<参考26>  河川敷の春から初夏にかけての草木と花

 

     【キク科】  タンポポ属 : セイヨウタンポポ

 

六郷川の河川敷では、緑地の周辺など刈られる場所にはセイヨウタンポポが多い。一方堤防法尻界隈では埋もれてしまって見えにくいが、5月の綿帽子の時期になると妙に目立ち、その多さに驚く。

タンポポ(蒲公英)類の頭上花は、花びらの1枚々がそれぞれ1つの花(舌状花)になっていて、花びらの数だけ花があることになる。
タンポポ類では普通の花の場合萼(がく)の位置にあたる場所にあるものを総苞(そうほう)という。普通の花では苞は、萼の下の花柄の付け根にある。セイヨウタンポポは総苞の外片が反り返る特徴があり、日本古来のタンポポと見分けるポイントにされる。
在来種のタンポポ(カントウタンポポ・カンサイタンポポなど)は他家でないと受粉しないが、セイヨウタンポポは自家受粉するので、圧倒的な繁殖力を誇り次々に増えていく。

開発され都市化された地域に見られるものは全てセイヨウタンポポといわれる。セイヨウタンポポは、やせた土壌や汚染された土壌にも育つことから、土地の環境状況を測る指標植物として生育実態が取上げられることが多い。

花が終わって子房が熟すと、それぞれの種子にそれぞれの萼(がく)が変化した冠毛がつき、種子を風に乗せて飛ばす用意をする。タンポポ類の花は、中央部も全て舌状花で出来ているので、花びらが全て冠毛に置き換わることで球状の綿帽子が出来るのである。

左の写真は2006年4月25日の撮影で、場所は南六郷地先。綿毛の先端部が開くと球面が形成されタンポポ特有の綿帽子になる。写真はその前段階の様子。

左の写真は3013年4月9日の撮影。場所は多摩川緑地から多摩川大橋に向って中間辺り、川裏にトミンタワーがある近くの堤防法面。オオジシバリなどを撮った近くでこれも撮った。タンポポを目標に撮影計画を立てることはなく、タンポポは常に何かを撮っている時、目に付いたものを序に撮るのが殆ど。

左の2枚は2013年3月22日の撮影。場所は多摩川大橋から下流方面に進み、ゲートボール場や公園広場を過ぎ、川裏にトミンタワーがある近くの堤防法面。この時期でも場所によってはホトケノザなどが咲いているが、この一帯では未だ花は殆ど見られなかった。そんな中でこの鮮やかなタンポポだけが、10個程度端正な花を開いていた。


左の1枚は2014年4月5日の撮影で、多摩川緑地から南六郷の桜を撮りに行く途中、多摩川緑地の堤防下で、ミドリハコベを撮っていた隣に咲いていて、偶々ベニシジミも来ていたので撮った。

ここからの2枚は2014年4月8日の撮影。場所は多摩川緑地から多摩川大橋に向って中間辺り、川裏にトミンタワーがある近くの堤防法面で、いつもジシバリやオオジシバリが見られる場所。この年は護岸側でオニグルミの新芽を撮ってから堤防側に移り、ギシギシなどを撮っていたついでに撮った。


 


 
近年在来種のタンポポはめっきり減ってしまい、とりわけ関東では殆ど見付けることが出来ない。
左の写真2枚は参考のため、2016.3.20に狛江市で撮ったカントウタンポポを載せた。
葉には大きな切れ込みがあるが、外来種と在来種を見分けるポイントは総苞片を見るのが分かり易い。

在来種のカントウタンポポでは、花を裏返して見ると、総苞片が花に密着していることが分かる。外来種のセイヨウタンポポでは総苞片の先端は反り返って花から離れている。

 


 
     【キク科】  ノゲシ属 : ノゲシ

 

5月に堤防の階段脇や高水護岸上下の法面に白く点々と見えるのは、キク科タンポポ亜科ノゲシ類の綿帽子である。ノゲシ類は堤防の法面に多いが、下の写真は偶々京急の鉄橋と六郷橋の間の荒地で撮った。この界隈にオニノゲシもあると思うが、写真に写っているのは多分ハルノゲシだろう。
ノゲシ(野芥子)属は野に咲く芥子(けし)の意味だというが、ヒナゲシやポピーで知られるケシ類とは全く似ていない。ノゲシはタンポポと同じキク科タンポポ亜科に属し、実際花はタンポポに酷似している。ただこの時期にはタンポポ特有のロゼット(茎が見えず根生葉が地面に放射状に広がる)姿ではなく、伸びた茎に葉がつき背丈は50センチを超え、1メートル近くになるものもあるので、タンポポとの違いは明瞭である。
ノゲシの綿毛はタンポポのように先が数本折れ曲って、全体が球面を作るような態ではなく、直毛タイプである。透けて見える疎らな感じはなく、柔らかそうな毛が密集し不透明に近い球となる。
この特集ページを始めた2003年頃は、安養寺から多摩川大橋までの間、堤防法面にはノゲシは普通に見られたが、その界隈のノゲシは2006,2007年の堤防の拡幅大工事によって完全に消滅した。

2014年は2003年頃のように安養寺側の堤防法面ではなく、本流側の荒地(土手の裾)に散見されるようになった。かつて堤防側で見られたような丈の高いものではなく、未だ精々数十センチ程度のものである。
左の2枚は多摩川緑地の堤防下での撮影。撮影日は上が2014年4月5日、下は同年4月12日。


ここからの5枚は多摩川緑地の本流側にある土手下の散策路沿いで撮った。
撮影は秋で撮影日は、上の3枚が2015月11月3日、下の2枚は2週間後の16日である。アキノゲシというわけではなく、ハルノゲシだろうが、こうしたノゲシはほゞ年中咲いているようなものである。





 


 
左岸の海側は右岸とはかなり様相が異なる。右岸は大師橋を過ぎると荒れ地化した幅の狭い高水敷に、広範囲に浅瀬化した水域という環境が続く。一方左岸では大師橋を過ぎると、海老取川の分流口までは、旧羽田猟師町を思い起こさせるような景観がく。コンクリート製の防潮堤を背に桟橋が続いて漁船が並び、途中2ヶ所に羽田水門が出来て、その裏は船溜まりの水域となっている。然しこの界隈の海(大森、羽田、大師など)には地元に漁業権は無く、並んでいる船をよく見れば、純粋な漁船らしき船は殆ど見当たらず、釣り人相手の遊漁船や、漁業とは無縁の屋形船などである。

近代までの多摩川の河口近辺は、右岸側にあった八幡澪などいくつかの澪を分岐して、全体として羽田洲に注いでいた。現在羽田の住宅地と空港用地を南北に仕切る海老取川は、多摩川の弁天橋口で分岐し、森ケ崎の海岸沖に流れる。かつて数多くあった多摩川河口域の派川の内、大正時代に始まる直轄改修工事で唯一埋められずに残されたもので、全長が1キロメートル余りの短い派川だった。
昭和初期に、鈴木新田字江戸見崎の北側に埋立が拡張されたが、(この江戸見町は逓信省に買収され飛行場用地となった)、江戸見町沿岸と海岸線の間700メートルほどの間は海老取川の河口延長水路のような格好になった。ここは海老取運河と呼ばれたりもするが、現在では弁天橋口から海老取運河の端までの全長2キロメートルほどの全域を海老取川と称しているようである。

海老取川を多摩川の支流と勘違いして、本流から海老取川が分流していく弁天橋口を、海老取川の”合流点”と表記をする人が少なくない。弁天橋口のみを見て海老取川の全体を知らないために安易に思い込んでしまう錯覚だが、一時的にこの地を訪れたサイクリングの人などだけでなく、多摩川の関係者の間にも弁天橋口を合流点とする人が少なくないのは意外だが残念なことである。
海老取川はその全体が潮汐に応じて水位が変動する感潮河川であるため、潮の干満に左右され平時には川がどちらに向って流れているのか判断が付かない。そのため、この川の上下はどうでもいいのではないかと思いがちになる。然し一旦洪水となれば、猛烈な濁流が弁天橋口から森ケ崎方面に流れ下る。この様子を一目見れば、弁天橋口を合流点などと無責任なことは言えなくなる。

弁天橋口で海老取川の水路は本流の河口方向を向いている。初めてサイクリングなどでやってきた人はこの形状を見て、海老取川が本流に流れ込んでいると錯覚してしまうのだが、この形状は洪水時の濁流が直に鈴木新田の岸にぶち当たるのを緩和させるために、海老取川に入ってくる濁流を敢えて迂回させるような形に導いたものだ。分岐流が流入する位置に本流左岸の角から石組みの低い堰堤(五十間鼻と呼ばれる)が伸びているのも、入ってくる濁流の影響を弱めるために古人が工夫した名残で、これらのことからも洪水時の流入の激しさが偲ばれる。弁天橋口を安易に合流点と称していては、これらの古人の努力の意味が分からないし、現在でも「海老取川の左岸には高潮対策の防潮堤が作られ・・・」とか「海老取川上中流部の左岸側は遊漁船やプレジャーボート等の不法係留が・・・」などの記述を目にすることがあるが、具体的に上下が分かっていなければ左右のことも分からない。

ハチジョウナはノゲシ属に属するノゲシの一種。八丈菜は原産地を誤って付けられた名前と言われ、実際には東北から北海道に掛けて、(千島・樺太に及ぶ)北国の海岸地方に多く存在する。(ただし九州・四国などにも自生が無いということではない。)
波しぶきを浴び、強い潮風に吹かれるような厳しい環境に耐える特性があり、他に草花などが存在しないような場所に生えている。
多摩川の汽水域では、空港敷地の沿川部(国際線ターミナルの近傍)の一部にのみ存在する。空港敷地の沿川部(海老取川分流口から海側)は、直轄改修工事ではあまり弄られていないようだが、堆積が進んで岸辺はかなり広く洲が発達して、干潮時には干潟になるが、右岸側ほどは広くはない。
ただ元羽田東急ホテルがあった場所の下手に、起原は不明ながら奇妙な形の張り出し部があって、礫河原というより岩場に近い状況になっていて、その窪んだ入江のような場所で、岩や瓦礫の間に溜まった土にハチジョウナが生えている。


6月中旬に多摩川の自然を守る会の月例観察会があって、この場所を知らされたが、この場所の直ぐ上手で、護岸から環八までの間の地面を500メートルほど塀で囲って、何やら不明の工事が始まっていた。工事の名称は「共同溝他築造等」などと書かれたものが掲げられていて、何を主目的に川縁で工事しているのか全く分からない。仮にこの工事が沿川部を整地するものであれば、ここのハチジョウナが失われことは確実だ。取り敢えず咲いていたら撮っておこうと焦って早めに出てきたのはそうした理由による。
工事のことについて試しに京浜河川事務所に聞いてみたところ、「河川区域及び河川保全区域外の工事なので、京浜河川事務所では把握していませんので、詳細は担当部署の東京空港整備事務所 第一建設管理官室にご確認下さい。ちなみに工事内容等、公になっているものはないそうです」というツレナイ返事があった。(東京空港整備事務所というのは国交省関東地方整備局内の1部局)

左の写真上から11枚の撮影は、2015年7月13日と20日である。肥沃とは思えないこんな場所に、いつから何故生えているのか知らないが、多摩川ではここにしかないと聞いていたので、時期的に早いとは思いつつも、上記した理由で何とか咲いていることを願って撮影に行った。
写真は良いところを狙って撮るので、全体の印象は分かりずらい。この頃にはもう猛暑が始まっていて、寒さに強いハチジョウナだが暑さには弱いとみえ、萎れかかっているものが多く、観察会の折に多くの葉が密集して、ここが本命などと考えていた部分は、花どころではなく殆ど全体が消滅しかかっている有様だった。そんな中でも、咲いている場所もあり、花は大きく既に綿帽子となっているものもあって予想以上の成果だった。




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