<参考26>  河川敷の春から初夏にかけての草木と花


     【ユリ科】  ワスレグサ属 : ヤブカンゾウ

 

イネやムギの栽培に付随する形で入ってきたものが殆どを占める「史前帰化植物」の中で、イネ科の栽培に関係しないものとしてヒガンバナと並び有名なのがこのヤブカンゾウだ。
ヤブカンゾウはユリ科の多年草で原野に自生するとされるが、実際には山奥には無く、人間の生活圏の近傍に限って出現し、オオイヌノフグリ、ホトケノザ、セイヨウタンポポ、セイタカアワダチソウなど並んで「人里植物」と呼ばれる一種に上げられている。

3倍体のため不稔性で種子を作らず、植物図鑑には「根茎から横につる枝を出して繁殖する」などと無性生殖で増えることが書かれているが、匍匐茎を出して広がり、群落を形成するようなケースの説明としては分るものの、現状ではあちこちに点々と(極端には1株ずつで)見られたりするので、どのようにして増えているのか不思議を感じる植物だ。

Wikipedia:ウィキペディアによれば、「人里植物」の英語 Ruderal plants の原意は、路傍や空き地、河川敷などの、農耕地以外で人為的攪乱を受ける場所に生える植物のことを指すという意味だが、「 人里植物」という訳語が使われた結果、刈り込みなどが行われる農地や採草地の植物を人里植物に含めたり、本来の Ruderal plants に含まれる都市部の帰化植物などが人里植物として扱われないなど、英語の Ruderal plants と「人里植物」の用語の範囲にズレが生じているという指摘があるとされる。
Ruderal plants の原意が、生態学において、農地以外の人為的撹乱が多い土地に主に発生する植物のことを指す、ということから、「人里植物」でなく「荒地植物」という呼び方が使われることもあるようで、その意味での代表的な種は、アレチノギク、アレチウリ、オオバコ、ハルシオンなどが上げられている。

広辞苑にはヤブカンゾウについて、「ユリ科の多年草。原野に自生。高さ約80センチメートル。根は黄色、末端は往々塊状となる。葉は狭長。夏、茎頂にユリに似た橙赤色の八重咲きの花を1日だけ開く。若葉は食用。ワスレグサ。カンゾウナ。萱草(けんぞう)」と書いてある。

多摩川汽水域の河原の植物は近代頃に渡来したというものが多いが、ヤブカンゾウは万葉集にも歌われているほど古く、今何故多摩川の汽水域にあちこち見られるようになったのか、必ずしも新しく土を入れた工事跡というところばかりではないので、どういう経緯でこうなったのか不思議に思う。
左の写真の上の方ははいずれも2013年7月初旬に、多摩川緑地の上手、川裏に安養寺(古川薬師)がある辺りの階段護岸で撮ったもの。下の方は少し下手の大田区民広場のある辺りの護岸側雑草帯の中である。

ヤブカンゾウは古くはワスレグサと呼ばれていたようで、中国でこの花を見て憂いを忘れるという故事があって、忘れるに萱の文字を宛てることから萱草(かんぞう)と称したらしい。
今でも稀にヤブカンゾウの別名としてワスレグサが使われることがあるようだが(牧野富太郎博士もワスレグサの方を和名にしたという)、日本ではヤブカンゾウの他ノカンゾウ、ハマカンゾウ、ニッコウキスゲなどこの仲間の総称をワスレグサとしたため、現在ではワスレグサ属として属名にその名が使われている。

ところで日本の植物図鑑ではノカンゾウは本州、四国、九州に分布する日本固有種とするものの、ヤブカンゾウについては中国原産で、有史以前に食用もしくは薬用として持ち込まれ、栽培していたものが逃げ出して野化したと書かれているものが多いが、中国では逆にヤブカンゾウは日本、朝鮮が原産の変異種ではないかとされているという。
実際中国にはヤブカンゾウは自生せず、母種になるホンカンゾウが自生し、萱草と呼ばれれているのはこのホンカンゾウのことを指し、ホンカンゾウの花は一重でヤブカンゾウのような八重ではない。

万葉集で有名な、  青丹よし 寧楽の京師は 咲く花の 薫ふが如く 今盛りなり  (巻3)
(あをによし 奈良の都は咲く花の にほふがごとく今盛りなり)
という歌は大宰府の帥として赴任した大伴旅人の配下だった小野老(おののおゆ)朝臣が詠んだものだが、これに応じて大伴旅人が、忘れようとしても忘れられない都を思う望郷の気持を表し
忘れ草 わが紐に付く香具山の 古(ふ)りにし里を忘れむがため (巻3)
と詠んだと言われている。

巻4には大伴家持の歌として
忘れ草、我が下紐(したひも)に、付けたれど、醜(しこ)の醜草(しこくさ)、言(こと)にしありけり
という歌も載っている。身に付けていたけど、名ばかりのひどい草で、少しもあなたのことが忘れられなかったという意味だが、この草が辛いことを忘れることができる草という言い伝えが一般に浸透していたことを窺わせる。

巻12にも作者不詳ながら
忘れ草 垣も繁みに植えたれど 醜(しこ)の醜草 なお恋にけり
というのもある。
平安時代には藤原兼輔の
かた時も見てなぐさまむ昔より憂へ忘るる草といふなり
古今集には紀貫之の
道しらば摘みにもゆかむ住の江の岸におふてふ恋忘れ草
などがある。

近年各地の植物園などでは、欧州でカンゾウ類を原種として改良された「ヘメロカリス」と総称される園芸種(ヘメロカリスはワスレグサ属の英語名にあたる)の栽培が盛んなようで、様々な品種があり、いずれも花は一重だが、花の姿や花びらの形は様々で、花の色も赤、橙、ムラサキ、ピンク、黄色など多彩なものがあるようだ。

この上の6枚は2013年の撮影で、ここから下の9枚は2014年の撮影。時期は6月末から7月初旬の頃。2014年は前年に増してよく目にするようになった。どこも精々数株程度の規模だが、この時期に赤いヤブカンゾウの花は際立つ。

HLの玄関先に束になって咲いている光景もあるが、さりとて昨年見られた場所が消えてしまったということではないので、掘り出して持って行ってしまったということではないようだ。
左の写真は上の4枚が安養寺前辺りの位置で護岸側の荒れ地に出ているもの、次の1枚は多摩川緑地の本流側を仕切る土手の法面から、その次の2枚は西六郷の植生護岸の最下段近辺に出ているものを撮った。これ以外にも各所に散見され、ここには載せていないが、六郷橋緑地の方でも見られた。







2014年で驚くべきだったのは、7月上旬に、トミンタワーのスーパー堤防がある近辺で、堤防法面(川表の側)に出ていたことだ。この辺りは近年土木工事など土を運び込むことや、攪乱に相当するような行為は一切行われていない。毎年見られるという場所ならいざ知らず、恰も種子が飛んできたかのような草種と変わらない格好で出てくるとは。一体どういう手順でこんなところに球根やランナーが運ばれてくるのだろうか。ヒガンバナに対する疑問と同じ疑問をこのヤブカンゾウにも抱かせる。
唯一想像されるのは、法面を除草する際に使用されているロータリー式の除草車。これが除草の過程で土を引っ掻き回してランナーや宿根の欠片をロータリーに付け、それが取り除かれないまま次の除草面に行って作業することで、付けてきたものを新たな土に撒き込んでいくという可能性だ。

最後に載せた3枚はこの堤防法面に出ていたものを撮った写真。今年のヤブカンゾウの花は、心なしか昨年のものより色が赤っぽいと感じていたが、この堤防法面に出てきたものには、上の2枚のように赤色の薄い系統のものも見られた。



最後の一枚は2014年7月中旬で、場所は同じ西六郷の、堤防裏に安養寺がある辺りの低水路用植生護岸の中。
近年多摩川大橋から多摩川緑地までの間では、護岸側の荒地や堤防法面を問わず、あちこちに結構頻繁に見られるようになっている。

左からの3枚は2016年6月27日、久々にヤブカンゾウを撮ってみようという気分になって、いつものトミンタワー下手辺りの堤防法面で撮った。
花数は数十位株程度あって、ここは例年見られることで、定期的な除草が行われる場所ながらすっかり定着した感がある。



 


 

     【ユリ科】  ヒヤシンス属 : ハナニラ

 

ハナニラはクロンキスト体系による古い分類ではユリ科に属するが、遺伝子解析に基づくAPG植物分類体系の最新版では、スイセン属などと同じヒガンバナ科に属するとされている。逆にスイセン属はハナニラ同様APG体系ではヒガンバナ属に属するとされるが、クロンキスト体系ではユリ科に属するとされていた。
従ってAPG植物分類体系によればどちらもヒガンバナ科に属するものを、一方は古いクロンキスト体系に従ってユリ科に属すると分類して載せているのは矛盾であり、正確に言えば正しくない。然し現在の図鑑でも、ユリ科にヒガンバナ属を立てるものが少なくなく、そうした場合にはハナニラはヒガンバナ属の一種とするので、勢いハナニラはユリ科に記載されることになる。この特集では比較的多く使われている分類に従って載せていて、分類のことはあまり厳密には考えていない。

ハナニラは南米アルゼンチン原産の球根植物で、関東地方以西で野生化していると言われるが、この界隈では園芸種が逃げてきたようなケースを殆ど見ない。やゝ似ているアヤメ科のニワゼキショウの方は春に多彩な草花が咲き競うような状況下では良く見掛けるが、ハナニラの方はそのような状況下でも混在してあるということはない。

ハナニラは3小葉の花弁を二重に重ね合わせて作った六角星の形をしていて、別名ベツレヘムの星と呼ばれる。ベツレヘムの星のことはよく知らないが、この形は三角形を重ねて作った六芒星と呼ばれる疑惑のマーク(イスラエル象徴であるダビデの星が日本にもあるとかいう)を連想させる。(陰陽師 安倍清明 の桔梗紋は五芒星)一方アヤメ科のニゼキショウの方は同じような6弁花でも花弁は皆均等で、六芒星のような印象を受ける花弁の作りではない。

写真はいずれも西六郷4丁目で、上の紫色が入った花の3枚は川の一里塚の上手の堤防裏の法面に毎年出るものを、上の2枚は2010年3月末に、3枚目は2013年4月中旬に撮った。
下の3枚はそこより数百メートル下手側で、緑地管理事務所がある上手のやはり堤防裏に出るもの。ここは都営住宅と金網のフェンスで仕切られた堤防下の側帯風の場所で、除草で刈られる度にイモカタバミが広がっていくような場所だが、早春にはここも毎年ハナニラが出てくる。こちらは白一色のタイプで花弁の幅は幾らか広い。
この3枚は2014年3月下旬に撮った。この一帯は初夏には一面セイバンモロコシに覆われてしまうが、塊茎のような多年草はしぶとく、花の時期も早いので全く影響を受けない。




 


 

     【ユリ科】  ステゴビル属 : ハタケニラ

 

ハタケニラ(畑韮)は名前こそニラが付くが、秋に咲くネギ属のニラとは全くの別物である。
本属の名前にもなっているステゴビルは捨子蒜の意味だが、やはりネギ属のノビル(野蒜)とは関係ない。(ノビルは日本古来の多年生植物でかつては里山などで普通に見られたらしいが、今では秩父や坂戸などごく一部でしか見られなくなって、埼玉県で天然記念物に指定され絶滅危惧種になっている希少種である。)
それに対してこのハタケニラは北米原産の帰化植物で、侵入生物データベースによれば、明治以降に園芸用として導入されたものだが、アスファルトの隙間や植え込みの脇などどこにでも生え,各地で急速に分布拡大しているとされる。(主に関東、東海、近畿地方などに移入)

ユリ科の植物に多く見られるように、鱗茎による栄養繁殖も行うため、繁殖力が強く、在来種との競合が懸念される他、ウイルスの寄主となり、農地では強雑草として影響を受けるとも書かれている。

この写真を撮ったのは2015年5月27日で、六郷のJR橋梁から京急の鉄橋までの間の、堤防坂路の法面で撮った。おそらく工事用の土に鱗茎片が紛れ込んでいて、法面に塗りつけられた後、芽を吹いてきたものだろう。
堤防法面は除草されるので、地上部は程無く消滅したが、今後また出てくるかどうか興味深い。



ここから下の5枚は、2016年5月7日に多摩川緑地の数百メートル川上側の植生護岸で撮った。

西六郷から新蒲田の間の地先(川裏が安養寺からトミンタワーの辺り)の低水護岸は、2005〜2006年に2年越しで行われた堤防・高水敷の大規模改修工事の際に更新されたもので、ポーラスコンクリートを階段状に設置して作られている。このような多孔質コンクリートは植生機能を有する。植生は基本的には手を入れられることはないので、草本だけでなく木本類も定着し、荒地の状態に似た自然遷移が進行するため、年々草木の種類や状態は変わっていく。

2015年にはオトギリソウが初めて見られたが、2016年はナヨクサフジが出て、それをよく見るために護岸に踏み込んだ折にこのハタケニラを見付けた。ハタケニラ自身については、上に載せたように、この前年にここより1キロメートル余り川下側の堤防法尻で見ていたが、荒地の中で完全に自生の形をとり、しかも護岸に沿った一帯でハタケニラを見るのはこの時が初めてだった。





(戻る) 


   [参考集・目次]