<参考26> 河川敷の春から初夏にかけての草木と花
【アブラナ科】 ダイコン属 : ハマダイコン
アブラナ科は十字花科とも呼ばれるように、花はすべて4枚の花弁が十文字(あるいはXの字)形に付く。
ハマダイコンは海辺の砂浜で多く見られるためその名があるのだろうが、河川敷など普段湿気が強くない草地にも多く繁殖し、六郷川の河川敷でも、4月から5月中旬にかけて、万遍なく至るところで見られた。
ズームした次の写真はどこと言って特徴は無く、大体みんなこんな感じという標準的な花の姿だが、もっと全体に白っぽい花も少なくない。
左の写真は道中の川岸側に見られたハマダイコンを散策路で撮ったもので、その下の写真は丸子橋からガス橋方向に向う側で、堤防法面を埋め尽くすハマダイコンを撮った。河川敷はグランドになっていて、水路側からはかなり離れている。
【アブラナ科】 オオアラセイトウ属 : オオアラセイトウ (ムラサキハナナ:ショカッサイ)
(独)国立環境研究所の「侵入生物データベース」では、ショカッサイについて1894年に侵入情報があり、1939年から各地に導入、戦後拡大したとされている。移入元として中国南京の紫金山が記されていることから、別称として使われることがあるシキンサイというのはそこからきていると思われる。
オオアラセイトウは中国が原産で、江戸時代に輸入され栽培されていたものが逃げ出して野生化したと言われている。長く人によって栽培されたものは、不自然な交配が繰返されたり交雑したりした結果、意図していなくても改質されていく場合が多い。遺伝子的にはかなりの安定度を示すようになっても、純粋に野生環境で生き続けてきた種とは何か異なる形質ができているということがあるかも知れない。因みにハマダイコンの場合には、個体差は結構あるものの、同じ花が日没後に色を変えるなどということはなく、野生化して久しい野草そのものという感じがする。
【アブラナ科】 アブラナ属 : アブラナ (ナタネ:ナノハナ)
アブラナ類が葉菜として中国(漢)から伝来したのは弥生時代とされている。搾油が始まったのは平安時代で、室町時代には荏胡麻(エゴマ)油に代わって、ナタネ油が灯油、食用油の主力になった。
千葉県の県花になっている菜の花はハナナで、在来種の系統。また京の「菜の花漬」は、黄色く膨らんだ頃の蕾を摘んで漬けたもので、やはり在来種の系統を受け継いでいる。
【アブラナ科】 ヤマガラシ属 : セイヨウカラシナ
【アブラナ科】 キバナハタザオ属 : カキネガラシ
【アブラナ科】 イヌガラシ属 : イヌガラシ・スカシタゴボウ
多摩川の汽水域でウラギクが野生絶滅になる頃、5年間ほど六郷のヨシ原の中で、ウラギクを人為的に保護育成したことがある。その地面は大潮の満潮時には数十センチ近く水没する高さで、ヨシとアイアシが丁度競合するような高さだが、既に他の湿性植物種は駆逐されていて、ヨシかアイアシが全域制圧する環境だった。
当時は未だヨシ原の中に東電の送電鉄塔があって、入口側から鉄塔まで東電がヨシやアイアシを定期的に除草して、鉄塔用の巡視路を確保していた。時期によって多少は異なるものの。一定の幅で裸地が続いていた訳で、スカシタゴボウはその巡視路を拠点にしていた。
ハマダイコンは菜の花によく似た奔放な姿をしているが、花の色は黄色ではなく白ないし薄紫色で、彩色しているものも中心部は必ず白い。
実際に、野菜はアブラナ科のものが多く、大根・カブのほか、キャベツ・白菜・小松菜・タカナ・カラシナ・ブロッコリ・カリフラワーなど代表的な野菜が並ぶ。これらの野菜は花を咲かせれば皆菜の花ということになる。(因みに野菜で次に多いのはキク科で、春菊のほか、レタス・ごぼう・ふきなどがある。)
菜の花のうち、チリメンハクサイを基に、花を観賞する目的(切花用)で改良された品種を「花菜」(ハナナ)と呼ぶ。(房総地方で栽培される菜の花はハナナである。) 下に載せているオオアラセイトウが「紫花菜」と付けられたのは、アブラナ科であって野菜でなく、花は綺麗な紫色という意味になる。
野菜類は日本でその後品種改良されたものはあるが、原形はみな大陸から入ってきたものである。ダイコンは紀元前のエジプトで既に食用にされていたほど古くから栽培され、ギリシャ・ローマ時代を経て東洋に伝わった。従って日本での歴史も相応に古い。かつてはオオネと呼ばれていたらしいが、いつの間にかダイコンに変ったそうである。
ハマダイコンは栽培種である食用のダイコンが野生化したものというのが通説で、実際通常の草に比べればかなり太い根をもっている。5月には種の膨らんだサヤを一杯実らせる(3枚目の写真)。このまま畑に撒き施肥して栽培すれば食用になると言う人もいる。
ハマダイコンはダイコンに限りなく近いものだが、大陸で野生化し種として確立したものが日本に入ってきたのだろう。ハマゴボウと呼ばれるアザミの一種は根も葉も食用になる。ハマダイコンも野大根と称して食膳に載っていた時代があるらしい。
多摩川の汽水域で優勢な植生が換わっていくことは普通に起きていることで、チガヤ一色という時代から、ホソネズミムギばかりという時代もあり、ヘラオオバコが半分くらいまで増えた時代もあり、今ではどこもセイバンモロコシがほゞ全域を制圧している。
そんな過去の或る時期にこの辺りでハマダイコンがかなり優勢になったことがあったということだ。
植生が劇的に換わる場合、そのきっかけは多くの場合、堤防や河川敷の工事である。多摩川大橋から六郷橋方面(シャープ裏まで)に向けては、2005年から2006年に掛けて堤防の拡幅工事が行われ、持ち込まれた土で2倍に拡幅された。川表の新たな法面は勾配が緩やかにされ、高水護岸としてパネルが貼られ仕上げの土が塗られ芝が植えられた。狭くなった高水敷は30メートル幅で水路に造成され、右岸側では逆に湾曲部に洲状に堆積した部分が掘削除去された。
工事後当然ながら植生は一変し、その時からこの辺りでハマダイコンは激減した。左の花は2013年の撮影だが、場所はガス橋に近い雑草帯の中で、株数は少なかった。
堤防の法面はハマダイコン一色で埋め尽くされていた。どうみても自然にというレベルではなく、意図的にハマダイコンを敷き詰めたようにした結果と思われる。
特に変わったところはないが、1枚を載せておく。場所は西六郷の川の一里塚(旧堤道路が堤防上に上がってくる信号のすぐ下手)のある場所の堤防下法尻に近い平面部で、撮影は4月中旬。
これまで多摩川の沿岸でハナダイコンを見たことは無かったが、2013年の調査の時点でガス橋下手の荒地の中でハナダイコンらしき一株を見つけた。この界隈は春にはイネ科の大型種(多分クサヨシ)が密集して茂り、初夏には代ってクズが分厚く敷き詰められるようになり、容易に踏み込めるような状態ではないが、そんな中に一ヶ所だけ地面が見えるような不思議な場所がある。
下手側にカキドオシの群生とマルバハッカの群生が隣り合って広がり、そこに隣接して幾分高くなったような場所があって、何故かその周辺だけは透いた雰囲気になって、そこに園芸種に近いような種類が幾つか花を咲かせている。HLがよくやる花壇のような作り物など、何の囲いや仕切りがある訳ではなく、この辺り界隈と同様の荒地の一部に間違いないが、ここだけは何か違った草種が見られ、人手の関与が伺われるので、かつてか或いは今もか、誰かが荒地を開墾して遊んでいる可能性が高い。この花もそんな痕跡が伺われる範囲の一画で見つけた。
ハナダイコンの方は食用とは無縁で、鑑賞性に優れるためよく取上げられ、多くの名前で呼ばれてきた。
漢名は諸葛孔明との関わりからショカッサイ(諸葛菜)と呼ばれ、和名は牧野富太郎博士がオオアラセイトウ(大紫羅欄花)と命名した。
アラセイトウというのは欧州原産の栽培種ストックに付けられた和名である。ストックは切花用や園芸用に栽培され、八重咲きが好まれるが、一重咲きのものも出現する。オオアラセイトウという名前は、(アブラナ科ではあるが)似ているとは言えないアラセイトウを連想させ、違和感があったのではないかと思われ、一般的にはあまり使われず、ムラサキハナナ(紫花菜)とかシキンサイ(紫金菜)などの別名で呼ばれ、通称はハナダイコン(花大根)で通っている。
後で写真を整理しながら良く見ると、花の色がかなり違う写真があることが分って不思議な感じがしたが、時既に遅く詳細を確かめることは出来なかった。
撮っていたのは皆同じ株だと思うので、強いて今説明するとすれば、この花は光線か或いは時間帯に対する反応が敏感で、例えば陽が当たっていれば赤味に寄った発色をし、日が陰るに従って赤味を失って紫色が強く出るようになるとか、日没後にはほゞ完全な紫色を呈するなどという変化があるらしいと推測される。
この日には未だ結構蕾みが認められたが、次に行けたのは2週間後になっていて、出かける際には、花はもう終わっているだろうという、半ば諦めの心境だった。
ところがさすがに蕾みこそもう殆ど無かったものの、花は未だ十分その雰囲気を持続していて驚いた。後ろの4枚はいずれもその日4月26日に撮ったものである。ショカッサイと書いた初めの2枚(全体と花のズーム)は夕方の4時32分から33分に掛けて撮ったもので、この写真を含めこの時間帯にこの花を6枚撮っているが、いずれも似たような色に撮れている。時間帯は12日の時より20分ほど早いが、やはり薄日が残っている程度の光条件だった。
それが次に載せている2枚である。実は26日はこの周辺でいろいろな草を撮り終えると、一旦藪から出て、ガス橋まで行き橋を潜った先にあるベンチまで行って折り返している。深い意味は無いのだが、ガス橋まで行った場合のお決まりのコースとして、このベンチで小休止し、向かいのキヤノンを見るなどして又戻るということにしている。ただこの日は帰途に又藪に入って写真を撮り、その際5時4分から5分間ほどの間に、又この花の写真を6枚撮ったのである。その時には別に何の違和感も感じなかったが、後に写真を整理する段になって始めて、この時の6枚は花びらが極端に紫色に写っていることを知った。
不思議に思ってネット上にどんな色の花が載っているか調べてみたが、ここでいう上の5枚と下の2枚が半々程度の割合で載っていた。つまりどちらも珍しいものではないということらしいが、知らない人が見たらおそらくこれは個体差であって、双方は違う株だと思うだろう。
ダイコンは冬野菜で、花が咲く前に採取されるため花を見ることはない。一方アブラナの畑栽培は種子から油を採るのことを目的とするため、陽春に一面の黄色い花畑の風景が実現することになる。
江戸時代までのナタネは黄褐色で赤種と呼ばれるが、明治時代に収穫量の多い(含油率が高い)黒褐色の黒種が導入され、とくに戦後では搾油するためのアブラナは殆どこの黒種に置き換わった。この品種をセイヨウアブラナと呼ぶ。
菜の花畑は以前に比べれば減っているが、ナタネ油の需要は灯油こそ減ったものの、食用、薬用、工業用などでは増えており、輸入に切り替わっているのが現状らしい。
菜の花は優秀な蜜源としても知られ、養蜂家は菜の花の花期に合せ、九州から北海道まで採蜜のため移動していく。
一方河川敷に自生する黄色のアブラナ科の花は、近年ではほとんどがセイヨウカラシナに換っているとされ、こちらは本家の菜の花より花期が1ヶ月ほど後れる。
セイヨウカラシナはセイヨウアブラナとは又違うアブラナ科の帰化植物である。セイヨウカラシナの花は黄色が赤味掛かっているとか、やや小振りであるなどと言われるが、私のような素人は葉の付き方で区別することになる。アブラナの葉は茎を抱き込むようにして茎に付き、セイヨウカラシナの葉は茎を抱かず末端で茎に付く。
六郷川の河川敷はどこも頻繁な工事があり、のべつ掘返され土が持込まれるという事情があるため、生態系は常に過渡期にあり、極相で何が優占種になるような環境なのか判断が付かないという特徴がある。2002〜03年の乾季に護岸工事が行われた多摩川大橋上手の左岸、工事直後の裸地で真っ先に芽を出し、次々とその数を増していったのはセイヨウカラシナだった。
(写真のアブラナは3月下旬に花壇のものを撮影した。セイヨウカラシナは群生、アップとも4月下旬から5月初旬に撮影したもの。)
カキネガラシの特徴は何と言ってもその姿形にある。茎を四方八方に伸ばし万歳するように大きな円弧を描くように曲がるものが多いが、グチャグチャに絡み合ったりするものもあり様々だ。いずれにしても見た目に乱れた感じを与えることには違いない。
丈は1メートルに達するような大きなものはなく、平均50〜60センチ程度である。密接して群生するものを見たことが無いので、本当に垣根を形成したようになるのかは分らない。
花はアブラナ科に特有の黄色の4弁花だが、花は極めて小さく径はせいぜい1センチにも満たない程度である。咲く場所は伸びた茎の先端の場合が多い一方、茎が枝分かれするその付け根付近にもあったりとマチマチである。元々黄色は焦点が合わせ難い上、花はミリオーダーの小ささのため、デジカメのマクロでこの花を鮮明に撮るのは至難の技である。
そうした環境で地表に出てくるヨシやアイアシを刈って、地面をウラギクに開放し、南側周辺のアイアシも伐って日照を確保し、系統保存を目的にウラギクの群生を維持していたのだが、その時ヨシやアイアシ以外で唯一競合してきたのはスカシタゴボウだった。
近くにはセイタカアワダチソウなどもあったが、競合してくるところまではいかなかった。
スカシタゴボウは地上の雑草帯の中で勝ち抜くそれほどの力がある訳ではない。しかしスカシタゴボウには、時期に捉われず、空地という隙があればいつでも侵入を試みる能力、つまり殆ど1年中花を付け、種子を飛ばす体勢を取っているという特異な能力がある。
また一時的に冠水するような低地でも十分耐えられるようで、かつて南六郷の中洲が一斉緑化したとき、中洲の表面はまだ満潮時には水没する高さだったにも関わらず、緑化の初年度にはヨシやイセウキヤガラ、ウシオハナツメクサ、ヒメガマなどと共にスカシタゴボウもあったのでその時感じてはいた。(6枚目の写真はその時の中洲での写真。この年中洲は百花繚乱の状態だったが、結局中洲の植生は翌年以降全てヨシに制圧され、ヨシに対抗して存続できたものは無かった。)
左の写真はその様子が良く分る写真で2013年に撮ったものである。歩行部の両脇にもやもや見えているのは全てスカシタゴボウである。2枚はアイアシが伸びてくる前後(4月5月)に相当する。この巡視路も大潮の満潮時には水没する高さで、この通路の脇に他の種類の草は全く見られないが、スカシタゴボウは一向にお構いなしで、年中こんな感じで花を咲かせているようだった。