<参考26> 汽水域で春から夏にかけて見られる草木の花
【アオイ科】 タチアオイ属 : タチアオイ
左の写真は上から5枚は2014年6月中旬に、多摩川大橋下手の本流側で撮った。初めの写真で堤防の川裏に見えているお寺は、鎌倉時代後期に創建されたという圓應寺。本尊は阿弥陀佛を祀るが、境内には度重なる多摩川の氾濫による犠牲者を供養するための庚申供養塔がある。(大田区内に残る庚申塔は少なくとも何十とある。)
円応寺を入ると、塀に沿って大日如来を中心とした13仏の石像が配置され、その先の墓地の入口に庚申供養塔がある。「板碑型の石碑に青面金剛立像を中心に、日月や鶏、三猿が刻まれ、江戸初期の典型的な様式である」とのこと。青面金剛は六臂(ぴ)に法輪、三叉鉾などを持つ忿怒相で、邪気を踏みつけた下に二鶏、その下に三猿が彫られている。こうした像が彫られた石塔の一番下には平面に文字が刻まれているようだが、もう普通には殆ど読めない。ここに施主について荏原郡六郷荘古市場という中世的な表記があったりしたようである。(大田区教育委員会が建てた説明板があるのだが、これが昭和49年設置ということで、既に40年も経っていて、下半分が擦(かす)れている状況にある。)
植物種としてはアオイといえば(遅くとも)中世以後はこのタチアオイのことを指すが、古く万葉の時代のアオイはフユアオイのことを指していたと考える説もあることを付言しておくべきだろう。
原産地はトルコ辺りとみなされている。ヨーロッパの南部や東部の原種が交雑して生まれた交雑種と考えられていると記載されている書き物を多く目にする。花や根は薬用にされるが、ハーブや食用としても使われることがあるようだ。
上の花を撮った日から一週間近く経った6月19日に再び当地を訪れると、期待通り幾つかの花ではメシベが出て雌花に転換していた。ここから下3枚の写真はその時メシベをズームで撮ったものである。
最後の一枚は、ウイキョウが刈られてしまう前にもう一度撮り直しておこうと思って来た7月下旬で前とは少し違って、堤防側に寄った場所にあったものを撮った。いずれにしても一帯はセイバンモロコシに席巻されていて条件は非常に悪く、そのせいか丈も1メートルに満たない低いままに止まり(最後に撮ったものの丈は50センチも無かった)、その規模で必死に花を咲かせているという感じだった。
左の写真3枚は同じ日で、8月17日に多摩川大橋上手の円応寺前の場所で撮った。未だ咲いている花も僅かにあったが、既に枯れてボロボロの痕跡しか残っていない株もあった。果実の熟成は早く、裂け目が入って、種子を放出中という果実も多く目についた。
因みに葵というと、徳川の家紋である三つ葉葵が連想されるが、その葵とは無関係である。
三つ葉葵に限らず、各種の葵紋に用いられている図案の原型になっているのは、ウマノスズクサ科のフタバアオイである。フタバアオイはその名の通り、ハート型の葉を2枚ずつ対で出し、三つ葉葵は架空の植物ということになる。長野善光寺が用いている「立ち葵」という茎まで入れた図案の紋もあるが、これも原型はフタバアオイであり、ここで扱うタチアオイとは関係無い。京都三大祭の一つ葵祭も、平安時代に隆盛を極めた頃は賀茂祭と呼ばれていたが、その後廃れ、元禄時代に再興されて後、葵祭と呼ばれるようになったもので(今でも正式名称は賀茂祭)、あちこちに飾られる葵は全てフタバアオイである。
(因みに、大田区内で最古とされる庚申供養塔も大田区の指定文化財になっているが、東急多摩川線沼部駅の傍の密蔵院にあり、寛文元年(1661年)に建てられたもので、舟型の石に地蔵立像を半肉彫りしたもの。Wikiによれば、青面金剛刻像を彫った庚申塔で、確認されている現存最古のものは福井県にあり正保4年(1647)のものとされている。)
Wikiには、「庚申塔には街道沿いに置かれ、塔に道標を彫り付けられたものも多い」とありまた、「庚申塔の建立が広く行われるようになるのは、江戸時代初期(寛永期以降)頃からである。〜 明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を進めた。さらに高度経済成長期以降に行われた街道の拡張整備工事によって残存した庚申塔のほとんどが撤去や移転されることになった」とある。ここ圓應寺の庚申供養塔も、もとは矢口三丁目の旧道沿いに建てられていたが後に現在地に移設されたものという。
タチアオイは両性花だが、「雄性先熟」といい、先ずオシベのみを出して花粉を供給する。雄花として振る舞った後は、雌花に性転換しメシベを伸ばして、花粉を受け取る側に換わる。(このように一個体が性転換し、両性の役割を果たす例は植物に固有のものではなく、魚類など他の生物でも見られる。)
ところが2014年にここの堤防法面にセリ科のウイキョウを発見して、その複散形花序を何回か撮り直しているうちに、下の方のフェンス際にこのタチアオイがあることが分かって撮ったもの。
2014年はどこもセイバンモロコシが優勢で、圧倒的な繁殖力を見せ付けて猛威を振るっていたが、金網のフェンスを抜けて、都営住宅側から園芸種の種子が飛んできてももおかしくは無く、セイバンモロコシに埋もれてしまうような状況になる前からこのタチアオイはあったのだろう。
(フヨウの果実については [参考36] の方詳しく載せている。)