<参考26> 河川敷の夏から秋にかけての草木と花
【ニシキギ科】 ニシキギ属 : マサキ・マユミ
左の上から2枚はマサキの蕾で、撮影は2015年6月13日の撮影。もう蕾はかなり膨らんでいつ咲いてもおかしくない状態になっている。
この日、帰りがけに偶々サッカーグランドを横切る位置で堤防側に戻ろうとして、サッカーグランドを仕切る生垣を見ると、何と全てはマサキだった。これまでずっと散策路際の高木化したマサキのみを見ていた。マサキは生垣に使用されることが多い木であることは知っていたが、大田区が多摩川緑地に植えている生垣は、古くはアベリアを植えていたが、近年では多摩川緑地に限らず、大師橋緑地の方まで殆どがシャリンバイであり、がまさかここでマサキが使用されているとは全く考えもしなかった。
高さが2メートルほどのマユミの木が3本あるこの場所は、ヨシの夏枯れ対策と称して湿地を掘った泥を、旧低水護岸先に捨て、ヨシを誘引する結果となった工事跡に面した高水敷の一部で、地元のバードウォッチャー集団が、HLが入り込む前にと、観察基地を確保すべく整地した特異な区間である。
マサキは中国、朝鮮、日本に自生する常緑樹だが、マユミも同じ地域に自生するものの、こちらは落葉樹である。マサキも海岸などに多いとされるが、マユミの方はもっと湿気の多い場所を好む。マユミは真弓の意味で、弓の素材として利用されたことから来ている名前という。
マサキの実は球状だが、マユミの実は特異な4角形をしている。花の要素数は4だが、あの花から2週間ほどでこの形に仕上がる速さは並の性能ではない。
マサキの場合と同様に、実は自ら殻を割って種子を放出する。このことがマユミの戦略としてどのような意味を持っているのかは、マサキの場合と同様に不明だ。種子は堅く落ちたものは精々転がる程度の事で、種子を遠方に運ぶ手だてが何か秘められているのかどうかは全く疑問だ。
この特集では当初草本に限る予定だったが、川に出たら見られる花を特集するというコンセプトでは、テリハノイバラやイチゴ類、クコ、ピラサンカ、ランタナなどを外す訳にはいかず、どうせ木本としてまとめて載せるなら、オニグルミ、トウネズミモチやヤナギ類など、この辺りに自生している数が多い木本種を積極的に載せ、次いで多摩川の汽水域が近代以降に防災上の観点から大規模改修が行われてきた象徴として、攪乱地への代表的な先駆種である、アカメガシワ、クサギ、ヌルデを載せた。
その後の木本種の取上げかたについては、大田区が河川敷に植えている数の多い種類(シャリンバイやアベリアなど)をのせようかと思ったが、その前に自生風に荒れ地に生えているものを優先して載せることにした。
このマサキは多摩川緑地のほゞ中間地点に相当する位置で、堤防とは反対側の散策路沿いで、水域側を仕切るような感じで続いている土手の法尻にある。本来は新規の種の掲載では、先ず全景を撮って載せたいところだが、数本あるこの場所のマサキはいずれも高木化していて、午後の西日になる時間帯では光線の具合もあって、なかなか全体を撮り難い。
そんなわけで、取り敢えずこの日は蕾を撮って良しとし、全体の様子は撮れる時に撮って載せることとした。蕾は白っぽく丸いもので密生している。
冬に綺麗な赤い実を付ける様子が図鑑に載っているので、大いなる期待を持って冬を待つことにした。左の写真は2015年8月26日で、初めて実を確認した時の写真。ここまですっかり忘れてしまっていたので、勿論ここに来るまでにはそれなりの過程があったと思う。
上の写真は散策路上で、上手側を向いて撮っている。右下に写っている灌木は、河川敷の端に古くから植えているアベリアで左手側のマサキとの大きさの比較ができる。
下の写真は上を見上げて幾らかズームして撮ったものだが、この大きさでは果実があるかどうかは分からない。花の場合も似たようなことで、この大きさでは存在は分からない。
マサキの果実は熟すると4つに裂開し、中から鮮やかな赤い色の仮種皮に包まれた種子が出てくる。やがて脱落していくのだろうが、何故このような方法を採るのか、種子の散布の有効性に関わるマサキの意図は理解できない。
図鑑などでは、果実が綺麗に開裂し、4つの種子が覗いていたり、割れ目からはみ出してきていたりする端正な姿が載せられている。そんな風にイメージを叩き込まれていたので、自ずとそのような綺麗な果実の様子を期待していた。
これを見付けた周辺に、このような綺麗な実が多くあった訳ではなく、周辺の状況は他所と変わるものではなかったので、正に奇跡的というような発見で、それは歓喜の瞬間だったと言って過言ではない。
もしこの一つの実を発見できずに終わるのと、掲載にこれ一つを加えることが出来るのでは、全体の構成には天地の差を生ずる。この日は時間を掛けて、あっちから、こっちからとこの一つを撮りまくった。
この下の写真もその時に撮ったもので、被写体は同じ実である。
この荒地に接している水域は本流とは別で、今では川下方向の六郷水門の近辺でのみ本流と繋がる潟湖のような形になっている。この水域の起源は、昭和10年代頃に、六郷橋の200メートル余り下手で、ほゞ直角に高水敷が堤防方向に200メートルほど掘削され、以後その線に沿った幅で六郷水門までの高水敷が全て掘削され、掘削された領域が水域に変わって本流に組み込まれた時点にある。
その後堆積が進んで、六郷橋寄りにはヨシの群落が発達し、一方旧水路に沿うように中洲が発達して、本流を遮るように陸部が繋がって新たな左岸が形成され、左岸側に残された水域はやがて塩湿地(干潟)となり、堆積によって六郷橋側で陸化が進み、本流との接合部が埋まって、満潮時には潟湖のようになったものである。
然しこうした歴史的な経緯を知らない学者などの提言によって、2007年頃に夏枯れを起こしている近傍のヨシ原で、重機により立て溝が刻まれ、掘った泥やヨシが護岸縁の干潟に運ばれて埋めたてられるという本末転倒な処理が行われた。
その結果、護岸縁の干潟にもヨシが急拡大して、満潮時に浸入にてくる水路の幅は年々狭まる一方、高水敷側にあったウラギク、シオクグ、フトイなど多様な湿生植物は全て絶滅し、植生はヨシのみに偏した極めて異常な姿に変わっていった。
マユミは不完全雌雄異株の例として挙げられる。花は両性花だが、中央の花柱が長い花を付ける株と短い花の株があり、花柱の短い花は結実しにくく、これを敢えて雄株とすると雌雄異株種ということになる。実が綺麗で可愛いので庭木にされることも多いらしいが、出回っているものは殆どが雌株で、ここにある3本もいずれも結実するので雌株ということになる。
上の若い実の写真を撮った10日後の撮影で、遠目にも実が鈴生りになっている様子が分かる。
実は全体に瑞々しさが失われ、堅い果実の印象が強くなっている。
実は4僅かにヒビが入った感じのものもあったが、大半の実は未だ閉じている。正確な色は表現が難しい。この辺りに出向くのは大抵夕方に近い時刻で、夕日を浴びると赤味が濃くでるが、この時点では未だ種子を排出する時点ほどには赤くない。ただ暗くて手振れしそうなケースでフラッシュを焚くとオレンジ系統の色合いが強く出るという傾向がある。
送れていた1本の木も実の開裂が起きていて、今や最盛期という感じだった。マサキの場合には実が少なく、開裂して種子が覗くという様子が、必ずしも十分に撮れないが、マユミの方は圧倒的な果実の量があって、種子が出てくる光景を撮るのは比較にならないほど容易だった。
左の1本はやゝ遅かった木だが、最も護岸に寄っていて、写真は川下向きで、右下に白っぽく写っているのが、石垣の旧護岸になる。