<参考26>  河川敷の春から初夏にかけての草木と花


     【ユキノシタ科】  アジサイ属 : アジサイ (参考)

 

ここから上8枚の写真は多摩川台公園の下手端にある紫陽花苑で撮った。多摩川台公園でのアジサイの撮影は、2002年から2007年まで(2006年を除く)5年間行ったが、年々寂れていくような感じだったので、2008年以後は見に行っていない。
1枚目、2枚目、7枚目、8枚目は2005年6月中旬、3枚目、4枚目、5枚目、6枚目は2004年6月中旬の撮影。

アジサイの原産地は日本で、原種は三浦半島や伊豆半島、房総半島などの海岸に自生するガクアジサイ。
アジサイはシーボルトの時代以前に中国経由で既にヨーロッパに持ち込まれていたようで、欧州で様々に品種改良が行われ、多様な色を持ったアジサイが作られ、逆輸入されるようになった。これらはセイヨウアジサイ(ハイドランジア)と呼ばれている。
現代ではアジサイと言うとホンアジサイ(後述)やセイヨウアジサイのことを指すようになり、ガクアジサイはむしろ特殊扱いのようにガクアジサイと呼ばれ、かつてとは立場が逆転している。

ガクアジサイでは中央部の密集した部分は両性花だが、周囲に額縁のように並んでいるのは装飾花で、ガクが変性して花弁のように見せているが結実するような花ではない。
ガクアジサイから変化し、周囲の装飾花が発達して全体を被うようになり、花序が球形となったアジサイは「手まり咲き」と呼ばれるが、このように外表部が全て装飾花となり花序が球形となったアジサイをガクアジサイと区別するために、ホンアジサイと呼ぶことがある。(ホンアジサイはガクアジサイから変性して手毬咲となったものが起原と考えるのが通説だが、ホンアジサイはそれ自身で自生しているとする説もある。)

ホンアジサイは「手まり咲き」が逆輸入されるようになって園芸種としての人気が高まるが、装飾花が主体であるため種子は出来にくく、挿し木や株分けなどによって増やすようになっているという。

アジサイの名前の由来は、藍色の花が密集している花の姿から、アズサイと呼ばれていたものが後年アジサイになったとするのが通説。
Wikiによれば、万葉集では「味狭藍」「安治佐為」などと書かれていたという。現在普通に用いられている「紫陽花」の字は平安時代に一部で誤って使われたものが起原で、その後広まったものという。平安時代に編纂された日本最古の「漢和辞典」では、「安知佐井」のほか「止毛久佐」の字があてられているらしい。

私が子供の頃にはセイヨウアジサイなどは無かったので、アジサイと言えば青い花のものしかイメージ出来なかった。花の色といえば赤や黄色、紫など青空に映える派手な色のものが多く、青い色の花は珍しい。今でもアジサイ以外では、アサガオ、ヤグルマソウ、ネモフィラ、オオイヌノフグリなど青い色の花は幾つも思いつかない。
アジサイの色素はブルーベリーやビルベリーで一躍有名になったアントシアニンだが、これが青い色を発現するためには、補助物質としてアルミニウムイオンが必要であることが分かっている。土壌にアルミニウムイオンが不足する場合には明礬などを利用して硫酸アルミニウムとして施肥する。
アルミニウムがイオン化するためには土壌が酸性になっていることが必要で、酸性の土壌でないと青い色のアジサイは維持できないことになる。
鎌倉のアジサイ寺として知られる名月院は、ほゞ青いアジサイで埋め尽くされているらしいが、この青い色を堅持するために、相応の土壌管理を行っているとどこかで聞いたことがある。


アジサイは別名シチヘンゲ(七変化)と呼ばれる。花の色がそれだけ変化するということに由来する。
実際赤いアジサイは咲き始めから、衰えて精彩を欠くまでの間に花の色は微妙に変化していく。毎年見ていても、見に行く日が数日ずれたりしているもので、今年の赤は昨年ほど綺麗ではないなのどと思ったりしがちだが、実際には見ている日が、花の生涯に於いて異なる時期に当たるものを見ているためであることが多い。

色素は単一の表現ではなく、生涯を通じて微妙に変化していく。したがって若い時期に見た色調と、成熟期の色調は異なるし、最盛期を過ぎた時期には更に色調が変わっていく。日毎に色調は変わっていくので、どの時点でその花を見たかによって、違う花のように見えてしまう。赤い種に於いて、色調の差が最も顕著に表れるように思う。

そんな訳でアジサイの元来の花言葉は「移り気」だった。
然し、近年の品種改良の進展により、アジサイの新品種はかつてのアジサイとは印象が一変し、花の形や開花の時期が様変わりしたものが出回り、母の日の贈答用としてカーネーションやランに次ぐ人気種となったりした。
このような状況を受けてのことと思われるが、アジサイの花言葉も色別に「元気な女性」「辛抱強い愛情」など、また色を問わずに「家族団欒」という風に、好感度をもって受け入れられるようなものが付け加えられるようになった。



多摩川の汽水域の河川敷でも結構あちこちでアジサイを目にする。全て人手による植樹であるが、何故アジサイを植えるのかその意図は理解しにくい。紫陽花の持つ雰囲気は、平面の炎天下という環境にはそぐわないし、それなりの管理努力をしなければ、ただ植えて放置しておいて綺麗に咲くとも思えない。

ここからの2枚は仲六郷4丁目地先、通称バイオリン公園の京急側の角に植えられているアジサイで2014年6月9日に撮影したもの。上の写真では遠く右端に六郷橋の橋台が見えている。下の写真で遠くに見えている高層ビルは右岸側の港町スーパー堤防に建設中のリヴァリエの一棟。
ここのアジサイは確か過去にはもっと青く見えた年があったような記憶があるが、何時頃のことだったか定かでには思い出せない。 この年はこんな風で、黄色掛かった白色と、やゝブルーが掛かってピンクっぽい白色の花が同時に咲いていた。

この角にはユキヤナギ(この特集にも参考として載せてある)も植わっている。JRと京急の橋梁に挟まれた芝地の簡易公園だが、隅っこにアジサイがあっても無くても殆ど何の影響もなく無駄だと思う。

ここからの3枚は多摩川大橋の上手にある簡易公園で、2014年に河川敷の澪筋側の端にかなりの本数が植えられた時、2014年6月13日にそこから一部を撮ったもの。
3枚目に載せてあるように、普通の手毬咲のものも植えられていたが、これは本流側の散策路に接した奥まった側で、河川敷の端の広い側に多く植えられていたのは全てガクアジサイだった。

これはガクアジサイから中央の両性花をズームで撮ったもの。これは結実できる花で、花弁やオシベなどが見える。
ガクアジサイの外側にある大きな花びらや、手毬咲の花びらは全て装飾花で、見た目は花びらのように見えるがガクが変性したものである。装飾花は次世代を残す目的を持った本来の花ではないので結実はしない。

アジサイは日本の固有種だが、これを直接ヨーロッパに紹介したのはシーボルトとされる。彼は「日本植物誌」の中で数千種類の植物を記載していると言われるが、アジサイについて新種記載した際に Hydrangea otaksa と命名していた。牧野富太郎博士はこれはシーボルトが在留中に娘をもうけた日本人女性楠本滝の名前「滝」(オタキサン)を潜ませて付けたものと推測している。この学名(ハイドランジア・オタクサ)は後にシノニムと判明して無効となった。
正式な学名はガクアジサイは Hydrangea macrophylla f.normalis、ホンアジサイの方は Hydrangea macrophylla var.macrophylla となっている。日本原産のアジサイはシーボルト以前に既に中国に渡り、その後中国からヨーロッパに伝わった。欧州で品種改良されたホンアジサイの方が先に命名されてしまったため、亜種ながらこちらが基種であるかのような命名になったのはそうした経緯による。ただし双方には遺伝子的な差異は無いとされ、いずれ分類法がAPG体系に収斂されていけば、双方は Hydrangea macrophylla で統一されることになるかも知れない。
 (APG体系については、ゴマノハグサ科フジウツギ属(ブッドレア)の項を参照)

ここからの3枚は西六郷4丁目地先の多摩川緑地と本流を仕切る土手の上にかなりの数があるもので、2014年8月3日に撮ったもの。
白から黄色掛かった花の色や、ピラミッド型といわれる八重咲の形などからはカシワバアジサイ(柏葉アジサイ)と呼ばれる品種に似ているが、園芸種の柏葉アジサイは色がつまらないせいか、形が色々に凝ったものが多く、手毬咲とは言っても球形ではなく、三角錐のようなものや、塔状、房状など多様な花序が密集しているのが普通で、ここで見るようなガクアジサイのような恰好のものは見ない。これが本当にカシワバアジサイかどうかは不明だ。

写真を撮ったのが8月初めということで、もうアジサイの花としては最盛期を過ぎていて、末期に撮っているだけに不明な点が多いのは止むを得ない。HLの家の生垣のような扱いだが、園芸種という扱いとは異なる環境で、何か野性に戻ったアジサイという感じがする。


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