<参考26> 河川敷の春から初夏にかけての草木と花
【フウロソウ科】 フウロソウ属 : アメリカフウロ
1998年に多摩川大橋下手の川裏にトミンタワー多摩川2丁目が作られた際、敷地は嵩上げされ、短いながら堤防は2車線の旧堤道路を挟んで高規格化され、ここはスーパー堤防のはしりとしてモデル化されるような場所になった。然し、川はその先で大きく右にカーブしていくので、洪水が氾濫する危険という意味では、トミンタワー前よりむしろその先の、安養寺の方向に向かう方面の方を強化しなければ理屈が通らない。
近年の堤防強化工事は概略以下のような手順で行われている。
工事後初の春を迎えた2007年は、とりあえず工事後の平面、法面を問わず、一面がシロツメクサに覆われた。(この時のシロツメクサの様子については、この特集の中で、マメ科シャジクソウ属シロツメクサの2枚目、3枚目の写真に載せている。)
2007年には下手の多摩川緑地の近い方の法面でも、ホトケノザ、ニワゼキショウ、ハハコグサ等々、法面などに一般的な草花も瑞々しい状態で多く出現したが、川裏に安養寺がある辺りから下手側一帯の法面に、当時としては珍しいアメリカフウロが、シダ類のように地表に沿って這うような形で広がっていた。
雑色ポンプ所の下手の辺りにはアメリカフウロがかなり多く出てきていた。5月下旬から6中旬に掛けて、よく見るようになった頃には、葉は紅葉し既に花ではなく果実の状態だった。周囲にはあまり他の草は目立たず、アメリカフウロはある程度丈があって、絡み合った大きな株立ちのような感じで目立った。
だがその一帯の川裏は大規模工場などは無く、民家や零細工場、寺などが密集する地域で、スーパー堤防を作るための用地確保は不可能と思われた。
そこで仕方なく、堤防強化は川表側で行わざるを得なかった。カーブ箇所の外側になる区間では自然に高水敷は狭くなっていて(その分逆に右岸側には大きな後背地が生じ、川崎競馬の練習馬場などが作られている)、堤防の拡幅を図るには、先ず高水敷の造成を行って、高水敷に所要の幅を確保しておく必要があり、しかる後堤防拡幅を行うため、工事は2年掛となったのである。
堤防に手を付ける前に、高水敷の造成が行われた。水路の中で、新たに低水護岸の基礎となる位置に数十メートルはある長いシートパイルが打ち込まれて連結され、造成予定地分が川に沿って囲われる形にされ、その中がポンプで排水された。明治時代に氾濫を生じた地点辺りから、古い時代の水制工の跡が顕れ、暫し公開される段取りが採り図られることになった。
その後水を抜かれた全区間が埋められ、新たな高水敷が幅30メートルに亘って造成された。一方堤防は土が盛られてほゞ2倍に拡幅され、川表側の法面は、従前よりスロープが緩やかにされた。(対岸側の馬場先の堆積地がかなり掘削されたので、その土も利用されたかも知れない。)
天端は舗装され車道のようになったが、隣接する格好になった都道に供されることはなく、仕切りが設けられて通常は車が進入できない、非常用道路のような設計にされた。
堤防は土を盛り付けられて拡幅された上、法面の表面は一様になるように綺麗に整えられる。法尻の先には短いシートパイルが打込まれ、先端部には窓の開いたコンクリートのU字ブロックが被せられ、窓からコンクリートを流し込んで固めていく。このラインはその上が舗装道路にされたりして、最終的には全ては見えなくなるので、基礎を打ったことは外からは分からない。
やがてトミンタワー前から川下側の一帯にマツバウンランの大発生が起こり、評判があちこちに行き渡って、はるばる遠方から見に来る人がいるほどだった。おそらく上塗りに使用した土に大量の種子が含まれていたのだろうが、この年にはマツバウンラン以外にも、工事後の法面全体に様々な草花が生えて、まさに百花繚乱の状態だった。
フウロソウ属では日本に古来からあるゲンノショウコが有名だが、アメリカ原産の外来種アメリカフウロがフウロソウ属独特な特徴を学ぶ上で教材となる。
アメリカフウロの葉は深裂して5枚にとなるが、各裂片には更に裂目が入り先端は数多くの裂片状態となる。花時には葉には赤い縁取りが見られ、やがて赤い部分が広がり、全面が紅く染まる葉も混じってくる。花は小さな5弁花で、薄っすらと色付いて見えるものもあるが、大体は白色に近い。
その時点で図鑑を見て、フウロソウ属の独特な種子放出過程を知り、これは追跡して撮っていかなければと思った。ところが運悪く、この年はこう思い立ってから程なく、堤防全面の除草が行わる事態となり、全ては失われてしまい、種子生成から放出過程の観察はお預けということになった。
翌年もこの一帯の草花は堅調で、春から5月初めまでは色々撮っていたが、アメリカフウロのことはすっかり忘れていて、その内堤防は除草され、アメリカフウロを撮ることを思い出すことなく終わってしまった。
この年はこの時点まで堤防の除草は行われず、アメリカフウロの花後の様子を徹底的に撮りまくり、アメリカフウロを観察することで、刮ハとか裂開果と呼ばれるような果実の一例として、果実の生成から種子の放出までの全過程を知ることが出来た。
子房は5つに仕切られ、分割された各自は球状となって繋がり塔の下部を取り囲むような形になる。これがアメリカフウロの果実だ。刮ハというのは熟して乾燥した果実が、裂けて種子を放出するようになっている果実のことを言う。裂開果というのも同じような意味だ。
フウロソウ科は似たり寄ったりの過程と思われるが、アメリカフウロの場合、5稜になっている塔の各稜に於いて、種子の入った袋の下側が裂けて剥がれ、塔の表皮が頂点を接合点とし、下から剥けるように裂けて袋を跳ね上げ、その弾みで中の種子を放り出すようになっている。5個の種子はそれぞれ独自にこの跳ね上げを行うが、大体5個は同時期に行われるので、種子を放出した直後の姿は、バネが反り返って、オチョコになった傘のような格好になる。
フウロソウを調べ出してからゲンノショウコのことは知ったが、アメリカフウロを夢中になって撮っていた2009年の時には、まさか六郷でゲンノショウコの実物を見ることになるとは夢にも思わなかった。外来種が跋扈する荒れた多摩川の汽水域では、アメリカフウロ程度が相応しいという観念だった。(5年後の2014年にゲンノショウコを観察することになるが、その詳細はゲンノショウコの項に記してある。)
その時はアメリカフウロはもう散々撮って、検討は終わっている種だから・・というよう心境が先立ち、まともに花の写真を撮る気は湧かなかった。
左の写真は上から2枚が柿を撮っていたついでに、近くの土手の法面に広がっていたアメリカフウロを撮ったもので5月9日の撮影である。
堤防工事の最終段階では、法面に連接ブロックが敷き詰められ、その上に仕上の土が被せられる。表面は芝の角切りが並べられるが、その隙間から様々な草が出てくる。その種は通常シロツメクサを主とするが、その他の種については、工事毎、場所毎に異なり、何が出てくるかは実際に見るまでは分からない。しかも工事直後には、現れる種の短期的な変遷も激しい。
南六郷とは季節が逆転したような感じになったので、やはり花から載せるべきだろうと思い、撮影日は前後するものの、2015年分については、後から西六郷で撮った花を先に2枚載せ、その下に南六郷で撮った果実の方を載せている。