<参考26>  河川敷の春から初夏にかけての草木と花


     【アヤメ科】  アヤメ属 : キショウブ

 
2003年現在、この対象区間にアヤメ科アヤメ属のキショウブ(黄菖蒲)が自生している場所が、私の知っている限りでは6ヵ所ある。そのうち区民広場前の水際の一画が最大規模になる。幅数十メートルの間でヨシと拮抗する勢力を保ち、5月中旬には澪筋に面して多くの花を付ける。(左の写真は最大規模を誇るこの場所で、精悍な葉群を伸ばし始めた時期に撮った。)
(ここに次ぐのはトミンタワー前の高水敷。水面からやや高い場所で、ヨシだけでなくその他の雑草とも競合し、かなり苦しい。キショウブは台風などで葉を折られてしまうと再生不能で、新芽を出し直している間に、回復の早いアレチウリに全体を覆われてしまうなど苦戦する姿を見る。そこそこの規模は有しているので、雑草にもまれながらも5月には花を付けるが、散策路から見え易いせいか、端午の節句の頃にはひどく荒らされ見る影もなくなる。)
菖蒲湯に使うのは単にショウブという。ショウブはアヤメ科ではなくサトイモ科で、漢名を菖蒲と書くセキショウの大型のものをいう。アヤメ科のような単発の大きな花は付けない。科の異なるキショウブには芳香や薬効は無いと思うのだが・・・。

アヤメ科の種類の紛らわしさは、何かと引き合いに出され夙(つとに)に有名だ。
万葉の昔から鑑賞されていたのは近畿地方にも自生が見られたカキツバタである。江戸時代になって野生のノハナショウブを改良したハナショウブがもてはやされるようになった。やがてカキツバタは都市周辺では自生地を失って衰退し、園芸種であるハナショウブの独壇場に変っていく。古来「菖蒲」と書いてアヤメと読んでいたのはハナショウブのことで、日本に特有の花とされる。
カキツバタやハナショウブは水辺に生えるが、アヤメは山野の乾燥地を好み、アヤメとカキツバタが並んで咲く光景は有り得ない。一方同じアヤメ科で今河原に見られるキショウブは、もともと日本の自生種ではなくヨーロッパ原産で、明治期に栽培用として渡来したものが、水辺に逃げ出し野生化したものである。

キショウブは太い根茎の端に、2列に互生した剣状の葉を綺麗に直立させる。葉は青味を帯びた緑色で中心に隆起した中肋(ちゅうろく)を持つ。アヤメやカキツバタでは葉の主脈は細く、中脈が膨らむのはハナショウブ、キショウブに独特の特徴である。
キショウブの中肋にはソフトな弾力がある。このためキショウブの葉を指でつまむと、オギの葉のように薄く平たいだけでなく、少し厚みを感じる。河原などの野生帯では、このソフト感によってキショウブをイネ科の線状葉と明瞭に区別することができる。

自生しているキショウブ(黄菖蒲)は、大抵水際のヨシやオギと競合する位置にあり、小規模ではヨシに呑み込まれてしまう。ただ春の芽吹きは早く、4月中旬までは他に先行して剣状葉を伸ばすので、この時期に生育場所を探し易い。4月下旬にはヨシに追いつかれ5月には抜かれてしまう。

花は葉が変化したものというが、特にキショウブの花が出来る様子は「花葉(かよう)」という言葉がぴったりする。肉葉が分岐するような感じで蕾を出し、蕾は花茎を伸ばしつつ、先端は外被を脱ぐようにして次々に分岐を作っていく。外被は葉に成長するがその付根には蕾を出し別の花茎を伸ばす。花茎は先端に蕾を付けて伸びていき、途中に幾つも分岐を持つ形になる。
緑色の蕾はやがて先端に黄色が点すようになり、数日経つと開花する。花は先行した最上端のものが最初に開く。外花被片、内花被片とも3枚で鮮黄色である。内花被片はハナショウブほど直立せず、キール状に寝た裏側にオシベがある。開花する時間帯は決まっていないようで、蕾は夜間も膨らみ続け,、一定段階に到達すると、蝶が羽化するように花被片を解いて開花する。綺麗に見せる時間は1日限り。丸1日を過ぎると急速にしおれるもの、徐々に精細を失っていくもの等差はあるが、縮んだ時にはもう背後に次の蕾を出している。

次の蕾は既に先端に黄色をのぞかせ、スタンバイ状態で出てくる。中1日で次の花が開くことになる。そうこうしているうちに分岐してきた花茎の方でも、先端に付く蕾の先が黄色くなりはじめる。分岐花茎の低い位置で花が開くようになると、葉群の間に花がのぞくキショウブ独特の景観が生まれる。

河原に自生するキショウブは、特に肥料を与えられたりしている訳ではないので、栽培ものに比べれば葉も花も小振りで、所詮野草の域を出るものではない。それでもヨシやオギに比べれば品があり鑑賞性に優れる。生息場所も少ないだけに、大事にしたいという気にさせられるものである。

近年河川敷に花壇を作ることがよく行われているが、折角水辺があることであり、護岸縁の一角を使用して、湿生植物専用の花域を造成してみたらどうだろうかと思う。 

その後2005年から2006に掛けて2年越しで左岸の8km標の前後1キロメートル余りの間(流路が大きく旋回し明治時代に氾濫した前科のある場所)で、大規模な堤防補強工事が行われた。このキショウブの位置は直接の工事区間からは辛うじて川下側に外れる場所になってはいたが、何かと煽(あお)りを食って結局整地されてしまい、当地のキショウブは全て消滅することになった。
この後キショウブは六郷橋の下で散見される程度の時期が続いた。六郷橋(避溢橋部分)と、上手側河川敷のゴルフ打っ放し場及びその奥(本流側)のHL村との間には細い水路が通っていて、この溝は六郷橋の耐震補強工事の際にも埋められず、水路の両側を金網のフェンスで仕切って保存状態になっている。この水路は本流の川岸近辺では消滅するが、潮位によって水位が変わることから、湧水ではなく、地下で本流と通じているものと思われる。

2015年頃になると六郷橋より下手側の六郷橋緑地の低水護岸の一部にキショウブが散見されるようになり、2016年には、かなりまとまった数になった。
左上は2015年5月11日に六郷橋緑地の川縁で撮ったもので、左から下へ5枚の写真は、翌2016年5月5日に六郷橋緑地で、雑色ポンプ所から六郷水門までの区間を見て歩いて撮影したものである。




 


 
     【アヤメ科】  ニワゼキショウ属 : ニワゼキショウ・オオニワゼキショウ

 
ニワゼキショウは北米原産の帰化植物。明治期に渡来したらしいが、品種や経緯については諸説あるようなので断定は避ける。
花被片は赤紫色のものと、幾らか青味掛かるも殆ど白色に見えるものと2通りある。経験的には、赤紫色の花被片は外向きに反り、白色の花被片は内向きに反る傾向が見られるが、偶然なのか、一般的な傾向なのかは分からない。
いずれの場合も中心部は黄色で、その外周側に濃い紫色の部分があって、そこから花被片の先端に向けて数本の着色した筋が走る。
花托は筒状で、その先に6枚の花被片が開き花冠を形成している。子房やオシベなどは筒状の中にある。奥まっていて花被片が開く高さには覗いていないため、真上から見れば見えるが、通常横からでは花被片以外のものは何も見えない。

左の写真、上から2枚は2007年5月4日の撮影で、場所は多摩川緑地から上手方向に向かう堤防の法尻に近い平面部。
この年は2年越しの堤防大改修工事が明けた直後にあたり、工事に持ち込まれた土により、安養寺からトミンタワーに至る辺りの法面で、マツバウンランの一大群落が出現し、堤防が藤色に染まって話題となった年である。
堤防法面や平面など工事された後からは、当初シロツメクサが絨毯のように広がっていたが、やがて刈られない藪の中では見られないような、丈の低い草種が様々顔を見せた。
ニワゼキショウは、それまでも法面などで散見されることはあったが、2007年はこのような状況の中で、赤紫色のタイプのニワゼキショウもかなりまとまった群落状態で出現した。

左の一枚は2008年5月18日の撮影。この日は多摩川の自然を守る会の月例観察会で、左岸の羽田空港近辺の多摩川沿川部を歩いた。海老取川の弁天橋を過ぎてから、海側に向かうと、水路際にはハマヒルガオが咲いていたりするが、護岸を上がった道路の高さでは、上部以前羽田東急ホテルあった1km標辺りまで、地元への返還予定地になっていることがあってか、一面草地のまま放置されているため、シロバナマンテマなど多様な草種が咲いていた。
コメツブツメクサやコバンソウなどが覆うような丈の低い草地に、この花被片が白いタイプのニワゼキショウもあって、それを撮ったが、帰ってから見てみるとピントが甘いものばかりで失望した。そんな訳で雰囲気を留める目的で1枚だけ載せておいた。

左の2枚は2015年6月11日の撮影で、場所は多摩川緑地の川下側の端にあるJR橋梁下の草地。
この場所はJRが六郷橋梁の橋脚の耐震補強工事を行った際に、周辺に駐車場が整備され、橋脚下の草薮も整地されて、区画化され適宜除草されるようになった。

この日はヘビイチゴの実を撮ったりしていたが、偶々近傍に花被片が白いタイプのニワゼキショウがあったので、前年の不出来な写真の雪辱を期して、ズームで花を撮った。

花被片の6枚は同等ではなく、やゝ幅広な3枚の内花被片と、細めで筋の本数も少ない外花被片3枚が交互になってアスタリスク状を形成している。中心部の黄色い葯は3個である。
あまりはっきり写っていないが、刮ハは球形で直径3ミリ程度の大きさである。

左の写真1枚は2016年5月15日の撮影。場所は大師橋下手の右岸。殿町2丁目から3丁目に移り変わった直ぐの辺り。
この日は自然を守る会の月例観察会で、右岸側の河口周辺を見て歩いた。この辺の一帯は左岸側共々で行われた高潮に備える堤防補強工事の直後に当たっていて、堤防下の平面は未だ背丈の低い草地の状態だった。
ニワゼキショウは下に載せたオオニワゼキショウが多かったが、赤紫色タイプのニワゼキショウも少しはあった。

 


 
左の写真3枚は、2016年5月15に多摩川の自然を守る会の月例観察会が、右岸側の河口近辺で行われた際に撮影したものである。
場所は殿町2丁目と3丁目の境で、当地の地下を通る京葉貨物線の地下水排水管が高水敷に露出している場所の下手側(3丁目側)である。
ここより海側になる旧いすゞの移転跡地がスーパー堤防化されて、キングスカイフロントと称する建設工事が行われるようになっている。大師橋から海側に向かう当地の区間一帯は、引き続き汽水域の一連の高潮対策工事によって2015年までに堤防が補強工事された場所で、この辺りでは、工事により高水敷は地盛されて以前より少し高くなった。そのため高水敷の縁は水域側に広がるヨシ群落との間が気分的に仕切られたような印象になっている。
京葉貨物線の排水管がある近辺は特に湿気が強く、多様な湿生植物が見られたが、あくまで工事後の過渡期であり、今後ヨシやアイアシが高水敷の側に広がってくる可能性もあり、ヨシが地中から広がってくれば、もう除草車の刈り取りでは根絶できない。

湿生植物は工事前のシオクグやウシオハナツメクサは姿を消し、トウオオバコやオランダガシラ、カワジシャなどが目に付いたが、左岸側のヨシの猛威を見てきた経験からは、これらの光景が一過性のものである懸念も無しとはしない。

堤防下の平面部は、工事直後ということがあって、未だ背丈の低い種の草地となっていた。ケキツネノボタンやノジシャなどが見られる状況の中に、ニワゼキショウ類も結構多くみられたが、ニワゼキショウより花の小さいオオニワゼキショウの方が圧倒的に多かった。

オオニワゼキショウの名前の由来は、草丈がニワゼキショウより高くなることから来ていると言われる。オオニワゼキショウはニワゼキショウより花は小さいが、逆に果実は5ミリ程度あってニワゼキショウの果実より大きい。

2枚目、3枚目の写真では、6枚の花被片は端正なアスタリスク形を形成しているが、1枚目の写真では内花被片が小さく、やゝ上方を向いて浮き上がり気味となり、6枚の花被片は不揃いな感じを与える。このようにオオニワゼキショウでは、6枚の花被片が整然と揃った花冠を形成しないケースが普通にまゝ見られる。
又上からでは見難いが、オオニワゼキショウの花托の筒の部分は、ウェストがきゅっと引き締まった形状をしていて、筒がずん胴状態であるニワゼキショウとはこの点でも区別できるとされる。
オオニワゼキショウは花被片が白色のタイプが主で、ニワゼキショウのように赤紫色のタイプは無いようである。
中心部の黄色い部分を取り囲む紫色の帯状部分が、オオニワゼキショウではニワゼキショウほど幅広に色濃く出ることはなく、花冠の全体がニワゼキショウよりおとなし気に見える特徴がある。

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