもレンガ色に留まるものが目立った。冷夏のせいではなく、晩秋に高温日が続いたせいではないかと思う。

[No.141] は少し上ったところ、[No.143] はそのもう少し先で、山野道が回り川の方を向く位置で、斜面に生えるモミジを見上げている。チョッと見るとタテヨコが反対のように見える奇妙な構図だが、実際にはこの向きで正しい。綺麗に赤く色付いているものを探すのが大変なくらいだったので、色を追って撮っていたらこんな分けの分からない構図になっていた。時刻は11時頃で、背後に左(下流)側から日が昇ってきている。青空のグラディエーションは偶然で、こういう写真はなかなか狙って撮れるものではない。

ヤマモミジを撮っている宝莱山古墳の拡張部がこの公園の北の終点で、その仕切りから南側に出たところを「自由広場」と呼ぶ。
広場の川側は遊園地風の作り物やベンチが置かれ、中間あたりの端には大きなクヌギが1本植えられている。川に面した斜面は雑木林になっているが、この辺りでは川への接近度が弱いこともあり川は殆ど見えない。
広場は結構の広さがあり、川と反対側の一帯にはサクラが植えられている。下の小画像は南側の広場入口からサクラを見たところだが、低い枝が格好良く中央に張り出し、花見時にはここも一面花見客で埋まる。
入口側はヤマザクラで中央部はソメイヨシノになっているが、一番奥(宝莱山側)の角に1本だけヤマザクラに似た木がある。入口側にあるヤマザクラは大きく枝ぶりは良いが、花も紅葉も何となく冴えない印象がある。奥のこの一本はヤマザクラなら綺麗な紅葉だ。(ヨメイヨシノでないことは確かだが、花時の印象が記憶に無いので、本当にヤマザクラかどうか疑わしい。)

[No.145a] は2003年、広場のほゞ中央辺りでサクラ並木を撮影したもの。
次の [No.146a] は翌2004年の秋、やゝ進んだ位置で少し外向きで撮っているが、この写真には2本のソメイヨシノが写っている。本来ターゲットにしていたのは奥の方の木で、この年の春に [No.132a] [No.133a] として撮っている木である。この写真は同じ桜の紅葉姿を意識して撮った積もりだったが位置をチョッと間違った。この木は巨大な盆栽のような捩れた太い幹に特徴があり、普通のサクラ並木ではなかなかお目にかかれないような格好をしている。この公園にあるソメイヨシノの中では群を抜いている。
ソメイヨシノの紅葉はイチョウやモミジより半月は早く、しかも紅葉したものから次々に散ってしまうので、綺麗に撮れる期間は短く撮影のタイミングは難しい。モミジの頃合を計って撮影に出かけると、サクラはもう影も形も無いのが普通だが、2003年は紅葉がかなり後れたことで、たまたま終盤のサクラを撮ることになった。
2004年は川表の桜をメインターゲットとして、桜の時期を狙ってきて [No.11L] などを撮ったが、逆にその後イチョウやモミジの時期には来れなかったので、紅葉は桜だけの年になってしまった。

正面入口脇にある「運動広場」と北側にある「自由広場」のほゞ中間に、丘陵を切通して住宅地から川側に抜ける道路が通されている。公園の散策路がこの切通しを跨ぐ橋が「虹橋」と名付けられている。([No.147a] は南側から撮っている。正面中央の階段を上がっていくと、しばらくして自由広場に出る方向になる。)
「虹橋」下の道路は「多摩堤通り」に出るが、そこは同時に堤防上でもあり、そこから高水敷に下りる階段が1ページの劈頭に載せている [No.115b] という位置関係になる。

[No.147a] は桜の紅葉時期の撮影だが、この写真からは秋の気配は殆ど感じられない。常緑樹が多いということだろうが、この周囲にサクラが無いわけではない。因みに以下に春の参考写真を2例載せておく。参考1は見出しの小画像と同じように橋を下から見上げた構図、参考2は [No.147a] と同じ方向から見たものである。

  「参考1」    「参考2」 

多摩川台公園は南北に細長い丘陵地をそっくり公園にしている。中央脈は手付かずの古墳群になっていて、その両サイドに散策路や広場が造られている。
自由広場の南側にも(虹橋までの間に)大きなモミジが何本かある。2002年にはその辺りでも何枚か撮ったが、いつも薄暗く日が差す最適な時間帯が掴めなかった。2003年はその辺りのモミジは全くダメだった。

北側から「虹橋」を渡ると中央脈に古墳が連なる古墳群地帯に入ってくる。虹橋を渡った道を直進すると川側の道を行くことになるが、直ぐの三叉路を左折し古墳群の反対側にいく。中央脈の坂を登りきった左手奥にコナラがある。
[No.148a] と [No.149a] は同じコナラ。この木は11月下旬の色付いていたので、マークしていた1本である。まず黄色くなりそれから次第に赤っぽく変わっていったが、散るのも早いようだった。(左手前の背の低いのは別の木である。見出しの小画像は [No.149a] と同じ12月のものである。)

コナラのところで右折して古墳群の裾を南に進むと、やがて左手下に「運動広場」が見えてくる。運動広場はこの公園の正面と思しき位置にあり、玄関ホールのような位置付けになる。東急多摩川駅から道路を来る場合、広い坂道を上ってくると正面ゲート右手にこの広場が開ける。古墳展示室(資料館)はこの広場に面して造られ、大田区の平和都市宣言記念像もこの広場に建てられている。
広場の周囲はサクラで囲まれ、特に北側のサクラは野趣にあふれ風情がある。古墳側の山野道から見下ろすサクラは見事で、2003年のサクラ特集(多摩川台公園−その3)では、左の小画像と同じ向きの写真を掲げている。[No.136a] [No.137b] (このポイントで惜しむらくは物置小屋がどうしても外せないことである。)
さすがに紅葉となると花時とは雰囲気が違い、しかも終盤に差し掛かっていては全景は絵になりにくかった。2003年の紅葉の撮影はサクラを照準にしていないので、時期的に良い写真が撮れなかったのは止むを得ない。イメージを損ねないようにギャラリーへの写真の掲載は見送った。

[No.150a] は、正面ゲート直ぐの右手(運動広場の一角)にある大イチョウ。黄色く紅葉する木は園内のあちこちで見られるが、一番目を引くのは何といってもこのイチョウだ。
園内のほとんど全ての樹がそうであるように、この樹も格好はよくないが、紅葉の美しさは写真ではとても表せない。全体が陽に光り輝く様子は、他所でも滅多に見られないと思わせるほど見事なもの。
2003年は赤いものが苦戦だったが、黄色系はそうでもなく、このイチョウも2002年と変わらず光輝いていた。2002年に撮った時には未だ頂上部は十分紅葉していない頃で、それはそれなりに若い魅力ある紅葉だったが、2003年の12月初旬はもう爛熟期に入っていて、頂上までまさに満艦飾だった。
2002年の時もそう思ったが、このイチョウの美しさを小さなウェブ写真で表現するのは難しい。全体を撮ると何かスケールの大きさが死んでしまうような感じがするし、部分を撮ると全体から受ける威圧感にも似た凄みが表現できない。
銀杏(いちょう)は街路樹として最も多く利用され、街中で紅葉が見られるとあって、日本ではごく身近な存在だが、実は近縁種が現存しない中生代の生き残り種である。日本に銀杏の野生種が自生する山はなく、その一方神社や寺などに樹齢数百年という古木も残されている。意外に知られていない銀杏の仔細について、2005.11の「素敵な宇宙船地球号」(テレビ朝日系)で放送された内容を紹介。  (詳しくは右クリック


右の [No.14Ba] は公園の入口(古墳資料館脇)に植えられている2本のアケボノスギ。(下の [No.14Ca] は紅葉時期の撮影ではなく、落葉した真冬の参考写真である。)
アケボノ杉は3千万年前(漸新世)から同一種が存続し、形態をほとんど変えていないといわれる。植物では数少ない「生きた化石」と呼ばれるものの一種。
樹高は30メートル前後に達し、樹形は円錐形になる落葉性針葉高木。アケボノ杉は小枝ごと落葉するが、この枝ごと落葉するという性質は(スギやヒノキでは珍しいことではないのかも知れないが)、遥か3億6千万年前の古代のロマンを思い起こさせる。

最も原始的な四肢動物とみなされる「アカントステガ」の化石を発見したジェニファ・クラック博士は、どのような環境に適応して、水中に生息する魚の鰭(ヒレ)が四肢(手足)に進化したのかについて、以下のような説を提唱している。
当時水辺には樹高20メートルに達する木(前裸子植物:アーキオプテリス)が密林を形成していた。アーキオプテリスは枝ごと落葉していたため、岸に近い川底には多くの木枝が沈積していた。淡水生態系の頂点に君臨していた巨大魚ハイネリアが入ってこれないような、浅い湿地のような場所を住処としたアカントステガは、水底の枝をかき分けて進み、獲物にゆっくり近づくなどの点で、胸鰭や腹鰭より指が分枝した四肢の形の方が便利だったというのである。 (この項:NHK「地球大進化 第3集」による) (詳しくは右クリック

日本では「鮮新世」の地層に化石が出土し、植物遺体を研究していた三木茂博士が、アメリカ西海岸のセコイアとは別種であるとして、1941年メタセコイア属を設けた。(セコイアの葉は互生、化石種 Metasequoia disticha の葉は対生)。
メタセコイア属は大氷河時代に入って(150万年前頃)絶滅したものとみなされていたが、1945年に中国四川省の長江支流磨刀渓で発見された針葉樹(中国名「水杉」)が、南京大学で、同属の現生種であると同定され Metaseqouia glyptostroboides と命名記載された。四川省から湖北省の標高千M前後の地に自生していることがその後の調査で確認されている。
メタセコイア属の化石種は中生代白亜紀の地層で多く発見され、石炭の主要な原料になったと考えられる。化石は多摩川周辺でも見つかり、知らない頃は掘り起こしたものを燃料にしていたという話もある。(近縁と思われる北米西岸山地のセコイアは常緑巨木・赤材として知られる。ピラミッドに使われ腐らないことで有名な世界遺産のレバノン杉は、名前はスギでも分類上はマツ科に属する。一方アケボノスギは分類上もスギと同じヒノキ科に属し正真正銘の杉である。)
アメリカで育成研究がなされ、挿し木、実生とも苗木が得られるようになって、世界各地に配布された。1949年に日本で初めての苗木が東大小石川植物園と皇居吹上御苑に植えられた。(和名のアケボノスギというのは昭和天皇が名付けたともいわれる。)
現生する野生種は1属1種だが、丈夫で成長が早いため、公園樹や街路樹などとして世界中に広がり、栽培品種も何種類か出来ているようである。


右は紅葉をはじめたヤマザクラ。この山桜は見晴台のある中央通りから水生植物園に上がった所の回廊沿いにあるもので、春に水生植物園を撮った [No.13Ca] で、手前側に枝が張り出し白い花を着けている木と同じ木だと思う。
ヤマザクラは葉っぱだけの季節にはソメイヨシノと結構見分けにくいが、花時と紅葉時ははっきり区別できる。花はソメイヨシノのようにピンク掛っていない純白の花びらで紛れはなく、紅葉もソメイヨシノのように半分枯れたような紅葉ではなく、しっかりした葉に色が着き、紅葉している期間もソメイヨシノとは比較にならないほど長い、真面目な紅葉といえる。
ヤマザクラが紅葉する時期はソメイヨシノより少し遅く、イチョウが色着きはじめる頃でモミジよりはかなり早い。このページの上の方で自由広場のヤマザクラを撮っているが、この水生植物園ベンチ裏のヤマザクラも、ソメイヨシノとは全然違うしっかりした綺麗な紅葉を見せる。

「見晴台」のある中央通りは、多摩川の反対側(見晴台広場の背後)が、この丘の主役「亀甲山古墳」になっている。古墳は封印状態で、小高く盛り上がった周囲一帯は立ち入り禁止にされている。

亀甲山の北西側は小規模古墳群が連なるが、東南側は開発され、「水生植物園」「四季の野草園」「紫陽花園」の順で、各エリアが段々に下るように造られている。見晴台から東はサクラが多く紅葉写真はあまり撮っていない。
アジサイ園から四季の野草園に上った場所からは、青空をバックに亀甲山古墳上面樹木の紅葉が映える。右の [No.14Ea] は公園の東端になる紫陽花園の階段を上がった所で、四季の野草園、水生植物園の先に亀甲山古墳一帯の紅葉が見えている。「展」の一字が彫られた中央の石像は、四季の野草園の入口を上がったところ。その背後奥に見える常緑樹はクスノキで、ここが水生植物園を囲む赤レンガの正面入口になる。
(2枚目の [No.14M] は奥の立派なクスノキ(樟)を横から見たもの。時期は [No.14Ea] を撮った時から3年半経っている。姿形はいつ見ても見事だ。紅葉の季節ではなく6月中旬なのでこのページでは参考写真になる。)

下の「参考3」は水生植物園の角で、1本のモミジが松と並んでいる。紅葉が単独で青空の中に置かれている構図は綺麗な写真になりにくい。理由ははっきりとは分からないが、目で見て感じた雰囲気とはどこか違った、不自然な色合いでケバケバしく派手な写真になってしまう。コントラストの差や明度・彩度の差が大きすぎるため、空の光量に引っ張られて紅葉の方がおかしくなるのではないかと思う。

「参考4」はこのページのトップでモミジを撮っている公園北西端の「宝莱山古墳拡張部」。ここにもスケールがもっと大きい似たような状況がある。
この広場の奥に広場に面して猛烈に赤くなる木が1本ある。この木は山野道に入らず、広場の側から空をバックに撮ることになるが、この木も常緑樹と並んでいて、何回挑戦しても納得のいく写真が撮れない。

  「参考3」    「参考4」 

右の [No.14Fa] は、四季の野草園と紫陽花園をつなぐ階段脇のサクラ。ソメイヨシノ独特の散り行く風情の枝葉だが、このサクラの木は春のサクラ特集の方で、もうすこし退いて全景を撮っている。([No.13Ec]
次の [No.14Ga] はこの階段のある石垣の東急方面にあるサクラ。 [No.13Gb] に花の写真を載せているので、紅葉時も撮っておいた。

最後の [No.14Ha] は同じ階段脇で、サクラとは反対側にあるブナ科クヌギの木。このクヌギについては2002年にも同じ構図で撮っているお気に入りの一本。(階段上左側の赤く見える木はモミジ、サクラは左に切れ写っていない。)
2003年は5日の日数を置いてこの構図を2回撮っている。たった5日の経過だが双方の写真を比較してみて、当日には気が付かなかった変化が見て取れた。初めの写真ではクヌギがまだ幾分緑を残した色をしていたが、5日後の写真ではクヌギは完全に色づき、一方左上の木々は5日の間に殆ど葉を落として坊主になっていた。[No.14Ha] が最初に撮った方で、5日後の同じ景色を見出しの小画像にしている。[No.14J] 以下の3枚は全て2度目の撮影日のものである。
2002年は気が付かなかったので [No.14Ha] に似た階段脇の構図しか撮らなかった。通りすがりに見るとこのように下の方だけを見てしまうが、実はこのクヌギの木はとても大きな木で、2003年には少し離れてその全景を捉えることにした。
[No.14J] は階段下から頂上部を見上げたもので大変迫力がある。次の [No.14K] は川側の方から全体の側面を見たもので、下の方にある小さめの葉の塊が [No.14Ha] で階段上に見えている部分である。[No.14L] はアジサイ苑を回り込んで、階段の正面方向から全景を撮ったものである。



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