<参考26>  河川敷の春から初夏にかけての草木と花


     【セリ科】  ハナウド属 : ハナウド

 

ガス橋から多摩川大橋までの草地、更に多摩川緑地から六郷橋緑地の界隈でハナウドは珍しい。これは2014年5月中旬に六郷橋緑地の中央辺り、少年野球場のある裏側付近で、川べりに一切手を掛けずに放置している荒れ地の側で撮った。この場所は昨秋イタドリやクサギの花を撮った場所に近く、この年の初夏には、少し上手寄りでヤマグワの花を撮り、六郷橋近辺ではヒメカジイチゴの実やタチバナモドキの咲き始めを撮ったりしたが、これを撮ったのはその時期の一週間ほど前になる。
ハナウドはチョット見には木本のように見える、茎の太い多年草で、散形花序の花軸が頂端で放射状に分岐し、多数の花柄をほゞ均等に伸ばして、その先に半球状に白色の5弁花を咲かせる。このような複散形花序が目を引き付けるが、近付いてよく見ると、花は外側の花弁1枚が他のものより大きくなって二股に分かれる特徴的な形をしていることが分かる。

写真は上の7枚が5月初旬から中旬に掛かる頃、下の3枚は6月初旬も終わる頃の撮影。最後の1枚は6月下旬で、すでに全草が枯れている。ハナウドは多年草らしいが、花が咲き種子を飛ばすとそこで枯れることが分かった。











 


 

     【セリ科】  ヤブジラミ属 : ヤブジラミ

 

ヤブジラミはユーラシアに広く分布し、日本全土の草薮や路傍で見られる越年草。
2014年に初めてヤブジラミを見付けたのは5月下旬の頃で、多摩川大橋上手の河川敷の流路側の端に、古くから植えられているドウダンツツジの後ろの草地で見た。
ここは流路に沿う荒れ地帯と河川敷を仕切る散策路より河川敷側で、この辺りは大田区が公園風に植栽を植えたり刈ったりしている場所で、近辺には夾竹桃やアジサイなど結構多彩な灌木類が植えられている。ただし(国交省のような完全放置ではなく、最低限の管理は施されているが、)ドウダンツツジの上にアレチウリが載っていたり、フヨウの木が虫食いだらけだったりと、必ずしも手入れが良く行き届いている状態とは言えない。
前年もドウダンツツジの裏にサイネリアなどの園芸種が結構多く見られ、近隣の住民が体よく花を植えて遊んでいるという可能性もあるが、その一方秋には散策路向きにシャクチリソバが見られ、春には河川敷向きにカキドオシが見られたりして、園芸種と野生種が混在する半端な場所になっている。
そんな場所で、初夏にヤブジラミに出会った。見た当初はこの草のことを知らなかったので、ハナウドを極端に小型化したような草種としか見えなかった。

その後この草種を調べるために何度か撮影を試みたが、上に載せた最初の写真が精一杯のところで、花のズーム写真は悉くボケた写真になった。初めのうちは、風の影響とか手ブレなどのためと考え、ここを通り掛かる度に同じ試みを何度も繰り返した。この年はハナイバナやヤエムグラなど、小さな白い花は数々撮ってきていて、苦労はしてきたが、何枚撮っても全滅ということはなく、数多く撮れば中にはそこそこという写りのものも混じっていた。
数年前に前のカメラが壊れて買い直しを余儀なくされ、このカメラを選定した時点では、細かい草花を撮ることは念頭になく、精々遠目の鳥などが撮れればということで、前のカメラより光学ズーム倍率の性能を重視して決めた。
その後ウラギクから退き、界隈の川を取り巻く草木の花についてデータベースを作ることになって、勢いこのカメラで撮って回ることになった。そんなことで接写に強いとは思えないカメラで撮るハメに陥ったが、散々撮ってきてこのカメラの性能について一応の感覚は掴んでいた積りだったので、ここでのあまりの不出来は予想外で不可解としか思えなかった。

この場所はほゞ日陰になっていて、晴天の日でも薄暗い感じの場所だった。かつて日没後の残照などを撮っていた時の印象で、デジカメは暗視能力が高いという思い込みがあった。しかし当時は三脚を使ったし対象は遠景でもあった。手持ちで接写を行う場合には、シャッタースピードの遅れは致命的で、暗視能力とは次元の異なることだった。早くから強制発光などでフラッシュ撮影を検討していれば良かったのだが、フラッシュを使うと対象の色が黄色掛かったりして、自然な色が出ないという認識もあり、それがフラッシュを使ってみるという方向を妨げていた。
6月末になってやっと疑問は氷解した。フラッシュ撮影を試みたのだが、この日多摩川大橋から散策路を下り、多摩川緑地沿いの土手下の通路も下ってくると、本流との境に続く土手の法面にもヤブジラミが散見されることを知った。多摩川大橋のドウダンツツジの裏で撮り続けていた際には、そこにしか無いものと思っていたし、ヤブジラミは日陰を好み、そのような場所にしか出ないものと思っていた。多摩川緑地に沿う土手の法面も日陰っぽく、新たな場所での発見は嬉しかったが、やはりこのような日陰なのかという思いは残った。

ところが道を進んで、JRの橋梁に近づくにつれ、明るいところでも見られるようになった。そして圧巻は散策路がJRにぶつかり終点となる場所だった。
かつてはここを直進してJRの橋梁を潜り、京急の方に進む道もあったが、JR橋梁の耐震補強工事で通行が遮られたのを契機に、橋梁下が駐車場に整備されたりしたこともあって、川縁へ降りることが出来ない訳ではないが、散策路自体はここで左折して橋梁に沿って堤防下の通路まで、高水敷の全体を迂回するような経路が標準になった。そのようになった頃この角地の川縁は一時期ゴミ捨て場のようになった。然し近年厳しく監視されるようになって、さすがにゴミは捨てられなくなったが、「ここにゴミを捨てるな」という立看が幾つも立っている。
この草地は前年の秋にはキクイモが多く咲く場所となり、実際ここで撮った写真を<参考36>の方に載せている。以前ゴミ捨場のようになっていたこの”台地”に入ってみると、何とそこにはヤブジラミが一杯咲いていた。ここはもろに陽が当たる場所でそこで満開になっているばかりか、ここから溢れるかのように、炎天下の駐車場の方向にまでヤブジラミが続いていた。

ヤブジラミが日陰や湿気たような場所にしか出ないというのは全くの誤りだったし、フラッシュを使うまでもなく、十分な日当たりの下でズームを撮って、そこそこの写真をゲットすることが出来た。それが2枚目以降に載せている写真である。やはりそれでも花は小さ過ぎ、拡大したものは不明瞭だが、このカメラではこれが限界で、凹凸が少ない白い花ではここまでで我慢するしかない。
花弁は各花弁の中央部に深いくびれがあって分かりにくいが、どうやら5弁花らしいということは何とか分かる。ピンク系の色をした葯を付けたオシベが複数見られるが、葯は飛んでしまっているものも当然あり、オシベが正確に何本なのかまでは分からない。


花は複散形花序だが、そっくりそのままの形で果実となっているものも同居しているので、当然その中間体として子房が膨らみつつある花も認められる。小散形花序の花枝は短く、子房が膨らんでくると柄は殆ど無くなり、果実は密接するようになって、果実の時期になったものでは、塊状の果実が散形したような姿になる。


果実はオオオナモミの果実に似て、それを小さくしたような形で、表面を密に覆う刺には先端に反しがあって、オオオナモミのように鈎型の刺で種子が運ばれるようになっているものと思われる。

葉は奇数回の羽状複葉だが、各小葉にはそれぞれ細かい切れ込みがあって、シダに似たような形状になっている。この葉の形状は普通見慣れない形なので、この草を見分けるのに役立つ。

それにしてもヤブジラミという和名には驚かされる。もう少しマシな名前は思い付かなかったのだろうか。あまりに投げ遣りで風雅の心は微塵も感じられない。大体草本の和名にはたとえが汚いものが多過ぎると思うが、これは特に酷過ぎる。
ヤブジラミの学名は18世紀のオランダの博物学者マールテン・ホッタイン(Maarten Houttuyn) による命名で Torilis japonica と日本が付いている。シソ科のニガクサの学名もホッタインにより Teucrium japonicum と日本が付けられている。(彼は日本に来たことは無いようなので、何故彼が命名者となったのか経緯は分からないが、これらの植物が当時は欧州など他所では知られておらず、日本乃至東アジアに限定的に分布していたことを推測させる)

ニガクサを食べてみたことはないが、少しも苦いところは無いと言われている。ノミノツヅリもノミを連想させるところは聊かもない。挙げていけばきりがない。ヘクソカズラの項で詳しく述べておいたが、和名の命名はもう少しまともな感覚の人間に任せるようにしてもらえないものだろうか。

左は7月中旬、ガス橋下手を見に行った帰りに、多摩川大橋上手のドウダンツツジの裏で、フラッシュを焚いて撮った。実は茶色くなって脱落する寸前だった。

これは同じ所で7月末に見たもの。実は脱落するのではなく、紐状のものでぶら下がっていて、実は縦の割れ目が入って、中の種子を放出するらしいと思われた。

 


 

     【セリ科】  ウイキョウ属 : ウイキョウ (参考)

 

和名でウイキョウ (茴香) と呼ばれる草本は英名フェンネルで呼ばれることもある。これを見付けたのは2014年7月下旬。多摩川緑地のJR六郷橋梁側の堤防にある緑地管理事務所の上手側で、堤防の川裏側の法面の中央あたり。
堤防法面はセイバンモロコシが茫々となり、天端の縁辺りにはクズまでが張り出してきていて、いつ除草されてもおかしくない状況になっていた時期で、取り敢えずという格好で、天端の両脇だけに刈取りが行われた直後だった。
数百メートル続くこの区間は、川裏が都営住宅と秀和レジデンスになっていて、境界には金網のフェンスがあり、堤防下からフェンスまでの間は側帯のようなスペースになっている。側帯部分は管理事務所とは反対方向になる上手側はイモカタバミが広範に広がり、下手側は春先にハナニラ、秋口にはタマスダレが散見されたりして、季節によってはそれなりに面白い場所になっている。ただ変わったものはいずれも側帯の部分に限って見られることで、堤防の法面自身には特に他所と違ったことは無く、普通の平凡な堤防という印象の場所だった。

夏も盛りを迎えたこの時期には、僅かに都営のフェンス際にタチアオイを見たりすることはあったが、法面も平面も一面がセイバンモロコシにびっしりと覆われてしまっていて、こんなところに何か変わったものがあるとは考えもしないので、普通はろくに見もしないで通り過ぎるところである。
たまたま天端側の法面上部が刈られ、この草が法面で刈られずに残った部分の最前列に出て露わになり、丈が周囲よりやゝ高かったことや、黄色の花の色が目立ったことで目に止まり、思わず足を止めて法面を下り見に行った。
複散形花序であることは直ぐ分り、こんなところに何だろうかという驚きが先行した。この年はハナウド、ヤブジラミとセリ科の複散形花序を覚えたので、3例目となった訳だが、期待をもって色々な角度で写真を撮った。

帰ってから調べてみると、どうやらウイキョウらしいと分かった。ただ野草でなく栽培種であるということで期待は削がれ、半ば落胆したような気分になったが、最古の野菜というような記載もあったりしてやゝ気を取り直した。
広辞苑のウイキョウの項には、
「セリ科の多年草。南ヨーロッパ原産で古くから栽培される。全体に芳香あり、高さ1〜2メートル。葉は糸状に裂け、夏、黄白色の小花から成る花序をつける。果実は円柱状で、芳香が強く、古来、香味料、健胃・駆風薬。」
とある。

Wikipedia にはフェンネルで載っていて、
「(前略)〜 古代エジプトや古代ローマでも栽培されていた記録があり、歴史上もっとも古い作物のひとつとされる。主産地はインド、中国、エジプトなど。日本には平安時代に中国から渡来し、長野県、岩手県、富山県などで多く栽培されている。
〜(中略)〜 若い葉および種子(フェンネルシード)は、甘い香りと苦みが特徴で消化促進・消臭に効果があり、香辛料(スパイス)、ハーブとして、食用、薬用、化粧品用などに古くから用いられている。
〜(中略)〜 フェンネルの鱗茎(葉柄基部が肥大したもの)はフィノッキオ (finocchio) とも呼ばれ、野菜としてタマネギなどのようにサラダや煮物、スープなどに用いられる。茎・葉は生食されるが、その他にも佃煮、シチューなど肉料理の香味野菜として使用される。〜(後略)」などの記述がなされている。

現在の利用は食用としてのものが主で、国内でも栽培されてはいるものの輸入品が多いようだ。葉の部分は生食されるほかハーブとしても利用され、ハーブの場合はフェンネルと称される。
然し食用の主力は鱗茎の部分で、その場合はイタリア語のフィノッキオの名前で流通する。日本では鱗茎などを食用にする野菜としては玉葱やラッキョウ、アスパラガスなど植種の傾向としてはユリ科のイメージが強いが、セリ科の野菜としてはセロリの例があり、葉を生食する例にはパセリがある。
フェンネルシードと呼ばれている種子も香辛料として利用される。
漢薬の素材としては、ウイキョウの成熟果実がショウウイキョウ(小茴香)の名前で用いられる。薬理作用は主として健胃作用で、消化不良症に対する方剤に配合されるほか、寒疝に対する鎮痛剤に散寒止痛の効能を利用して配合される。

以上のように、出てくる情報は専ら食用としての歴史や実態、生薬としての効能などに関するものばかりで、植物図鑑的なものは見当たらない。遠くから見ればハハア複散形花序だなと分かるが、それは花や花後の姿についての概観であって、花は仔細に見れば、他に類を見ないほど極めて特異的なものだと思うが、これについて説明した文書は見当たらず、そもそも栽培種であることから野草図鑑などに載っていないので如何ともし難い。
蕾の時には花弁はリング状に折り込まれていて、これが開く時には5箇所に切れ込みが入り、5弁花のようになるが、花弁は完全に開いて伸びきることはなく、内側に半分程度丸まった形のままで、確(しか)とは分からないが、花弁が開くと同時に4本のオシベと一本のメシが上方(というより横方向に近いような向き)に突き出す。
花は一つの散形花序の中で、外周にあるものものから順次開き、その分で外周のものから散っていくようだが、その完結は早いようで、ハナウドと同じように、一株の草の複散形花序の中に、花や花が散ってしまった後の姿をしている散形花序が同時に混在する。





ハーブと言えば、この年カモミールが散見された。多摩川緑地に沿う一定区間で、国交省が堤防下の幾らかの幅について芝植工事を行った際に、持ち込んできた土に含まれていたものが発芽したケースの他に、南六郷の川縁の荒れ地で、近隣の住民が園芸種を植えて遊んでいる特異な場所の一画で見られ、意外だったのは多摩川緑地の上手に隣接する区民広場の芝地で見られたことだった。
カモミールを見た時にも感じたことだが、ハーブになる草は何故か葉が糸状に細い。カモミールも凡そキク科とは思えないような細い葉だったが、このウイキョウの葉も他のセリ科とは全く違うコスモスのような葉をしていた。
日本の緑茶も広義に解釈すればハーブになるらしいが、イメージとしては全く似ていない。



実はファンネルと地上部だけでは殆ど区別が付かないような別種として、同じセリ科にノインド(英名:ディル)というのがあり、やはりファンネル同様エジプト時代から薬草として利用されていた古いもので、生薬としては主に鎮静作用が利用されていたようである。ただ食用としての利用もあり、種子や葉を香味料として用いられ、鮭などの魚料理との相性が特に良いと書かれている。
ディルはファンネルほどは大きくならないらしいが、ファンネルとディルの最大の違いは、ファンネルが鱗茎を持つ多年草であるのに対し、ディルは1年草であるということで、栽培種の図鑑には、根本部分が太くなっているかどうかを観察することで、双方の区別は出来ると書かれている。(ただ双方は交雑し易いらしく、並行して栽培すると雑種化するので避けるようにとも書かれていて、改めて「種」とは何なのかということを考えさせられてしまう。)
ということで、これがウイキョウであるという確信は無く、ノインド属ノインドである可能性も否定できない。だがここは堤防の法面で、この株は早晩刈られてしまう運命にあり、全体が広く刈られてしまえば、この場所さえ分からなくなってしまう。何にしても余裕が無いことだけは確かだ。

ファンネルシードがどんなものか見てみたいと思ったので、この株を掘り出して川縁の刈られない草地に移植しようと思い、翌々日の土曜日にシャベルを持ってその気になって行った。根本を掘ってみたが、しばらくして、これを掘り出すのは容易では無いと悟った。場所が斜面なので足場は安定しにくかったが、それでも下側からシャベルで掘り進んだ。ところが一寸やそっと掘った程度では本体はビクともせず、この下にどれだけの巨大な球根が植わっているか想像もできなかった。当初はこんなに大きなものを想定していなかったので、暫らくして諦めることにした。もしこれを本当に掘り出すとしたらスコップの作業になり、堤防に穴をあけるということになりかねない。
移植は断念したが、これだけでも一年草とはとても考えられないという認識を得たという収穫はあった。それにしても一体何故こんなところに生えているのだろうか。気が付いたのはこの年だったが、何年も前からあったという可能性も否定できない。
その時撮った写真が左に載せたものだが、真ん中あたりに太い伐り跡のようなものが認められ、これが以前に刈られた際の痕跡で、その周りから出ている数本が今年の茎かも知れない。いずれにしても全体が一塊としてがっしりと根付いている印象だった。

8月の上旬になると周辺で全面的な除草が行われ始めた。何故かこの周辺は取り残されていて、もういつ刈られてもおかしくない状況になっていた。通る度に、「撮らなくていいのか、間もなく刈られてしまうぞ」と呼びかけられているような気がして、上旬が終わる頃、もう一度法面を下りて観察してみた。前に見たのとあまり違っているようには見えなかったが、散形花序のあるものはすっかり坊主になっているものがあり、すでに種を飛ばしたものがあるらしい。刈られる前に少しでも種を飛ばせることが出来て良かったというところだ。花も未だあったが、花が終わったとみられる花序を2か所撮って載せておいた。未だ種子を放出するような感じには見えなかったが、もっと熟したような涸れた感じの花序は無かった。


周辺で除草が始まったところが、何故かこの近辺は除草が行われないまま放置された。毎年8月15日に行われる大田区の花火の祭典に向けて、堤防法面に人が陣取らないようにする意図があったのかも知れない。
花火の祭典が無事に終わって、8月下旬に入る頃、あちこちで除草が再開された。上の写真を撮った後も、この上の堤防天端は何度も通っているが、上から見たところ何も変わったところは感じられなかったので、もうこれは終わったという気分だった。
偶々8月21日にアカメガシワに第二陣があったのではないかという疑念が起きて、本羽田まで雄花が咲いているのかどうか確かめに行った。帰途序に南六郷の直立護岸によって雌花を撮ったりしたが、この日は自転車を使って余裕があったので、最後のまた最後という積りでここで法面を下りて、何度目かのこの株の調査を行った。

そこで初めて種子らしいものを見付けた。もう飛んでしまって何もない坊主の散形花序の名残が見られたが、僅かにこのような種子風のものが残っていた。これがフェンネルシードというものなのだろうか。

坊主になる寸前の散形花序を見付けた。これには未だ数個の種子が付いている。これがあったことで事情がよりはっきりした。これは複散形花序の一部を撮ったものだが、あとの花序は全て種子が飛んでしまって坊主だった。(写真が小さいので、全体を載せると、ここが小さくなって何が何だか分からなくなるので、部分のアップを載せるしかない。)

偶然にもこの最後の3枚の写真を撮った翌日に、この法面は全て除草されていた。ウイキョウのあった場所を調べに行くと、10本程度の太い茎が、(前の痕跡のように鋭利な刃物で伐られたという様子ではなく)根本から7,8センチ程度を残して、引き千切られるようなボロボロの切り口で刈取られていた。

左の2枚は2015年4月25日の撮影。対象は昨年全過程を撮った個体。上に載せている写真を撮った場所を覚えておいて、春にこのように葉をモクモクと茂らしていたところを撮った。然しこれから試練の時が続く。5月、6月と堤防法面に草が生い茂るようになると除草車が出動して法面は丸坊主にされる。
ここは堤防の川裏側の法面だが、両面は同時に刈られるので、当然このウイキョウも根本から引き千切られて、モクモクした葉の全ては失われる。しばらくすると又葉を出し始めるが、モクモクした頃に又次の除草時期となって刈取られ、春から夏に掛けて、そういうことが何度も繰り返される。

堤防の法面に居を構えた宿命ということだが、一度はこのまま伸ばせてみたらどういう株に育つだろうかと考えたことがあり、移植の可能性を探ったことがある。然し根は巨大であり、シャベル程度でどうこう出来るものではないことが分かった。スコップで掘り出すなどし始めれば、堤防に穴を明けようとしている不審者として検挙されかねない、ということが分かって移植は断念した。


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