<参考26>  河川敷の春から初夏にかけての草木と花


     【トウダイグサ科】  アカメガシワ属 : アカメガシワ

 

アカメガシワは東アジアの温帯から亜熱帯に分布する落葉高木。(別名:サイモリバ(菜盛葉)、ゴサイバ(五菜葉)、ヒサギ(久木))
アカメガシワは、森林火災や豪雨とか大震災などによって生じた崩落地、或いは森林伐採の跡地など何らかの撹乱によって、裸地や荒地と化した土地にいち早く進出して、安定した森林ができるまでの期間に生育する樹木の一種で、いわゆる先駆樹種(パイオニア樹種)と呼ばれるものの代表格である。
先駆樹種には陽樹と呼ばれ、日照が十分に確保されるような環境を生育条件とする種が多い。先駆樹種は乾燥や強風、貧栄養土壌などの厳しい条件には強く、土壌改良には貢献するが、寿命は短く自らで森林を形成することはない。アカマツやシラカンバなどが良く知られるが、河川敷の放置された草地などでは、アカメガシワの他にヌルデやクサギなどが知られる。

この界隈では、アカメガシワは南六郷の直立護岸にある他、六郷橋に近い方に数本、西六郷にも多摩川緑地の土手上にも2本の大きな木がある。ヌルデは西六郷の安養寺の前辺り、クサギは南六郷の雑色ポンプ所の上手にそれぞれ10本程度が並んでいる。

この特集ページの一大拡充は、ウラギクの保全から手が抜けるようになった2013年に始めたが、植物に詳しいという経歴が無く、多摩川の自然を守る会の先輩に都度お願いし助けらながらの拡充だったので、主要部の中にもあちこち抜け落ちたものがあり、2014年にその補充を行うという2年掛かりの作業となった。

このアカメガシワについては、2013年の初夏の頃から撮り始めたが、生態をよく掌握しきれていないまま適当に撮っていたので、その年の内容は極めて不十分なものだった。そこで2014年はアカメガシワの生態について勉強し、その全容についてある程度理解した上で、和名の由来となっている赤い新芽(その前の冬芽の段階)から撮り始めた。
2014年6月初めに花が咲き始めてみると、多摩川緑地から六郷橋緑地に至る範囲にある数十本の木は全て雌株であることが分かって、雌花の撮影を続けると同時に雄株の捜索を行った。
6月中旬に川下側の本羽田で雄株を見付け、念願の雄花を撮ることが出来て、すべての流れを追うことが出来る形になった。以下は2014年の撮影写真を主体に、撮っていなかった合間や広角写真などについて2013年に撮ってあった写真を補完的に入れ込む形で季節順に並べてある。

新芽が赤いという草木はそう珍しいものではない。近年では西六郷側の堤防法面で、除草後真っ先に出てくる種の中にイタドリがあり、その増殖振りは目を引くほど顕著だが、このイタドリも芽生えの時期には赤紫色をしている。
赤く見えるということは、赤い光線をはね返しているということだが、本来植物は主として赤い光を取り込んで光合成を行う。それを敢てはね返しているということは、未だ太陽光を取り込むだけのシステムが出来上がっておらず、新芽を保護する機能が働いているものと考えられる。
アカメガシワの場合、新芽の表面は赤い星状毛にびっしりと覆われていて、それがアカメとして見えることになる。やがて十分に葉が成長してくると、この赤い毛は剥がれて下地の緑色が現れて、普通の緑色の葉に換わる。
イタドリの場合でも、新芽の赤紫色目立つが、堤防法面を下から見上げても、イタドリの存在が分かる程度に成長した株はもう普通の緑色をしている。

アカメガシワは先駆樹種として知られるが、先駆樹種は陽樹である場合が多い。森林樹木に比べれば余計に太陽光を必要とする樹種だけに、太陽光を取り込む機構は十分発達している筈なのにと思ってしまうが、強い光線にも耐えられるシステムなればこそ、その完成には太陽光を躱(かわ)しながらも、太陽光を浴びなければ完成できないような、何か特異なシステムを作っているのではないかと想像させる。

アカメガシワの学名は Mallotus Japonicus と日本が種名になっている。
江戸時代(17C末から19C前半の頃)、長崎の出島に来て、日本の植物などをヨーロッパに紹介した3名の博物学者は「出島の三学者」と呼ばれている。三名は古い順に、ケンペル、ツンベルク(トゥーンベリ)、シーボルトのことを言う。(シーボルトは有名だし、ケンペルについてはこの特集と並ぶ『<参考39>「生きた化石」イチョウの歴史』の中で詳細に紹介している。)
アカメガシワを命名したのはツンベルクで、彼は1年余りしか日本に居なかったが、江戸に参府し徳川家治に謁見している。その道中(4〜5月頃)箱根近辺で多くの植物を採集し、その観察記録を中心にした「日本植物誌」を発表したが。200種近い植物が取り上げられていて、ケンペルの「廻国奇観」後の日本を知る貴重な資料として高い評価を受けた。

アカメガシワの学名は正式には Mallotus japonicus (Thunb.) Mull.Arg. と書かれる。(Thunb.) の部分は命名者がカール・ツンベルク(Carl Peter Thunberg)であることを示し、 Mull.Arg.の部分は、その後ジャン・ミューラー(Jean Muller:正確には u ではなく上にウムラウトが付)が何らかの変更(属の扱いなど)をして最終的に記載したことを示している。
カール・ツンベルクはスウェーデン人で、リンネに師事して植物学を修めたという経歴にあるように18C後期の学者で、彼が箱根界隈で収集した植物種の標本は今も、かつて彼が学長に就任していたことのあるウプサラ大学に保存されているという。(カール・フォン・リンネは18Cを通じ主としてウプサラ大学をベースに活動している。)
ジャン・ミューラーはスイスの植物学者で、19Cの中後半の時代にヨーロッパ各地で研究活動を行っている。

ここまでの冬芽から新芽(赤芽)の写真と、以下に掲載した雌花から痩果、種子の写真は、全て、南六郷の直立護岸上にある木で撮った。その下の木(雄株)の全景から雄花の写真は全て本羽田の木で撮った。
新芽についての写真は、上の4枚が4月初旬、次の2枚は4月中旬である。ただし赤芽はこの時期で完全に終わる訳ではなく、周囲が緑色の葉に被われてきた後でも、新芽が出てくる度に赤芽が見られた。

花は雄花雌花とも花弁は無く、雌花では円錐形の花序に乳頭状の突起が密生し、花柱の先端は3本に分岐する。
左から3枚は6月9日、その下の4枚は6月15日の撮影で、雌花が出来上がっていく時期の様子を撮っている。
早い時期のものは突起が出ただけのサンゴのような形状で、この突起はメシベになり、いわばメシベだけで花序を形成していくわけだが、やがてメシベの先端は3本に分岐して真横に開伸びていく。このヒトデのような部分が花粉を受け取る器官になっているようだ。






この左の写真までが6月初旬から中旬に掛けての、南六郷(六郷橋緑地)の直立護岸上にある雌株の出来るまでを撮った写真になる。
ここから下8枚は本羽田(大師橋緑地)の散策路脇の本流側にある雄株の写真である。撮影時期は6月中旬で丁度雌株の方で雌花が出来上がった時期になる。

アカメガシワは雌雄異株で、西六郷から南六郷にかけて、この特集がメインの対象範囲としている区間にある木は全て雌株で、2013年には雌花しか撮ることが出来なかった。然し2013年に直立護岸の川岸に陣取るこの株を観察していたところ、雌花は痩果を形成し種子を飛ばしていた。従ってどこかに雄株がある筈だと思い、2014年に雌花が出始めた頃詳しく見て回ったが発見出来ず6月中旬に六郷水門を超えて大師橋緑地に入り、本羽田1丁目辺りの川沿いを調べに行った。
その結果、本羽田1丁目と2丁目の堺目辺りで、遂にこの雄株を発見した。ここで多数のオシベが放射状に長く伸び、葯が球面展開する念願の雄花を撮ることが出来た。未だ玉のような形のものも多くあったが、この所強風が続き、木の下には千切れて叩き落とされた雄花の断片が一面に広がっていた。
アカメガシワは必ずしも河原にしか無いという木ではないし、この木の花粉が南六郷の直立護岸まで飛んで受粉されたとは勿論言い切れない。南六郷の直立護岸上にある雌株とこの雄株との直線距離は凡そ1キロメートルある。仮にこの雄株が飛ばす花粉に期待してということになると、真東からの相当持続的な強風が必要だ。

アカメガシワは蜜腺を持っているが、当地の場合、蟻に媒介を期待することは不可能だ。南六郷3丁目から本羽田1丁目までの間には、六郷ポンプ所の排水路と六郷水門水路の2ヶ所に河川敷を遮る水路があり、距離が遠いこともさることながら、蟻のような地上を這う虫が安易に行き来できる状況にはない。
西六郷の多摩川緑地と本流を仕切る土手の上に、かなり大きくなったアカメガシワがあり、いずれも雌株で同じ頃、雌花を多くつけていたが、結局受粉することは出来なかったとみえ、南六郷の雌花のように子房を膨らませ、刮ハを作ることは無かった。(右岸側の状況を調べていないので、あくまでこのことだけからだが)何故か雄株が少ないという現実があるように思う。







上の写真までが雄花の写真で、ここからの32枚は、南六郷3丁目の直立護岸上にある雌株での観察。雌花が受粉して果実を作り、刮ハが割れて種子を剥き出しにするまでの推移を示している。
とりあえずここから7枚は2014年6月下旬の撮影。

この直立護岸があるのは本流の岸ではなく、昭和の初期に左岸側の六郷橋の下手で意図不明の異常な掘削による本流の水域拡大が行われた名残で、かつての左岸に沿った位置に中洲が堆積して陸化し、本流から遮られた水域が潟湖型の塩湿地のようになり、干潮時には干上がって干潟となり、満潮時には六郷水門側の繋ぎ部から注水されて潟湖のようになる。
上手側の(潟湖の奥側にあたる)半分は既に堆積が進んで、泥沼のようになり汚いヨシに覆われて水域は無く、下手側の半分も旧中洲側からヨシが広がってきて、年々泥干潟は固くなり、満潮時の水域の幅も減じてきている。左の写真で見えているヨシの群落は新たな左岸で、その向こう側に本流があり、見えている建物は右岸の東門前辺りになる。

受粉した雌花は三叉の下にある子房から軟針状の突起を多く出す。三叉は赤く変色するものが多いが、必ずしもすべての花で変色が見られる訳ではなく、赤くなったものもそうでないものも同じように推移する。この変色がどのような意味を持っているのかは不明だ。





ここから下の6枚は7月2日の撮影。上の写真で子房の周囲に軟針が出始めた(受粉の表徴か)時点から一週間程度しか経っていないが、かなりの花序で子房が膨らみ、既に刮ハを形成している様子が見られる。
球形の刮ハの色は皆緑色だが、表面から多くの軟針が出て、またメシベの先端を形成していた三叉もそのまま刮ハに貼りついている。赤いものが目立つが地味な色のままのものもある。





この写真の色は変わっているが、特に画像処理した訳ではなく、この上の写真に引き続き撮ったもので、この後に撮ったものも同じような色に写った。上の写真は夕方の4時台でズーム写真は全て強制フラッシュ撮影でシャッタースピードは100分の1程度になっている。それに対し以後の写真は時刻は5時台に入っていて、フラッシュは立ち上げずに、地の光量で撮ったもので、シャッタースピードは50分の1程度と遅くなっているが、ブレは起こしていないので採用した。
デジカメは暗視能力が高いので、この向きなら十分明るいとみて、フラッシュを焚かずに撮ってみたものだが、結果的にはフラッシュを焚かなかったこの色の方が妙に芸術的になって、フラッシュを焚いた上の写真の方が現実の色に近い色で撮れている。

ここからの3枚は前年の2013年7月17日の撮影。2014年には7月中旬に撮ったものが無かったので、ここには前年の写真を挿入した。特に変わったことは無いが、たまたま2014年には対象の詳細解明に注力し、広角で撮った写真が殆ど無かったので丁度よかった。



ここの2枚は2014年7月29日の撮影。刮ハが十分な大きさに成長して、果実は密集し互いに押合って房は塊のようになっている。


此処からの3枚は前年の2013年8月9日の撮影。この頃に先行して熟した刮ハから、割れて種子が剥き出しになる現象が始まっている。この頃の僅かの期間、未だ刮ハである房と、刮ハの皮が割れて黒い種子が剥き出しになった房が同時に存在する。



ここからの5枚は2014年8月7日の撮影で、剥き出された種子の状態をズームすることに注力して撮った。

種子はいずれも表面が油で黒光りしている。実際この種子を爪で割ると、中には白い中心部があるが、指先は油だらけになる。実際この種子は中心部以外は全て油で満たされているのではないかという気がする。

剥き出しになった種子は、如何にも直ぐとれて落ちてしまいそうに見えるが、これはなかなかそういうものではなく、この見掛けで、実際には未だ殻にしっかり繋ぎとめられている。

この写真には黒光りしている種子の外に、茶色い縮れて凋んだような不出来のものが多く写っている。はっきりしたもの以外にも、不出来があったことを伺わせる痕跡程度のものも見られる。

この写真で中央の3個の塊りは、はっきり一つの刮ハから出てきたことを示している。刮ハがはっきり3裂したという所までは明瞭ではないが、割れた刮ハの殻の残骸がどのような形をしているのかはっきり分かるようなものは殆ど無い。野の環境で翻弄されながら生育している木なればこその乱れは、アカメガシワに限ったことではなく、植物園で撮れるような写真はいずれにしても期待は出来ない。
その上の種子が2個の例や、刮ハから出てくる種子が1個しかない場合も少なくない。不足する分は既に落ちてしまったと考えるより、刮ハの中で育たなかったと考えるべきだろう。

この写真は面白い。刮ハは若い内はほゞ球形に見えるが、この写真にあるように、割れる直前頃になると、内部の種子が十分成長して、その個数によって外形がそれに添った形になってくる。この場合は刮ハの中には種子が3個あると推測される。
刮ハ一個に対する種子の数は、原則としては3個なのだろうと思う。然し受粉とこ関係は分からないが、すべての刮ハで3個の種子が出来上がる訳ではなく、1個或は2個の種子が不出来となり、結果として刮ハが割れる時点で、種子が1個或は2個しか出てこない場合も普通に起きるのだと思う。

ここからの5枚は2014年8月11日の撮影。果実が剥き出しになった房の全体的な雰囲気も分かるような撮った。

どの房も大概、種子が鈴生りの状態で、今にも落ちていきそうに思うが、実際はこの状態でかなりの期間継続する。

一寸引っ張った程度では種子はとれてこない。どうやら短い紐のようなもので殻に繋ぎとめられていて、普通の風程度ではとれてしまうような状態ではない。

この写真では種子はぶら下がっているような感じが見えている。この種子は下に落ちてしまうことを最も嫌っていることが分かる。落ちてしまうと精々転がっても、移動距離は高が知れている。この親木の陰に入る程度の場所は失敗で、殆どが埋土種子になるしかない。
鳥が来て強制的に食べて遠くに持っていってもらうことが理想なのだろうと思うが、鳥が食べた場合どうなるのだろうか。全部が消化されてしまっては意味が無いし、そうかといってそっくり吐き出すようでは、鳥にとっては食べる意味が無い。

この写真では、一番下に種子を繋ぎ止めている紐状のものが、幾らか伸びて露出されてしまっている。紐は白く透明に近く鳥にとって困難を意識させないような配慮がある。
一番下の割れ始めたように見える刮ハは、内部に3個の種子があると想像させる大きさで、その上の刮ハは球形に近く、種子は1個しかないかも知れない。

2014年8月中旬の頃、南六郷のアカメガシワはまた雌花を付け始めた。今や種子を剥き出しにして最終段階に到達しているかつての花枝は、既にはるか内部になっている。2か月以上前、この木が花を付け始めた時、それは多くの枝の枝先だった。だがこの木は枝の中途から出た枝が主要部になっていき、その途中からまた次の枝が出て上へと伸び主役が交代する。
この時期までに新たな枝が次々に出ては伸びたが、今その殆どすべての新しい枝の先端に花が形成されている。第一次の花が結実した房はもう中の方に包み込まれてしまったかのようだ。然し結実に成功したのに何故また第二次の交配に備えるのだろうか。確かにこの木は夏にひどく風害にやられた。人では折れないような太い枝が何本も折られて枯れた。折られた枝には刮ハが鈴生りだったし、種子を剥き出しながら未だ折られるものがあった。パイオニア植物にとってこれは宿命なのかも知れない。だがこの木の事情だけで第二次を試みても相手が居なければどうしようもない。果たして雄花も第二次があるのだろうか。

(私の住んでいる近所のマンションにアカメガシワの雌株が植えてあり、南六郷のアカメガシワとほゞ同じ経緯を辿ってきて、種子の房を抱えている状態だが、今新たに雌花を咲かせる気配は全く無い。)
東六郷地先(六郷橋の川下)のアカメガシワも種子の状況は南六郷直立護岸上のアカメガシワと似ているが、新たに雌花を出し始めたというほど大袈裟なことは無かったものの、雌花が一枝咲いていた。緑色の刮ハも一枝あった。
西六郷地先(本流岸の土手上)のアカメガシワはHLの家屋に取り込まれた形の大木の他に、見逃していたのが1本あった。これは様子がかなり違っていて、大半の枝先に枯れた花序のようなものが認められる。これが種子を飛ばした後の殻の痕跡なのか、受粉できなかった雌花の遺骸なのか判然としない。ただ特徴的なのは、種子を抱いているような木では種子となったかつての花序は、その後の新しい枝の進展によって下がった位置になっているが、西六郷のアカメガシワでは不明な残骸は全て枝先に突き出て見える形にような形になっている。

雌花は出始め時は枝先に花枝を伸ばし、上に伸びた花枝の下の方では、横に向けて分岐した花枝も出てくる。花枝からは多くのメシベが突起状に出てきて、突起の先端は3つに分岐し、横に開いてメシベが完成し、メシベだけからなる総状花序が形成される。



既に子房が膨らみつつあるのではないかと思わせる花もあり、子房の表面からは針状の突起が出始めている。

これは既に完成した刮ハだが、花枝には3つしか付いていない。こんな少数のものは初めてだが、今この形になっているということは、時期的に第二次が始まるより少し前に受粉したとしか思えない。

南六郷のアカメガシワの雌株だけが勝手に雌花を咲かせているのか、花粉が飛んでくる当てがあってのことなのだろうか。雄株といえば本羽田川縁の荒れ地にある木しか知らないので、ともかく確認のためその木を見に行くことにした。
行ったのは上に載せた南六郷の雌花を撮ったのと同じ2014年8月21日だった。

花は殆ど無かった。ただ左の写真が象徴しているように、花の気配が無いということではなく、ほゞ終わったという状況だった。左の花枝は丸いのは蕾だが、小さな突起だけになっているのは、花が散った跡で、これが多いだけでなく、花枝自身もあまり見られなかった。
6月から今まで花が咲き続けてきたとは想像し難い。然し一旦終わった後で、また(どの程度だったかは分からないが)咲き始めたとしたら、その理由はどういうことなのだろうか。何にしてもまた雄花が咲いて花粉を飛ばしたとすれば、雌花がそれを期待して、また受粉の体制を採っていることは理由があるが、時期が微妙にズレていることはどういうことなのだろうか。雄花が殆ど終わりになる頃に、雌花が最盛期を迎えることは不思議である。(第一次の場合には、どちらも6月初旬頃に咲き始め、6月中旬頃が同時に最盛期を迎えていたように思うので、アカメガシワ特有の事情で雄花が先行するとは言えない。)

雄花の花が出てくるところは新芽の先で、この時期でも新芽は赤い星状毛に覆われている。雌花では花枝にメシベが突起状に出てくるが、雄花では丸い蕾が塊り状になって出てきて、花枝が伸びるに応じて蕾は分離していき、一斉ではなく順不同で開花するようだ。

これは蕾だけで、花枝が徐々に伸びていく途上のもの。



雄花の上にある蕾に注目。丸い蕾からオシベが出てくる初めの様子が見られる。葯が固まって押し出されてくるような形。雄花は放射状に展開するオシベだけでなく、付け根のところに何かある。おそらく蕾を包んでいた外皮が幾つかに裂けて小さな花弁だか、ガクだかに似たような形で留まっているものだろう。

 

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