<参考26>  河川敷の夏から秋にかけての草木と花


     【ニシキギ科】  ニシキギ属 : マサキ・マユミ

 
多摩川緑地の水路側にある土手上の樹林帯の中に、マサキの比較的大きな木が数本ある。マサキは枝葉が密生することから、庭木や生垣などに使用されることが多く、一般に常緑の低木という認識があるが、この土手にある何本かは見上げるほど大きく、低木というイメージではない。
この特集では当初草本に限る予定だったが、川に出たら見られる花を特集するというコンセプトでは、テリハノイバラやイチゴ類、クコ、ピラサンカ、ランタナなどを外す訳にはいかず、どうせ木本としてまとめて載せるなら、オニグルミ、トウネズミモチやヤナギ類など、この辺りに自生している数が多い木本種を積極的に載せ、次いで多摩川の汽水域が近代以降に防災上の観点から大規模改修が行われてきた象徴として、攪乱地への代表的な先駆種である、アカメガシワ、クサギ、ヌルデを載せた。
その後の木本種の取上げかたについては、大田区が河川敷に植えている数の多い種類(シャリンバイやアベリアなど)をのせようかと思ったが、その前に自生風に荒れ地に生えているものを優先して載せることにした。

自生している木本からということで2014年に第一号としてを載せた。(マサキを載せたからという理由で、2015年には必ずしも自生形とは言い難いながら、河川敷で見られるので同属のマユミを載せた。)

左の上から2枚はマサキの蕾で、撮影は2015年6月13日の撮影。もう蕾はかなり膨らんでいつ咲いてもおかしくない状態になっている。
このマサキは多摩川緑地のほゞ中間地点に相当する位置で、堤防とは反対側の散策路沿いで、水域側を仕切るような感じで続いている土手の法尻にある。本来は新規の種の掲載では、先ず全景を撮って載せたいところだが、数本あるこの場所のマサキはいずれも高木化していて、午後の西日になる時間帯では光線の具合もあって、なかなか全体を撮り難い。
そんなわけで、取り敢えずこの日は蕾を撮って良しとし、全体の様子は撮れる時に撮って載せることとした。蕾は白っぽく丸いもので密生している。

ここからの4枚は6月18日の撮影で、咲き始めの様子。花は数は多いが小さいし色も地味なので目立たず、特にこの花を見ようと近づくなどしなければ、知らない人は通り過ぎていく。

花のズームが幾らか黄色っぽいのは、木が影になり暗っぽいのでフラッシュを焚いているためである。デジカメは暗視能力は高いが、三脚など持って行っていないので、露光時間が伸びると、手ブレ補正のレベルを超えて、どうしても写真がボケてしまう。仕方なくフラッシュを焚いて撮ることになるが、フラッシュを焚くと写真の色合いが幾分黄色味掛かる傾向になり、自然の印象とは少し異なるが、暗がりにある小さい花を詳しく観察するためには止むを得ない。

葉は革質で厚みがありサカキのような艶がある。花弁は4枚。中央にメシベらしき突起があり、花弁の境目になる位置の上に4本のオシベが立ち、その先端に葯が認められる。


花が終わった直後には、結実したかどうかは殆ど分からない位実は小さく、初めて見る場合には受粉に失敗したのではないかと思わされる。
冬に綺麗な赤い実を付ける様子が図鑑に載っているので、大いなる期待を持って冬を待つことにした。左の写真は2015年8月26日で、初めて実を確認した時の写真。ここまですっかり忘れてしまっていたので、勿論ここに来るまでにはそれなりの過程があったと思う。

左は11月3日の撮影。1ヶ月以上は経過しているが、実は幾分大きくなったものの感じはそれほど変わってはいない。

左の2枚は上の実を撮った同じ日に、全体の大きさが少しはイメージ出来るような写真として撮った。
上の写真は散策路上で、上手側を向いて撮っている。右下に写っている灌木は、河川敷の端に古くから植えているアベリアで左手側のマサキとの大きさの比較ができる。
下の写真は上を見上げて幾らかズームして撮ったものだが、この大きさでは果実があるかどうかは分からない。花の場合も似たようなことで、この大きさでは存在は分からない。


ここから下の3枚の写真は、年の明けた2015年1月18日で、やっと赤い実に巡り合った初めての頃。
マサキの果実は熟すると4つに裂開し、中から鮮やかな赤い色の仮種皮に包まれた種子が出てくる。やがて脱落していくのだろうが、何故このような方法を採るのか、種子の散布の有効性に関わるマサキの意図は理解できない。
図鑑などでは、果実が綺麗に開裂し、4つの種子が覗いていたり、割れ目からはみ出してきていたりする端正な姿が載せられている。そんな風にイメージを叩き込まれていたので、自ずとそのような綺麗な果実の様子を期待していた。

果実の実際の姿は期待外れだった。赤いものに寄っていくと、それは既に開裂し中の種子が出て行ってしまったあとの殻の残骸である場合が殆どで、偶に未だ種子がくっ付いている場合に出くわしても、種子は一つがやっとで、その格好も端正な姿とは程遠かった。

1月18日に数本のマサキを一渡り見て回ったが、結果は到底納得できるものではなく、二日後にもう一度見に行き、克明に調べてみることにした。その結果前回よりは幾分益しな姿を撮ることは出来たが、それでも裂けた殻は殆どが既に種子が脱落して無くなった後のもので、当初のイメージからは、こんな筈ではなかったのにという大いなる不満が残った。

この日、帰りがけに偶々サッカーグランドを横切る位置で堤防側に戻ろうとして、サッカーグランドを仕切る生垣を見ると、何と全てはマサキだった。これまでずっと散策路際の高木化したマサキのみを見ていた。マサキは生垣に使用されることが多い木であることは知っていたが、大田区が多摩川緑地に植えている生垣は、古くはアベリアを植えていたが、近年では多摩川緑地に限らず、大師橋緑地の方まで殆どがシャリンバイであり、がまさかここでマサキが使用されているとは全く考えもしなかった。

サッカーグランドの生垣は背丈こそ低いものの、囲いや仕切りなど長さがあり、全体としては相当な本数が植えられていることになる。

1月29日にサッカーグランド回りの生垣を重点的に、マサキの果実を調べて回った。多少は手入れが為されているせいか、幾らかは綺麗だという印象だったが、野生環境で風雨に曝されているという環境条件では、散策路脇の荒地の麓にあるものと大差は無く、果実の姿についても本質的な違いまでは感じ取れなかった。



2015年1月29日15時50分、遂にこれを見付けた。ほゞ完璧といえるような姿恰好だった。これまでの探索では、これに近いようなものさえ見付けてはいなかったので、図鑑に載っているようなものは植物園にでも行かなければ見られないのでは・・・、という諦めの境地に陥っていた矢先の発見だった。
これを見付けた周辺に、このような綺麗な実が多くあった訳ではなく、周辺の状況は他所と変わるものではなかったので、正に奇跡的というような発見で、それは歓喜の瞬間だったと言って過言ではない。
もしこの一つの実を発見できずに終わるのと、掲載にこれ一つを加えることが出来るのでは、全体の構成には天地の差を生ずる。この日は時間を掛けて、あっちから、こっちからとこの一つを撮りまくった。
この下の写真もその時に撮ったもので、被写体は同じ実である。


家の近くでもあったので、1月31日に朝9時頃出て、もう一度マサキの実を見に行った。然し結局この一つしか無いことを確認するに終わった。思い出に又この実の場所に戻ってきて何枚か撮った。この写真を撮ったのは9時半だった。

左の写真は同じ1月31日に撮った生垣中の一つ。この実はもう種子を出した後の殻だと思うが、赤さが際立っていて思わず撮った。既に役割を終えたと思われる殻が何故こうも赤いのか、未だ何かやり残していることがあるのか不思議に思えた。

この新芽も同じ2015年1月31日に撮った。実と見間違うほど赤かった。

これは2015年5月17日の撮影。この年はこの通りの六郷橋梁側でカキノキを撮ったり、ナワシロイチゴを撮ったりしていたので、通りすがりにマサキの様子を何回もよく見た。ただ昨年と変わらない様子だったので、あまり繰り返す気持ちにはならず、初夏の蕾の写真1枚と、下に載せた花の写真2枚は、変わらない様子の確認というような位置付けで載せた。

左の花の写真2枚は2015年6月24日の撮影。時期的には昨年撮ったのと同じ頃で、花の数も多く全体の雰囲気は昨年と変わるところはなかった。


 


 

この界隈でマユミがあるのは、六郷橋緑地(南六郷3丁目地先)の中央部、堤防に雑色ポンプ所の排水ゲートがある(排水路は暗渠化されていて河川敷には出ていない)位置で、河川敷を挟んで堤防とは反対側になる散策路と水域の間の荒地。散策路と水域の間の荒地は、点々とHLの入植が見られ、中間部はヨシ、オギその他多様な外来種を主とした雑草帯になっている。
この荒地に接している水域は本流とは別で、今では川下方向の六郷水門の近辺でのみ本流と繋がる潟湖のような形になっている。この水域の起源は、昭和10年代頃に、六郷橋の200メートル余り下手で、ほゞ直角に高水敷が堤防方向に200メートルほど掘削され、以後その線に沿った幅で六郷水門までの高水敷が全て掘削され、掘削された領域が水域に変わって本流に組み込まれた時点にある。
その後堆積が進んで、六郷橋寄りにはヨシの群落が発達し、一方旧水路に沿うように中洲が発達して、本流を遮るように陸部が繋がって新たな左岸が形成され、左岸側に残された水域はやがて塩湿地(干潟)となり、堆積によって六郷橋側で陸化が進み、本流との接合部が埋まって、満潮時には潟湖のようになったものである。

この塩湿地は洪水が起きる度に土砂による堆積が進む状況にあったが、全体が潟湖状になると同時にヨシの一方的な拡充も起きて、湿地の通水性は極端に悪化し、泥沼状態になった区域では、嫌気化によっててヨシが夏枯れを起こすようになった。
然しこうした歴史的な経緯を知らない学者などの提言によって、2007年頃に夏枯れを起こしている近傍のヨシ原で、重機により立て溝が刻まれ、掘った泥やヨシが護岸縁の干潟に運ばれて埋めたてられるという本末転倒な処理が行われた。
その結果、護岸縁の干潟にもヨシが急拡大して、満潮時に浸入にてくる水路の幅は年々狭まる一方、高水敷側にあったウラギク、シオクグ、フトイなど多様な湿生植物は全て絶滅し、植生はヨシのみに偏した極めて異常な姿に変わっていった。

高さが2メートルほどのマユミの木が3本あるこの場所は、ヨシの夏枯れ対策と称して湿地を掘った泥を、旧低水護岸先に捨て、ヨシを誘引する結果となった工事跡に面した高水敷の一部で、地元のバードウォッチャー集団が、HLが入り込む前にと、観察基地を確保すべく整地した特異な区間である。

この場所には園芸種を植えた花壇など人工物があり、このマユミも古くから自生しているとは言い難いものと思い、当初掲載には乗り気ではなかった。然し川で見られる花に違いは無く、前年に多摩川緑地側のマサキを載せた関係もあって、マサキの兄妹分となるマユミも載せようと思うように至った。写真は2015年から撮り始めたものだが、現物はもっと前からあった。

マサキは中国、朝鮮、日本に自生する常緑樹だが、マユミも同じ地域に自生するものの、こちらは落葉樹である。マサキも海岸などに多いとされるが、マユミの方はもっと湿気の多い場所を好む。マユミは真弓の意味で、弓の素材として利用されたことから来ている名前という。
マユミは不完全雌雄異株の例として挙げられる。花は両性花だが、中央の花柱が長い花を付ける株と短い花の株があり、花柱の短い花は結実しにくく、これを敢えて雄株とすると雌雄異株種ということになる。実が綺麗で可愛いので庭木にされることも多いらしいが、出回っているものは殆どが雌株で、ここにある3本もいずれも結実するので雌株ということになる。

上の2枚の蕾の写真は2015年4月25日の撮影で、次の花の写真5枚は同年5月11日の撮影である。開花の時期はマユミの方がマサキより早い。マユミの花もマサキ同様小さく地味な色合いで目立たない。花柱の周りに4本の短いオシベがある。マサキの葯は白っぽいが、マユミの葯は黒っぽい。




ここからの3枚は花後の出来立ての果実の様子で、2015年5月27日の撮影。花はそっくり実になって鈴生りの様子が露骨に分かる。西六郷のマサキは花の直後には、殆ど実の気配が見られなかったが、南六郷のこのマユミは結実した様子が明瞭でマサキとは明らかに異なる。(実の多さは木の生えている土地などの環境や生い立ちに関係しているかも知れないが、種類としての独自性による要素が多いだろう。)

マサキの実は球状だが、マユミの実は特異な4角形をしている。花の要素数は4だが、あの花から2週間ほどでこの形に仕上がる速さは並の性能ではない。



この全景写真は2015年6月7日に撮ったもので、3本ある木の内の1本を撮った。
上の若い実の写真を撮った10日後の撮影で、遠目にも実が鈴生りになっている様子が分かる。

ここから下3枚の写真も上と同じ2015年6月7日に撮ったもので、実の中心に残っていた赤かったメシベの痕跡が脱色し、本体に同化しつつあることが分かる。
実は全体に瑞々しさが失われ、堅い果実の印象が強くなっている。



ここからの3枚は2015年10月20日に撮ったもの。この間徐々に着色し始めていたが、その以外に変化は無くここまでの経過は省略した。
実は4僅かにヒビが入った感じのものもあったが、大半の実は未だ閉じている。正確な色は表現が難しい。この辺りに出向くのは大抵夕方に近い時刻で、夕日を浴びると赤味が濃くでるが、この時点では未だ種子を排出する時点ほどには赤くない。ただ暗くて手振れしそうなケースでフラッシュを焚くとオレンジ系統の色合いが強く出るという傾向がある。




ここからの4枚は2015年11月11日の撮影。この時点では3本中の2本では、既に実殻の開裂が始まっていて、種子が排出されていたが、生憎この時期は、天候の悪い日が続き、夕方ではもう薄暗く、フラッシュを焚かないとブレてしまうケースが多く、止むを得ずフラッシュを焚いて撮っている。

種子は4個で、殻は二つに割れて全てを排出来ればそれでよく、出難い場合には、反割りされた殻が更に二つに割れるケースも見られる。

マサキの場合と同様に、実は自ら殻を割って種子を放出する。このことがマユミの戦略としてどのような意味を持っているのかは、マサキの場合と同様に不明だ。種子は堅く落ちたものは精々転がる程度の事で、種子を遠方に運ぶ手だてが何か秘められているのかどうかは全く疑問だ。


左の1枚は2015年11月12日の撮影。曇天続きで、そのうちに終わってしまうのではないかという危惧があったので、引き続いて撮っていた。

ここから左の6枚は2015年11月21日の撮影。束の間の日差しで、土曜日でもあったので、午後早めに出て、日照で撮った。快晴という訳ではなく、ウロコ雲が出て陰り勝ちという状態で、必ずしも写真に最適という訳ではなかったが、日照のみで十分撮れたので、色は見た目に近い自然な色になったと思う。
送れていた1本の木も実の開裂が起きていて、今や最盛期という感じだった。マサキの場合には実が少なく、開裂して種子が覗くという様子が、必ずしも十分に撮れないが、マユミの方は圧倒的な果実の量があって、種子が出てくる光景を撮るのは比較にならないほど容易だった。

 
左の1本はやゝ遅かった木だが、最も護岸に寄っていて、写真は川下向きで、右下に白っぽく写っているのが、石垣の旧護岸になる。

左は上の木より上手にある2本の内の1本で、こちらは川上向きで、左奥に水域が写っている。遠目にも赤さが際立つ。


実は自重で垂れ下がっていて、普通に撮ると左のように下を向いて撮れてしまう。

殻が割れた状態や種子の様子をズームで撮るためには、下から見上げるようにするか、枝をやゝ上方に持ち上げて撮るしかない。種子は細い紐状のもので繋がっていて、殻が割れるとぶら下がるような状態になるが、程無く紐は切れて種子は落下する。

果実は赤いが、種子は一層赤くしかも光沢がある。

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