<参考26>  河川敷の春から初夏にかけての草木と花


     【ゴマノハグサ科】  クワガタソウ属 : オオイヌノフグリ・タチイヌノフグリ・ムシクサ・オオカワヂシャ

 

ゴマノハグサ科クワガタソウ属オオイヌノフグリは明治初期に帰化したとされる帰化植物。
在来種として同属にイヌノフグリがあり、これより花の大きい種であることからオオイヌノフグリと命名された。フグリは陰嚢を意味する古語で、在来種イヌノフグリの果実が犬の睾丸の外観に似ていることからこの名が付いたとされる。
2003年に <参考26> 「河川敷の春から初夏にかけての草木と花」 の掲載を始めたとき、このオオイヌノフグリは載せていなかった。当時オオイヌノフグリの存在に気が付かなかったのは、この草が無かったからではなく、素人には気が付きにくいほど花が小さかったからに違いない。
2004年春は桜に没頭していて草花はブランクになり、2005,06年はこの特集の対象区間にしていた多摩川緑地から多摩川大橋に掛けての左岸一帯で堤防拡幅工事(その準備としての高水敷造成工事や低水護岸工事)が行われ、河川敷や堤防敷から野草が消えたという事情があった。

2006年には多摩川大橋方面は殺風景で味気ない景観となったので、六郷橋緑地方面に多く出向くようになった。たまたま多摩川緑地花壇のルリカラクサを撮っていた時、花壇の外側にあって同じような色をした小さなこの花に目がいった。
六郷橋緑地に行ってよく見ると、刈取りが効いて周囲にクローバーなどの背丈が低い草しか無いような、河川敷の日当りの良い場所では、至るところで見ることが出来るというほど一般的な存在であることを知った。(花壇の中にもあった。)

本家イヌノフグリは土手や道端などの草地に生える越年草で、東アジアに広く分布していたらしいが、現在では日本版レッドデータブックで絶滅危惧U類(VU 絶滅の危機が増大している種、現在の状態をもたらした圧迫要因が引き続き作用する場合、近い将来「絶滅危惧T類」(絶滅の危機に瀕している種)のランクに移行することが確実と考えられるもの)に記載されていて、一般には殆ど見られなくなったという。

在来種のイヌノフグリについて図鑑には、花冠は淡紅白色で紅紫色の条があり、花の径は3〜4mmと書かれている。ミリオーダーの花というのは戸外で見る花としてはいかにも小さい。
イヌノフグリを追いやって繁殖しているこのオオイヌノフグリは、名前に「大」の字は付くものの、それでも花径は1センチに満たない小さな花である。花びらの色は藍から紫の中間という感じで、花の中心部は極端に白い。
オオイヌノフグリの注目すべき特徴として、その独特な花の形がある。花びらは4枚だが、アブラナ科の花のように十字対称形ではない。一枚は扇形に近く、この1枚のみ花びらに走る条(11本)の付根部分が赤紫色に染まっている。この対角にくる1枚はいくらか小さめで、ヘラのような縦長な形をし、他の3枚に比べると色が薄く白っぽい。上下の非対称な2枚と交叉する左右の2枚は対象形で、下側から大きく包み込むように丸く広がる。
おしべは2本で、先端部分(葯)が膨らんでいれば、鮮やかなブルーが見える。花の寿命は1日なので、開ききった花では、おしべは既に花粉を飛ばしてしまい、葯が見られない場合の方が普通である。



この下の2枚は2014年3月下旬で、場所は京急と六郷橋の中間の水路側。河川敷にゴルフ打ちっ放しがある区域の裏側の一帯で、耕作放棄地のようになっている荒れ地の隅で撮った。随分綺麗に見えたものだから、つい撮ってしまったが、この花は1日の寿命で、青い葯が付いていないと写真価値半分は否めない。午後ではいくら綺麗に見えてもこの花の撮影には向かないことを今更また思い知った例だが、この花を撮るのは久々でもあり、折角だから載せておくことにした。
この辺り一帯は基本的には荒れ地だが、古くからHLが入植していることから、部分的に家が作られたり開墾されたりしていて、野草の中に栽培種が混じったりする分かりにくい場所である。
ただ一見不用心に思えることから、通常の岸辺の散策路のように、一般人が通行することは殆ど無い。通路は半ばHL専用の獣道のような感じになっているので、他人の家の裏庭を行くようなうしろめたさがあったり、かつては通れた水際の道がいつしか草薮に塞がれて道が消滅していたりと、実体的に入りにくいということもある。入ってみれば、荒れ地が畑に変わっていたり、いつしか竹林のトンネルが出来て、薄暗い小道が続いたりと変貌も激しい。こんな道に2014年6月初めに通った時に、「地形の変化を調べている」という国交省から委託を受けたと思われるような測量士が居て驚いた。


 


 

このタチイヌノフグリも次のムシクサも2014年の多摩川緑地の堤防下の工事後に芽生えてきた草種の中で撮った。
この界隈では、オオイヌノフグリは至る所で見られると言って過言ではないが、タチイヌノフグリには気付いたことはなかった。そこでこれを見た時にも、何かオオイヌノフグリの出来損ないのようにしか見えなかったし、花柄が無く、上部の葉の間に付く様は、ムシクサに似ていたため、ムシクサとの区別も定かにならず、結局これらはオオイヌノフグリとは異なる2種であることを結論するまでに何日も要した。今から思えば、地表に這いつくばるように存在するオオイヌノフグリとは、草の格好が異なり、丁度シロツメクサとムラサキツメクサのように低く横に広がるか、上に立ち上がるかの姿が異なることで別物と分かる訳だが、花はミリオーダーで小さく、上からだけ見て、ただ花を見極めようとしていたため、丈がごうなのかという違いには直ぐには気付けなかった。

左の1枚目の写真は何か5弁花のように見えて変だが、2枚目以降の4弁花にしても、小さいなりにオオイヌノフグリに似て、十字の花弁の形は皆同じということはない。タチイヌノフグリの場合も上下の2枚は大小になっていて、左右の2枚の方は対称で両脇からしっかり抱える。もしオオイヌノフグリでそのことを勉強していなかったなら、より小さいタチイヌノフグリでは気付かないか、単に出来損ないの花と見做すか、おそらくそんなことになるのではないか。
いずれにしても、これはハナイバナを探していた最中の出会いであり、花自身が特段綺麗だった訳でもなく、参考程度に撮っていた写真なので、枚数も少なく写りも十分とは言えない。花ももっとまともなものがあった筈である。タチイヌノフグリを実際に知らなかったということが全てで、今回こういうものがあるということを知ったので、今後の遭遇では迷うことは無いだろう。
これらは皆薄い色だが、ネット上の画像では、もっと青色が濃い方が普通に見られる色のようで、また別に白だったり、ピンク系統の色のものも載っている。因みにオオカワジシャはピンク系で立ち姿だが、花は花柄がある付き方で、タチイヌノフグリのような無柄で葉の間に付く形ではないので、双方を混同することはない。




 


 

このムシクサには泣かされた。タチイヌノフグリと同様、このムシクサについては、そんな草種があるという名前すら知らず、ひたすらハナイバナを追っていたときに、このムシクサの紛らわしさにひどく困惑させられた。何せ同じような白い4弁花ということで、対象が小さいだけに見極めが付かず、タチイヌノフグリと相まって、相当期間、疑問種として扱わざるを得なかった。
ハナイバナを実際に何株か確認できた後、明らかに格好の異なるこの草は何だということになって、やっとムシクサというものの存在を教えてもらうことが出来、それまで邪魔者に過ぎなかったこの草をまともに撮ることとし、左のような写真を何枚かゲットして、晴れてここに載せる段取りとなった。

花はすぼみがちで、花弁の間に位置するガクが花弁の大きさを凌ぐほど大きい。そんなことは写真にして初めて分かることで、花はいかにも小さく、内部については、メシベが1本でオシベが2本ということが分かる程度までがやっとだった。
キュウリグサに始まって、ハナイバナ、タチイヌノフグリからこのムシクサと対象が小さく、接写にはあまり向いていないコンパクトデジカメでまともに撮るのは容易ではない。この春これをやっていて、こんな小さな花を撮るのは2007年のアメリカフウロ以来かななどと思い出していたが、この後ヤエムグラの花で更に困難な撮影を強いられることになるとは予想もしていなかった。






 


 

この界隈でオオカワヂシャが普通によく目につくようになったのは2008年の春である。

2005〜6年に掛けて左岸の多摩川大橋下手から川裏にトミンタワーや安養寺がある地点を過ぎ、都道・旧堤道路が堤防上に上がった来る地点(川の一里塚がある旧シャープ流通センターの角裏)辺りまでの範囲で、大規模な治水工事が行われた。工事が2渇水期に亘ったのは、一期では施工しきれない大掛かりな工事だったからである。
2005年に始まる渇水期には右にカーブしていく部分(近代に氾濫した過去がある)を中心に、河川敷を30メートル幅で低水路に拡張する造成工事を行った。先に護岸の基礎となる川中のラインにシートパイルを打込み、囲った上で中をポンプで排水した。この時点で古い水制工の跡が露出し、急きょ勉強会が行われたりしたが、その後囲われた部分は埋め立てられて河川敷の拡幅となった。埋立用の土は対岸(右岸の川崎市小向)の練習馬場の地先に堆積した土砂を掘削して調達するなどした。(左岸側で低水路を潰して高水敷を造成した分、逆に対岸側で堆積地を掘削して、”行って来い”のように見えるが、氾濫を防止するための洪水処理能力は、低水路の幅ではなく、高水敷を含む堤防間の断面積が有意なので、翌年左岸の川表側に土を盛って堤防を拡幅した分、実際の河積は縮小したことになる。)

2006年には高水敷にも短いシートパイルを打って、堤防の洗掘防止対策を施した上で、土を盛って堤防をほゞ2倍にまで拡幅し、更に川表の側の法面の傾斜角度を緩やかに変え堤防の強度を一層増した。法面は圧迫整地された後、塩ビシートのような防水シートが貼られ、その表面にコンクリートパネルが連接設置され、覆土された上に切芝のマットを張って仕上とした。(この区間の堤防上は都道・旧堤道路が走っているが、拡幅された部分には非常用に車が進入できるような形を採ってはいるが、平時には通常の堤防天端のように、自転車や歩行者は通行できるが、都道との間は仕切られ、車道に開放された形ではない。今後堤防を車道として使わせることはしない、という国交省の原則が守られた形となっている。)
2007年春には、この仕上用の覆土に含まれていたと思われるマツバウンランが、トミンタワー前辺りの法面を中心にした広範囲に芽生えて群落を形成、この景観のことがあちこちに知れ亘り一大フィーバーとなった。工事後に新しく持ち込まれて使用された土から変わった植物が芽生えるケースは少なくないが、この時のマツバウンランは記憶に残るほど鮮やかで、薄紫一色、ラベンダーの花畑かと見紛うような景観だった。

2007年はマツバウンランこそ華やかだったが、その他の安養寺方向への工事跡は、法面平面とも殆ど全面がシロツメクサに覆われた。翌2008年はマツバウンランもかなり再現されたが、この一帯は多くの草種が出現して花盛りとなり法面は華やかだった。その年堤防の法尻近辺にかなり多くのオオカワヂシャが出現した。
左の写真はその時に撮ったものである。堤防近傍は定期的な除草を受ける場所であり果実期までは持ち堪えなかった。オオカワヂシャは現在ではほゞ世界中に分布し、日本でも19世紀中には侵入されたと考えられているが、外来生物法によって特定外来生物に指定され、本州の大部分から九州、四国の北部にまで野性化した個体が確認されている。
多摩川下流のこの界隈で特定外来生物に指定されている草種は、有名な悪役であるアレチウリの他では、このオオカワヂシャ程度である。(オオキンケイギクやオオハンゴウソウなどはこの辺では未だ殆ど見ない)

一旦これほど生えてしまった以上は、もう来年からは増える一方だろうと思ったものだが、翌年には殆ど姿を消してしまい、やがて全く見られなくなった。(実際には絶滅してしまった訳ではなく、ヨシ原の中の小道の脇などに細々と存続していた。)
オオカワヂシャが特定外来生物に指定されているのは、その繁殖力の故にではなく、在来種で準絶滅危惧種に指定されているカワジシャと交雑すること、その雑種(ホナガカワヂシャ)が次世代を作る能力があることが確認され、在来種の遺伝的攪乱が生じる恐れがあるとされたことによるもので、必ずしも繁殖力が強いとう訳ではない。

2014年時点ではオオカワヂシャは僅かに増えてきていて、安養寺前の植生護岸などでも散見されるようになっている。6枚目の最後の写真は2014年4月中旬に植生護岸の最下段でヨシにまみれて生えていたものを撮った。それほど多い訳ではないが結構きれいに咲いていた。




 
     【ゴマノハグサ科】  クワガタソウ属 : フラサバソウ(参考)

 
クワガタソウ属には紛らわしい種類が幾つかある。
ここに参考として載せたフラサバソウもその一つで、ヨーロッパやアフリカ原産の帰化植物で、今では日本全国に広まっている。
写真は2016.3.20に狛江市の水辺の楽校の堤防寄りで撮った。近年増加傾向にあるということなので、いずれ汽水域方面にも広がる可能性があり、先行して載せておいた。
花の大きさは3〜4ミリ程度で、オオイヌノフフリよりは小さく、タチイヌノフグリよりは大きい。花の色はオオイヌノフグリほど青色が鮮やかではなく、やゝ紫掛かった色をしている。葉の周りが剛毛で毛むくじゃらなので見分けに紛れは無い。

フラサバソウは別名を「ツタバイヌノフグリ」というが、イヌノフグリのように果実は2つになっておらず、一つに多少くびれがある程度という。
和名は、日本で初めてこの花を発見したフランスの植物学者フランシェとサバティエの名前から、双方の先頭部分をとって繋げたもので命名された。

フラサバソウは4弁花のように見えるが、オオイヌノフグリのように明瞭な4枚にはなっておらず、元の方の浅めの場所で隣接部と繋がっていて、花弁同士が重なることはなく、1枚の花弁に深い切れ込みが入ったような恰好をしている。

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