<参考26>  河川敷の春から初夏にかけての草木と花


     【イネ科】  ハルガヤ属 : ハルガヤ

 

ハルガヤはヨーロッパ(ユーラシア大陸)原産の多年草植物。
葉は10センチ程度の線状でありふれているが、特徴的な花穂を出すためその時期になると気が付き易い。花の時期は4月から6月頃とされる。
近代になって牧草として導入されたようだが、スイート・バーナルグラスと呼ばれるように芳香を放つ特徴があり、観賞用にも用いられたようだ。今では路傍や堤防法面などに広く野化され、花粉はカモガヤなどと並びイネ科花粉症の抗原の一つと考えられている。
左の写真は2013年4月25日に、多摩川緑地に面した堤防の川裏側の法面で撮った。シャープ裏の川の一里塚がある場所から幾らか川下方向に行った辺りで、この辺は川裏側も余裕があり日が当たるような状況にある。花粉が猛烈と感じるほどの群生ではなかった。



ここからの3枚は2014年4月16日に多摩川緑地の堤防側で撮った。これを撮って、どういうわけか前年の穂がやけに赤っぽかったと感じるようになった。



ここからは2015年の撮影。この年は4月中旬頃から、六郷界隈の主として多摩川緑地の堤防敷で、例年になくハルガヤが目立つ様子だった。そこでこの機会にハルガヤを良く観察してみることにした。

写真はここから3枚は4月17日に多摩川緑地に面した堤防の法尻辺りで撮ったもの。次の1枚は4月28日。その下の2枚は5月3日。その下の2枚は5月27日である。

4月中旬頃多摩川緑地の堤防法尻近辺に、ハルガヤがあちこち固まって小群落を形成していて、ここ何年かでは最も多く認められた。いずれも葯が鈴生りで、近づいて見ると、オシベの先に、端が二股に岐れた細長い形の葯だった。


4月末頃になると、一部に葯を残しながらも、葯が消滅した後に、オシベとは異なるものが出ている花穂が認められるようになった。当初は単に葯が花粉を放出して散った後のオシベの残骸と思っていたが、よく見ているうちにオシベの残骸とは違うと思えるようになった。
このものは一本線ではなく、付け根から人型に2分岐していて、しかもオシベの時のような単なる細い紐状ではなく、モジャモジャと何かが付いているような輪郭をしていて、明らかにオシベの残骸とは別物だった。

後になって、オシベが脱落した後に出てきているのはメシベらしいと知ったが、5月初旬頃には、かつて葯を鈴生りにしていた花穂は、殆どメシベだらけの姿に換わっていった。


その後5月末近くになって、六郷橋緑地から上手側に戻る途中の、六郷橋を潜って京急かJRの橋梁近辺の法面の法尻で、久々にハルガヤの花穂を撮った。左の2枚の写真はその時のもので、花穂はいずれも葯を持ったオシベとモジャモジャのメシベが混在する状態だった。
考えてみれば或る区域で皆メシベになってしまった場合、別の区域から花粉を飛ばしてもらわなければならない訳で、近隣で花期が幾分ずれるのは自然だ。雄性先熟の場合、虫媒花では花穂の下側から開花や性転換が先行して進むことが多いとされるが、ハルガヤは多分風媒花だと思うので、上下は重要な要素にはならないと思われる。(虫が這い上がってくる虫媒花の場合、先ずメシベに接し他所からの花粉を付けてもらえるようにしている。)
ハルガヤの場合では、性転換期でメシベとオシベが完全に混在しているケースを確認はしているが、下側でメシベが先行し、上側に葯が残っているケースをしばしば見た。


 


 

     【イネ科】  エノコログサ属 : セイバンモロコシ

 

左の写真は殿町以外では未だそれほどには勢力を拡張していなかった2003年頃に、多摩川緑地の外縁を仕切る土手の川下側の端、クサヨシの5枚目に稔った穂の写真を載せているが、これはその写真を撮った近傍。こんなところで撮っているのは、当時は殿町界隈のように、この辺りでは未だセイバンモロコシ自身それほど広域を制圧するような大きな存在ではなかったためである。

夏場の河川敷の雄セイバンモロコシは、4月には未だその姿を見せない。ヨシやオギが水際で2メートルに達した頃(5月下旬)、オギと接する護岸縁から河川敷の平坦部にかけて、さらに堤防周辺にまでと広範囲に浅緑色の新芽を出し始める。

セイバンモロコシの葉は、中肋が表で白く際立つなど、チョッと見にはオギに似て見える。急速に成長し夏のはじめには、一方向に傾く(穂状に垂れる)ことのない、典型的な円錐花序をつけるので、容易に見分けられるようになる。
花穂のない時期には、葉縁がいくらか波打つことでオギと区別する。左の写真は2005年の10月に六郷橋緑地(南六郷地先)で撮ったもの。雑色ポンプ所の排水溝を暗渠にして六郷水門まで引いて行く工事が行われた年の翌々年に当たる。河川敷にセイバンモロコシが生えている風景は今では想像できない。当時もブタ公園のような作り物はあったが、河川敷全体が今のように芝が植えられた公園風には手入れされておらず、刈取りが遅れれば未だこんなこともあったという興味深い証拠写真である。

左の1枚は2009年7月の右岸殿町の堤防上で、この辺りは堤防下の平面がもう湿気ていて、ヨシやアイアシが法面の際まで迫っているため、比較的乾燥した側に育つ種類は法面で激しく競合し地面を奪い合う。然しそんな中でも圧倒的に優勢なのがセイバンモロコシで、刈取りが少ないこの辺りでは、天端に覆い被さるほど繁栄していたが、汽水域全体としてみれば未だ珍しい光景だった。

ところが2010年頃より、汽水域一帯の堤防周辺など水辺から離れた辺りで最も優勢な大型種となり、平面法面を問わず、大田区が芝などを植えていない領域はほゞこれに制圧されるようになった。大型種ながら刈られても直ぐ花穂までを回復する驚異的な繁殖力を示す。
(一方大田区が占有する河川敷は、大田区によって頻繁に刈られるため、芝をメインとし、クローバー、セイヨウタンポポ、サギゴケなど混生するものは丈の低いものに限定されている。)

2013年時点で多摩川緑地から六郷橋緑地、大師橋緑地に於いて、以前に比べ最も勢力を伸ばしたのはセイバンモロコシだろう。大体どこでも堤防法面やその裾の平面など堤防敷の全面に展開し勢力を誇っている。大型種だが抜群の回復力を有するため、刈取りからしばらくすると、法面やその下の平面部は草茫々という印象になってしまう。

2013年にこの特集の大改編に着手した時点では、この特集を書き始めた2003年頃からは一変し、セイバンモロコシが堤防敷全体を制圧し、あまりに普通の存在になって平凡化してしまったため、却って最近の写真が無いことに気が付いた。
そこでボツボツとセイバンモロコシの写真も撮っていくことにした。 左はそのはしりとして2013年に南六郷で撮ったもので、花を出し始める経過中のものを撮った。セイバンモロコシはとにかく成長速度が速く、この状態からはたちまち花穂を出し切って、素早く端正な円錐花序を展開する。

左の写真は2013年7月初旬に六郷橋上手の堤防法面を撮ったもの。近年ではこの例のように、この時期には、多摩川大橋方面から六郷水門先まで、堤防法面は殆どの場所でセイバンモロコシに覆われる。かつて堤防敷の一帯はホソネズミムギの天下だったが、いつの間にか、大型種ながらも圧倒的な繁殖力を持つセイバンモロコシに席巻されてしまったのである。

左の写真は2015年7月10日の撮影。場所は京急とJRの六郷橋梁の間の河川敷にあるバイオリン公園の京急側。ここはヨシが進出するほど湿気てはおらず、セイバンモロコシとオギが勢力争いを展開する環境になっている。
京急の鉄橋とバイオリン公園の間には小道があって、ここを通る時は、通常は半湿地のようになっている京急の鉄橋下を観察する。この日は水路の方から堤防側にこの道を戻ってきて、言わば裏側からバイオリン公園沿いのセイバンモロコシを撮った。今更という感覚はあったが、天気が良かったので思わず撮ったという所。

左の2枚は2015年9月26日の撮影。場所は多摩川緑地の上手側の端辺りで、護岸沿いの散策路に立って、河川敷の端にあるセイバンモロコシを撮った。
ここ2,3年のセイバンモロコシの繁栄振りは凄まじく、多摩川緑地から六郷橋緑地に掛けて、堤防の法面は殆どセイバンモロコシに被われてしまったと言って過言でない程である。堤防側での繁殖は法尻から平面に及び、堤防下の管理通路までの草地もほゞ制圧されてしまう。初夏から初秋の堤防法面の除草は殆どセイバンモロコシの刈り取りになる。

堤防側ではありきたりの光景で、変わったものを見ることは無いが、この日は護岸寄りの草地で、花穂が苞葉を突き破って出てくる瞬間の珍しい姿が幾つか見られた。
普通は天辺から穂が出てくるイメージがあるが、ここでは側面を割いて出てくるものが幾つもあった。河川敷は大田区が占有している場所(多摩川緑地)では、頻繁に芝刈が入るのでセイバンモロコシのような大型の種が伸びる余地は無いが、グランドや瓢箪池のある中央部の上手側の端に区民広場と呼ばれるトラックがある場所までが大田区の占有区域で、その上手は川の湾曲に伴い次第に河川敷が狭くなっていく。ここは親子連れの遊び場などになっているが、除草期間は緩く、合間を縫ってセイバンモロコシが伸びる余地がある。
この写真もそんな時期に遅れて出てきたセイバンモロコシの挙動を捉えたものだ。

2000年代に入ってから、年々、西六郷から東六郷、南六郷など、汽水域の堤防法面や法尻に続く平面など、湿気の薄い辺りは一面セイバンモロコシで埋まるようになった。もともと強いのか、それとも近年の何かがセイバンモロコシに適するようになったからなのか、理由は不明ながらその繁栄振りは凄まじく、堤防周りの除草は殆どセイバンモロコシを刈っていると言って過言ではない。
大型種であるだけに伸びてきた時期の鬱蒼とした様子は、チガヤやヘラオオバコなどが主であった頃とは比較にならない。水路側の荒地にオギが繁茂しているのとは違って放置はできないので、河川事務所の除草の負荷はかなり増したのではないか。

左とその上の2枚は東六郷(六郷橋緑地の六郷橋寄り)の堤防下のセイバンモロコシから撮った。撮影日は2015年10月8日である。
上に脇を破って出てくる特異な例を載せたので、順序は逆になったが、通常は花穂はこのように頂上から出てくるという例を示しておく方がよいと思って撮った。

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