<参考26> 河川敷の春から初夏にかけての草木と花
【クマツヅラ科】 クマツヅラ属 : アレチハナガサ・ヤナギハナガサ
左の最初の1枚は2013年4月11日の写真。クサノオウやクサイチゴなど半日陰の方でチラホラ花が見え始める頃だが、河川敷や護岸側の荒れ地には、未だ殆ど花が見られない時期の撮影で、アレチハナガサは枯れているように見える茎も、そろそろ動き始め根元の方から緑が蘇ってきている。
荒れ地には他に花は殆ど無く、大きな株のこのアレチハナガサの花ばかりが目立つようになる。ただアレチハナガサは株こそは大きいものの個々の花は小さく、色にも派手さは無いので、花としてはどちらかといえば淡泊な印象である。
この時期のアレチハナガサは茎が脱色していくものと、結構に緑色を保持しているものが混在している。
左の写真はもう花が満開という状態だが、全体を撮ったような写真では、花が咲いているというところまでは見えない。それほど花は小さい。
この日は特にアレチハナガサを撮りに行った訳では無く、水辺の草地にあるヒメコバンソウやハマハナセンブリなどを目標にしていたが、通りかかると綺麗に咲いて見えるので、朝方にこの花を撮った覚えが無かったので、特に目新しいことはなかったが序に撮っておいたというところ。
日が高い時に淡いピンク色で上向きの花を撮ると、レンズは花弁からの全反射を受けて、感光部は白跳びに近い光ったような状態になるが、朝方の太陽がそれほど高くは無い時には、一寸工夫すれば全反射ということではない状態で撮影できる。この写真で花弁の色が違って見えるのはその差が出たためではないか。
上から3枚目までは或る株の全体から花までの拡大で、最後の4枚目は念のため茎と葉を撮ったもの。葉は茎に付く位置に向けて次第に幅が狭まり、細くなったところで茎に付き、茎を抱くようなことは無い。これはこの一帯に多い株がアレチハナガサであることに間違いない特徴である。
左の写真下への3枚は2014年5月20日に、この年2度目のガス橋下手の草深い荒れ地探索を行った際に撮ったもの。この年は前年のように人手が入ったような雰囲気での多様な園芸種っぽい種は見られず、前年から確認しなければと思っていた、春からの一面のイネ科の種が推定通りクサヨシであったことを確認したことで良しとする状況だった。この時期にクズがもう出始めていて、あちこちで不気味に蔓の鎌首をもたげ、葉も広げ始めていた。やがてガス橋から矢口橋の近くまで、この荒れ地の全面がクズに覆われてしまう。
ガス橋下手の荒れ地は既にクズが一面を覆い、深い藪を形成していた。藪がやゝ低めの場所を選んで踏み込んだが、ヤエムグラなどの茂みの下でクズの頑丈な蔓が密に絡み合い、前進は容易ではなかった。それでも苦労して中に分け入りクズの薄い広場を探した。昨年に人が入ったと思われた場所に辿り着くと、ブッドレアが半分ほど咲いていた。昨年は初めてみるブッドレアに目を奪われ、ダキバアレチハナガサを見損じてしまった。
名前になっている「ダキバ:抱葉」の実態は左の2枚の写真のようなもので、確かに葉は茎を抱いてはいるが、抱込んでいるというほどのものではなく、対生した葉が葉幅を減じることなく茎に密接し、茎の脇で双方が繋がったという程度の抱き方である。葉縁の鋸歯も険しいほどのものではなく、穏やかに感じる程度である。
多摩川大橋から多摩川緑地手前までの植生護岸の上部には、アレチハナガサが年々増えて、丈も1メートルを超えるほどと高いので、6月から夏の間の花が減る頃には、護岸上の荒れ地にはこればかりが目立つようになる。この範囲でも上手に寄った方には特に株数が多く、冬場も束になった茎が朽ち果てないので、その存在が鬱陶しいほどに感じられる時がある程である。
この時期は護岸縁ではテリハノイバラやピラカンサの花が終わり、河川敷では春の花がほゞ終わって一段落し、堤防法面ではムラサキツメクサが全開となる幾らか大味な季節である。
花穂は長い茎の分岐したそれぞれ先端に付くので、一寸した風でも大きく揺れ、無風とは言えない日に小さな花をズームで撮るのは容易ではない。
荒れ地のセイタカアワダチソウはもう種子を飛ばす段階になっているが、刈られた法面では、時期外れにセイタカアワダチソウが一斉に芽生え、丈が低いこの時期にもう花を付けたりしていて、その繁殖力は実に逞しさを感じる。近年では一時ほどの侵略的な勢いはなく、風媒花でもないのだが、実態以上に悪者扱いされてきた印象は中々拭えるものではない。この時期に大量に芽生えたセイタカアワダチソウだったが、このあと冬の異常な寒さのため全てが枯れることになった。
一方その下の写真は3月下旬の撮影だが、ここで撮ったこの株のように冬季も緑色で通し、生きていると表現し続けたまま春を迎える株もある。トミンタワー前からヤマハボートの近傍には、数十株が乱立しているが、その多くは枯れたような茎に僅かに緑色を漂わせる茎が混じっているというような状態で冬場を乗り切る。
左は2週間後になる2014年22日の撮影。上のような株が僅か半月余りで下のように変わるという訳ではなく、下の株はおそらく冬の間もかなりの茎が緑色を保持していたような株ではないかと思うが、実際に枯れたような色の茎がまた緑色に変わっていく過程は不思議というしかない。
茎は4稜形で中実。分岐する茎が対生する葉と同じ位置から出ているケースを多く見る。おそらく先ず茎に付く葉があって、その付け根の上の部分から芽が出て、新たな茎が伸びていくのだろう。茎が上で葉が下になる。反対のケースは見たことが無い。
又分岐して出ている茎の基部にも白線が認められる。左の拡大写真は白線に見える部分がどのような構造になっているのかを見たものである。
多摩川緑地の側では上手方向に向け、多摩川大橋までの間で、岸辺の荒地にアレチハナガサは多いが、六郷の橋梁群を下手側に抜けると、何故か六郷橋下のこの一画を最後に、岸辺の荒地にアレチハナガサは全く見られなくなる。
この日の花は以前に撮ったものと比べると花弁のピンク色が濃く写っている。上手側の安養寺からトミンタワーの方面に多くある株では、花弁の色に差があるように思ったことは無いので、ここもおそらく光線のせいか或はカメラの差によるものと思われる。
元々は園芸種として持ち込まれたものが野化したらしいが、1940年代に東海地方で初めて確認されたということなので、外来種としての歴史はアレチハナガサより若干古いということになる。
現在北海道から九州まで広く移入しているようだが、分布域はアレチハナガサのようにベッタリしたものではなく、分布が確認されていない地域も混在する。
帰ってきてから、ネットを見ていて、これはどうやらダキハアレチハナガサらしいと結論した。(似たものにヤナギハナガサというのがあるものは知ったが、何故だかこの時はダキバアレチハナガサということにしてしまった。)
そうと分かっていれば、少なくとも根本の方をよく見て、葉がダキハになっていることを確認してくるべきだったが、この日には園芸種由来の何かだろうという程度にしか感じていなかったので、長い茎の先に総状花序の花が付いているという印象だけで、花を撮ること位しか考えなかった。
この時期にはこんな花序で、ヤナギハナガサに似て、アレチハナガサとは随分印象が違うように思うが、初秋になるとこのような総状花序ではなくなり、咲き進んで花穂が伸び、アレチハナガサに似た太い筒状の棒先に少ない数の花が咲くような形に換わってくるらしく、そうなれば双方は益々見分けが付きにくくなる。
前回(2014年5月20日)帰ってきてからダキバアレチハナガサのことを知り、もしアレチハナガサと同じようなら、夏の間は咲き続けるだろうし、多年草でもあるので、次に上手側に出る余裕が出来れば、その機会にはもう少し状態を明らかにした写真を掲載することにしたいと思っていた。
その機会は意外に早くやってきた。6月中旬に下手の本羽田の方に出た折、偶然にもアカメガシワの雄株を発見し、念願だった雄花を撮ることが出来た。(六郷界隈の荒地には10本程度のアカメガシワがあるが全て雌株である。) 本羽田の干潟はヨシに蹂躙されイセウキヤガラは追いやられて精彩を失い、シオクグの群落もほゞ壊滅してしまった。然しアカメガシワの雄花だけでなく、隠れた場所で僅かに残るシオクグの花まで撮れたのは望外だった。これで当面下手側に出て調べる懸案は無いと判断し、また上手側のことを考える余裕が出来た。
この日の主要な目的は、ダキバアレチハナガサの茎や葉を確認することで、ブッドレアはそこそこにして、ダキバアレチハナガサに近寄り観察した。
花序は少し扇型に展開したように見えたが、未だ花筒が伸びて分散してきたような様子は感じなかった。花は園芸種風の趣がありアレチハナガサに比べればかなり艶やかに見える。
アレチハナガサでは、葉は同じように対生だが、茎に寄った方では葉幅が次第に減じて、茎に付くところでは、殆ど茎と同じ程度の幅になっているため、双方の葉が茎の脇に回り込むだけの余裕がない。”抱く”かどうかについてのダキバアレチハナガサとアレチハナガサの差は僅かなものである。
むしろアレチハナガサの葉で荒い鋸歯が際立って見えること、葉の形がほゞ平行形か中央が膨らんだ長楕円形かという違い、ダキバアレチハナガサの茎には毛が密生していること、などのことの方が双方で顕著に異なる点であることが分かる。
この時期になお花が総状花序を維持しているということは、この種がダキバアレチハナガサではなくヤナギハナガサである決定的な証明である。この写真はその意味で重要な写真となった
そうして改めて見てみれば、これがヤナギハナガサであって何の問題も無い。つまりこれまでダキバアレチハナガサとして扱ってきたのは、単なる思い込みに過ぎず何の根拠も無いことだったことを思い知った。