<参考26>  河川敷の春から初夏にかけての草木と花


     【バラ科】  ピラカンサ属 : タチバナモドキ・トキワサンザシ・カザンデマリ (ヒマラヤカンデマリ)

 

ピラカンサ(Pyracantha)はバラ科の常緑低木トキワサンザシ属の総称として使われている。通常ピラカンサの名前で呼ばれるのは3種だが、別に3種程度あるらしく、それらが種として独立しているのかどうかは不明で、亜種のような存在なのか、改良品種のような意味合いなのかは良く分らない。ここではピラカンサを属名とし、通常出てくる3種を小名扱いとした。
ピラカンサの名前で呼ばれる3種は、和名ではトキワサンザシ(常磐山査子:P.coccinea)、タチバナモドキ(橘擬:P.angustifolia)、カザンデマリ(崋山手毬:P.crenulata)と呼ばれる3種である。(カザンデマリは、カンデマリと書かれる場合もあり、又ヒマラヤやインドを冠して呼ばれることもあって、書き物により様々で和名としての一貫性は無い。)

ピラカンサにはバラ科らしい特徴として鋭い棘(とげ)がある。Pyracantha(ピラカンサ)の語源は、ギリシャ語の「pyro」(炎)と「acantha」(刺)を合わせたもので、英語では「fire」(炎)と「thorn」(刺)に変わって、Firethorn(ファイアーソーン)とも呼ばれる。実の赤さを炎に見立てているのだろう。中国でも、西安近傍に自生するピラカンサは「火棘(かきょく)」と呼ばれ、赤い実を付ける。このエキスには紫外線によるメラニン合成の抑制効果があるとされ美白作用が化粧品に利用されたりしている。
原種としては、トキワサンザシは欧州南部から西アジア方面が原産地で赤い実を付け、タチバナモドキは中国西南部が原産地で柿色の実を付けるとされる。これだけであればそれほどややこしくはないが、問題は更にもう一種あるカザンデマリの存在だ。別称にあるようにヒマラヤやインド地方が原産地と思われる。観賞用としてはこれが最も優れると書かれているものが多い。トキワサンザシに似ているような写真が多いようだが、別種とされている以上実体は異なる筈で、どこが違うのかその全容はイマイチ明確にならない。

日本には観賞用として明治時代に導入されたものらしいが、鳥により各地に種子が運ばれ、野化したものが見られるようになったとのこと。
園芸種ながら野化したことで、交雑種が出来ている可能性もあって、河川敷や護岸であちこち見られるピラカンサを厳密に3種に区別することは極めて難しい。元々カザンデマリは最も赤いとする書き物がある一方、カザンデマリにも橙紅色の実を付けるものがあるとする書き物もあって、原種自身の特徴がはっきり定まらない上に、交雑種が出来ているとなれば一層難解なことになる。実の大きさや葉幅についての比較記載に挑戦する試みも見られるが、これも内容はそれほど明瞭なものはなく、ピラカンサの種を決定する決め手にはなりにくいのが実態だ。
5〜6月に小さな白い5弁花を密集させて咲くことも共通していて、結局ピラカンサという以上に記載することは危険だが、ここは素人の図鑑でもあり気にしないであえて名前を付けていく。(この木のことは2013年の調査で初めて知った程度なので、実態調査は不十分であり、2014年に精密を期したい。)

始めの3枚の写真は2013年4月上旬に西六郷の護岸縁で撮影したもので、階段状の植生護岸の最下段に位置している。この時にはこの一本だけに注目していたが、赤い実を付ける秋には良く目立つことから、安養寺(古川薬師)の川表辺りの護岸に前後して2本あり、更により川下寄りになる区民広場とサッカーグランドの境目に対向する位置の土手上にも1本あることが分った。

次の4枚目(左の写真)は4月下旬で、六郷橋の川下側の下手(本流縁)の荒地で撮った。ここには大雑把に10本近くが集中して存在する。丈は大小あって、1メートル程度のものから2メートルを超えるような株もある。いつ頃からあるのか知らないが、起源はともかく、自生的に増えてもいるのだろう。後にこちらは柿色の実を付けるタチバナモドキらしいと分かった。背後はトウネズミモチなどの大木が藪を作っているその前の草地にある。

西六郷の方の3本はいずれも丈は1〜1.5メートル程度で、多くの枝を張り出しているが、容易に裂けることはなく極めて頑丈な作りになっている。実の色は全て紅で径は7mm程度。ノイバラの実をそっくり大きくしたような感じで、やはり夏場の7月頃には薄いグリーン色で、9月にはすっかり紅色に変わっている。あちこちに密集した塊りを作るような実の付き方に特徴がある。
(下の方の実の写真で、都民タワー下手の湾曲部を背景に撮っているものから続く6枚は全て西六郷側の木で撮ったものである。)

下に載せた青い実の写真のすぐ下に続く4枚の実の写真はこの六郷橋下手の木の実を撮ったもので(3枚目の背後に右岸港町のスーパー堤防上のマンションが写り込んでいる)、実の色は柿色だったが、11月下旬頃にはやや赤味を帯びた橙紅色に近くなった気がする。ただはっきり赤と言える西六郷のものとは実の色は厳然と区別される。径は大きく8mm程度はあるようで西六郷の赤い実より気持大きい感じがするが、明らかにこちらの方が大きいというほどの違いではないので、色のせいでそう感じられるのかも知れない。
色は異なるが実の付き方は双方良く似ていて、あちこち塊り状に実を凝集させる。西六郷の赤い実は12月に入る頃には川縁のものは殆ど飛んでしまっていたり、上半分がすっかり飛んで無くなっていたりしたが、土手上のものはかなり残っていた。一方六郷橋近傍のタチバナモドキと思われる方は、同じ頃には未だどの木もほゞそっくり実を残していて、鳥に食べられることもなかったようだ。

5〜6月には、南六郷方面には殆ど行っていない。川下側では六郷ヨシ原で最後のウラギクばかりを追っていて、河川敷には殆ど出ておらず、タチバナモドキのことも1高木程度の認識だったので、その後すっかり忘れてしまっていて花を撮っていない。
一方川上側ではノイバラを重点的に追い、序にランタナ、アメリカオニアザミ、アレチハナガサなどその近くにあるものを撮っていたが、その気になって護岸を下まで降りていれば花を撮れた時期に、テリハノイバラだけを撮って、記憶の薄かったトキワサンザシの方は花を確認しに行かなかった。
そんなことで実が生る時期になって、花を撮りそこなっていたことが悔やまれた訳だが、次の年の課題は外にも色々あるので、その一つで仕方ないと思ったものだが、図鑑でピラカンサの花を調べていると、どこかで見た記憶が蘇ってきて、写真のストックを見直してみたところ、何やら似た花の写真があることが分った。

これはテリハノイバラを追って多摩川大橋まで行った際に、手前のゲートボール場の脇に、丈が1メートル程度の華奢な木に蕾が鈴生りに付いていた木があって、通りすがりに何となく面白いので撮っていたものがあった。この写真を精査して、これはピラカンサではないかと気が付いた。それが左に載せた写真から上側4枚の花の写真である。
偶然そうとは知らずに撮った写真だが、葉は明らかにピラカンサのものだし、花もズームで見ればこの白い5弁花はピラカンサの花と思われる。
花のことを気にしだしたのはもう初冬になった頃で、写真を見つけてから12月初めにこの花を撮った小木を確認しに行った。葉は明らかにピラカンサで赤い実も僅かに残っていて、径は8mm程度と大きかった。ピラカンサは常緑樹だが、この時期に先端に若い枝を伸ばしていたのは印象的だった。

実を撮った株の花は六郷橋のタチバナモドキも、西六郷のトキワサンザシも2014年に撮る積もりで、そうなれば上に載せた写真は差し替えるかも知れないが、おそらく同じような花になるのだろうと推測される。
一つ問題になるのはその花の付き方である。実を見た限りでは、西六郷の3株も六郷橋近くの数株も共に凝集した塊り状のものを多くの場所に付けているが、ゲートボール場の脇の木の花は一面にべったりで、塊り状ではなかった。花から実になる段階でそうなるのか、この木の実はべったりだったのかその確認は出来ていない。
ネット上の写真には塊り状でない実の付き方をしたケースも見られるだけに注目だ。ここでもやはり問題になるのはカザンデマリの存在だ。ゲートボール場の脇の木の小木は明らかに大田区が植えたものと想像され、そうなると観賞用にはカザンデマリが最も多く用いられるという記載がひっかかる。

左の写真は多摩川緑地の上手、川裏に安養寺がある辺りの植生護岸で、2本あるトキワサンザシと思われる木の実を撮った。時期は上が2013年7月3日、下は7月9日である。

観賞用のピラカンサには、単に庭木とするだけでなく、生垣にしたり、盆栽にするものまである。こうしたものでは、木は頑丈で実は上に付くものが選ばれる。ところが一般の鑑賞用としては、実が鈴生りに付いたり、実がべったりと房のように付いて多くの枝が実の重みで垂れ下がったような感じの例も見られる。
こういうのがカザンデマリなのか、それともこうしたべったりのタイプは、種はトキワサンザシでも改良品種としてそのように作られたものなのか。

種に対する疑問は中国の陝西省西安近傍に自生するという「火棘(かきょく)」にも感じる。赤い実を付けるこのピラカンサはネットで見る限りではトキワサンザシなどとそっくり同じもののように見える。中国では漢方で知られるように、多くの生薬が古くから利用されきた実績があるが、西安付近のものだけに何か特異的な成分が含まれているのだろうか。
火棘の果実抽出物に美白作用(シミの原因となるメラニン色素の生成抑制効果)を確認したとする「サントリー健康科学研究所」のHPには、「火棘の果実は別名を「赤陽子(せきようし)」という高原に自生する生薬のひとつで、中国の古い書物には消化不良や産後の肥立ちなどに役立てられていたと記されています」という記載もある。

左の写真は六郷橋下手(東六郷3丁目地先)のタチバナモドキの方で、これと上の2枚は7月18日の撮影。

これは同じ場所のタチバナモドキで9月29日の撮影。うっすらと色付いていて、タチバナモドキの果実はこの頃より次第に橙色の度合いを強め柿色になっていくが、トキワサンザシのように赤くなることはない。
実はこの時期には、この辺りのタチバナモドキは六郷橋の上手側にもあることが分かっていた。下手の草地にあるように整然とはしていないので、これまで気付かなかったが、ヒメカジイチゴの裏側の藪の中に何本かある。花期や果実の様子は下手のものとは違わないが、元々枝が奔放に出て伸びる傾向があるところだが、藪の深い中にあるとあって、一層枝が不規則に出て伸びている感じがするものである。

これは11月16日の撮影。柿色に近づいている。実がこの色を呈することが、東六郷地先のこの一群がタチバナモドキであると推測する根拠になった。

これは11月30日の撮影で、もう色はほゞ完成領域に入っている。
この日にタチバナモドキの一群の裏側(トウネズミモチ側)でイタチハギの蔭に広がっているベッタリ型のピラカンサの赤い実と、西六郷の方にある塊になるトキワサンザシの赤い実を、比較の意味で同時に撮っている。

ここから下の5枚はこの日と、翌12月1日の朝方に撮ったものが混在しているが、時期的に大きく変わる訳ではなく、翌12月1日の朝出陣して、ベッタリ型のピラカンサを撮った際、ついでにタチバナモドキも撮ったので、朝日に輝くその写真も掲載した。





ここから下は西六郷のトキワサンザシと考えられる木の実を撮ったもの。

(六郷のJR橋梁から多摩川大橋までの間は、多摩川緑地の範囲は西六郷4、区民広場は西六郷3、安養寺から流路が急カーブする地点を越えるまでが西六郷2、京急の雑色駅から真直ぐ川に出てくる信号の位置からトミンタワーの手前までが西六郷1、トミンタワーから多摩川大橋までは多摩川2、橋を潜ると矢口3の地先になる。)









ここから下の6枚は、六郷橋下手で、昭和の初期に本流の左岸側で水路の異常な掘削が行われ、水域の拡幅が図られた際、掘削された側から上げ潮によって浸蝕された区域の川上側の端にあたる。トオウネズミモチの大木が並ぶ河川敷寄りの荒れ地で、直接的にはイタチハギの裏側にあたる場所にあるピラカンサの実を撮ったもの。
大木の裏にあって、いかにも陽当たりが悪いように感じられる場所だが、昨日今日植えられたというものではなさそうなので、必要最小限の陽当たりはあるのだろう。

ここのピラカンサの実は既に11月26日に撮っていて、11月30日にも確認はしていたが、どうしてこんな日陰のような場所に生育できるのか不審に思った。ただ両日とも夕方に近い西日の時点だったので、何とも判断できなかった。そこで翌12月1日に、朝方の陽当たりがどんなものかを確認するために、朝のうちにこの木を見に行った。

カザンデマリがどんなものか知らないので、何とも言えないが、基本的には西六郷に3本あるトキワサンザシと思われる木と似ている。違いは唯一、実がベッタリと木の葉を覆うがごとくに密生して付くことである。おそらく花もそのように密生して咲くのだろう。

写真は上から2枚は11月26日、3枚目は11月30日の撮影で、その下の3枚は12月1日の朝方に撮ったものである。


ここからの3枚が朝方に撮ったもの。様子を把握するために、8時過ぎから9時過ぎまで1時間ほど我慢して、この場所の陽当たりの推移を確認した。
結論的には、推測通り朝方の陽当たりもそれほど良いものでは無かった。部分的には陽が当たるが、当たる場所は動いていくし、陽が上っていってしまうと、全体が次第に殆ど陽が当たらない状態になっていく。

外の草地に林立しているタチバナモドキの方は良く日が当たるし、西六郷のトキワサンザシの方も日陰という環境ではない。(因みに多摩川大橋上手のゲートボール場の角に植えられているピラカンサも、周りは空いており日当たりは十分にある。)
どうしてこのイタチハギやトウネズミモチに囲まれて日当たりの悪いこんな場所で生き続けているのかという謎は解けなかった



 


 

2014年は昨年撮り洩らしたピラカンサの花には注意していた。トキワサンザシ系の木は西六郷の川際に3本、東六郷の六郷橋下の下手側のトウネズミモチの森の陰に不明の数株があり、参考として多摩川大橋手前のゲートボール場の角に人が植えた小ぶりの一株がある。一方タチバナモドキは六郷橋下下手側にまとまってかなりの株数がある。
花の動きが見られたのは、西六郷の護岸水辺にある下手側の一本が一番早かった。4月19日の調査の時点では、相当膨らんだ蕾が多く見られ、一方上手側の一本は未だ花の気配はなかったが、その後、程なくして上手の一本も同じような蕾を持った。この時の写真を左に4枚掲載しているが、見ての通り蕾にはうっすら赤っぽい色が滲んでいた。





5月中旬に入る頃には、護岸の2本の内、蕾が早かった下手の方では、花はほゞ満開となり、上手の方も開花し始めていた。土手端にある一本も似たように開花を始めていた。
そこで六郷橋下のピラカンサ類はどうだろうかと見に行った。タチバナモドキの方は何回か確認して、花の気配がずっと遅れていいることは把握していたが、森蔭のピラカンサは未だ見ていなかった。
左の写真は5枚が5月11日の西六郷のピラカンサの花で、同じ日に撮った六郷橋下のタチバナモドキでない方の森蔭のピラカンサの花をその下に載せた。4枚は同じ日で未だ半分以上が蕾の状態だったが、開花しているものも認められた。5枚目はそれから1週間後で、花は実から推測していた通りベッタ木を覆うような付き方になっていた。





ここから下が六郷橋下の下手にあるピラカンサの花を撮ったもの。
花はほゞ予想通りで、西六郷のピラカンサと概ね似ている。だがここを見ていて、ハテと気が付いたことがあった。蕾が皆真っ白なのだ。確か西六郷のピラカンサの蕾は赤味を帯びた色をしていた。これは気になっていたここの木と西六郷の木の違いを示す特徴の違いを示す一つにならないだろうか。そう思うと確かめずにはいられず、翌日西六郷のピラカンサを見に行った。
ところがどうだろう、西六郷の木が未だ持っていた蕾は、上の写真にあるように皆真っ白だったのだ。どういうことかは理解できない。然し現に蕾はどこも白色であることに違いはなく、何の区別にもならなかった。
あの咲き始めの蕾の色は何だったのだろうか。落胆と同時にまさに狐につままれたような気分だった。





タチバナモドキの方が蕾を持ったのは5月になってからで、蕾が膨らみ始めたのは、丁度上の方に示したトキワサンザシの蕾の色の件でうろうろした頃だった。
左の写真の上の2枚は5月11日の撮影で、未だ上の写真では見えないほどの大きさだが、近く寄ってズームしたものが2枚目の写真で、この時期やっとこの程度の大きさになったところで、次の3枚目がその一週間後の写真で蕾はかなり膨らんでいる。この時期はトキワサンザシの方はもう満開で、先行して咲いていた木はもう下火になった時期になる。
その下の7枚は6月1日で、タチバナモドキの花は5月下旬頃から咲き始めていて、この7枚の花の写真を撮った時点では既に満開に近かった。この時、トキワサンザシの方は既に花を終え、花の跡が赤っぽい実の前身に代わっていた。双方の花期は1か月近く離れていることになり、仮に交雑の可能性があるほどDNAが近かったとしても、環境的に双方は交雑しない状況にあることがわかる。




タチバナモドキもトキワサンザシと似たような大きさの白い5弁花ではあるが、雰囲気はどことなく違いがある。タチバナモドキの花は塊として点々と付き、花枝は殆ど無く葉の座の中に密着いたように咲く。
トキワサンザシの方は結構長めの花枝があって、密集した花は全体的に付く感じで、特に六郷橋下の株は、上に載せたようにその密集度が際立っていて、木が花で覆われたような感じになっていく。それは、多摩川大橋下手のゲートボール場の角に植えられた栽培種と思われる一本とよく似ていて、これがカザンデマリなのではないかという当て推量は尚残る。






ここからの3枚は6月9日のタチバナモドキで、もう花は終わりかけ、オシベなどは茶色くなり窄(すぼ)み始めている。2枚目と3枚目は閉じていく花をズームしたもので、花弁が脱落し、萼(がく)が伸びて全てを包み込むような形になって実に繋がっていくことが分かる。



一方の西六郷のトキワサンザシはどうかというと、左の2枚の写真は2014年6月13日に多摩川緑地の上手端の土手上のトキワサンザシの青い実を撮ったもの。さらに上手方向(川裏に安養寺がある辺り)の植生護岸にある2本はこの木より1週間余り先行していたので、6月初旬には既に青い実は出来ていただろうと推測できる。


左の2枚は東六郷(六郷橋下手の川縁の荒れ地)地先のタチバナモドキで撮影は2014年6月26日。花の咲き始めから1ヶ月程度経ってほゞ青い実が出来ていた。


最後の1枚は東六郷のピラカンサで、タチバナモドキが群生する裏の森蔭にあるもの。撮影は2014年7月11日で、実が何時頃出来上がっていたかは不明ながら、何となくここも見ておこうという確認の意味で撮ったもの。

ここまでで2013年に撮り損ねていた、花の咲き始めから実になるまでの過程を2014年に撮り終えたことになる。ここから後は前年に詳しく撮っているので、ここから初めの(前年の)写真に戻れば後の経過が引き継がれていくことになる。







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