<参考26>  河川敷の春から初夏にかけての草木と花


     【クワ科】  クワ属 : ヤマグワ

 
ヤマグワの写真、上から4枚は2013年4月中旬の撮影で、実は未だ若く青い。撮っている木は矢口橋上手の水路際にあるもので、この時まではこの木しか見ていなかった。5枚目は同じ木を2013年の夏7月15日に撮ったもので、根元の周辺はクズに被われている。
2014年4月は中旬と下旬の2度、ガス橋方面を見に行くため、この前を通っているが、興味が無く殆ど確認をしていなかった。

ところが5月下旬にギシギシ類の最終とりまとめのため、また矢口橋までの左岸の詳細調査に出たところ、多摩川大橋を潜り抜けた先から、矢口橋に至るまでの河川敷の水路際に、夥しい数の赤い実を付けた木を何本も見て、河川敷に植えられた4、5本の大きな木や、川岸の荒れ地に自生した数本の木がいずれもヤマグワであり、この間にヤマグワの木は何本もあることを知った。日頃見慣れた六郷地方では、川の高木といえばトウネズミモチ、オニグルミ、ヤナギ類などであるため見損じていたが、多摩川大橋から矢口橋前後までの間では、ヤマグワが最も多く、その本数はオニグルミを凌いでいる。これらの木は全て赤い実を付けていたことから、雄株は存在せず、おそらくこれらの木は全て雌雄両性株ではないかと思う。

昨年注目していた矢口橋上手の一株も、案の定赤い実を付けていて、昨年の見立てが誤っていたことが証明された。実の色は様々で、すでに熟した黒紫色に近い色に変わっているものも多く見られ、その一方脱色したように白色に近い薄黄土色のものも結構見られた。



左の写真は同じ木を同じ年の夏(2013年7月15日)に撮ったもの。この木は護岸の無い崖状の岸辺に生えているが、夏には地面の周囲はクズに覆われてしまう。
六郷橋緑地の散策路の角にある大きなヤマグワは、2014年にアレチウリに上られ、半分以上の枝がアレチウリに被われて光合成を絶たれ枯れてしまった。ここのクズは未だヤマグワの木に巻き付き上ってくるまでには至っていないので、周辺住民の誰かが取り除いているのかも知れない。然し、たとえ上られなくても地面を被われてしまうだけで木が精彩を欠いてしまう例を、大師橋緑地先のアカメガシワ(雄株)で見ているだけに心配だ。

6枚目以降の写真は、いずれも2014年5月下旬の撮影で、上の方には多摩川大橋から矢口橋までの間で見られるヤマグワの木を3株紹介し、次にそれらで見られる実の様子を載せている。





ヤマグワの葉は奇妙で、通常卵形をした大きな葉で全周の縁に鋸歯が見られるものだが、若い木では3裂した葉も見られるし、木によってはもっと多くに裂けた葉も見られ、葉によってヤマグワの木を特徴づけることはできない。
一つの枝に異なる葉が付くことはない、という記述を見たことがあるが、それは誤りで、すぐ下の写真にあるように、この枝では先端に丸い葉が見られるものの、後方の葉は皆3裂している。








ここから下の3枚は南六郷の写真。昭和初期の水路の異常掘削の痕跡をとどめる、岸辺の散策路の不自然な屈曲が見られる角に近い護岸縁に大きなヤマグワの木がある。左の写真は堤防側から遠望したもので、木の左側2/3程度がヤマグワになる。やゝ色が薄く見える部分はビワの木で、その間にHLの小屋が作られている。(背後の高層ビルは本流を越えた対岸のスーパー堤防上に作られている「港町駅前トリプルタワーズマンション」の一棟)
このヤマグワの背後は汚いヨシに覆われた泥沼のようになっている。この辺りは大正時代までの蛇行水路の時期には左岸の陸地だったが、昭和10年代に異常な掘削による水域の拡幅が行われ、この角から六郷橋までの残された部分は激しい浸蝕を受けて水路が出来、湿地のようになった。やがて掘削された部分に堆積が進んで旧水路に沿って洲が発達し、これが本流の新たな左岸が形成するようになっていった。六郷橋側の浸蝕地も埋め立てられ削平されて平坦な陸地を回復するが、異常な掘削を受けて水路に編入された方は湿地となり、新しい左岸と河川敷の間に挟まれた干潟を形成するようになるが、この塩沼地は六郷水門側に唯一本流との出入口を持つ潟湖状となったため、このヤマグワの背後辺りの最奥部は既に堆積が進んで、満潮時にも水面が見えない泥沼状になっている。

この干潟一帯もかつて掘削された直後には本流の一部であったため、石の護岸が作られていたが、この辺りでは旧護岸はもう殆ど埋まってしまっていて、上端部が辛うじて確認できるかというような状況にある。下手の雑色ポンプ所前から下手側に六郷水門までの間は、年々幅を狭めてはいるが、満潮時には未だ水域となる部分を残していて、この部分では雑色ポンプ所の排水樋管を暗渠にして、河川敷の地下を六郷水門水路まで引いていく工事が行われた際、同時に護岸が改修され、小石を詰めた籠形式の素材で護岸が形成された。国交省・京浜河川事務所は水路と岸辺の散策路の間を手付かずの荒れ地として放置しているので、湿地だった頃に多く見られた多様な植物種は皆姿を消し、ゴミだらけの岸辺界隈は悉くヨシに席巻され、味気ない単調な植生に代わっている。


(戻る) 


   [参考集・目次]