<参考36> 河川敷の夏から秋にかけての草木と花
【ヒガンバナ科】 ヒガンバナ属 : ヒガンバナ
日本のヒガンバナは3倍体で種子が稔らないので、球根の分離移動によって増える。
偶々2013年には何故か左岸のこの辺りでも、あちこちでチラホラ見られた。川上側では多摩川緑地の水路側にある土手の法面や、反対側のシャープ前の堤防坂路の法面下で見られ、シャープより下手になる堤防の川裏側の法面にも出ていた。川下側では六郷橋からグランドに行くまでの通路脇にかなりの数がまとまって見られたほか、白い花の株は水路側の荒地でHLの住いに入る小道の入口にあった。
ヒガンバナは人里植物と呼ばれ、或いは史前帰化植物と呼ばれるものの代表種である。人里植物については、[参考26] に載せているユリ科ヤブカンゾウの項に詳しく書いてあるので、ここでは詳細を略すが、史前帰化植物と呼ばれるのは、農耕文化の伝来に付随して紛れ込んできた野草類のことで、欧州原産種が多いとされ、ヨーロッパからアジアを経由して帰化したものと思われる。概ねイネに付随してきて水田の周囲に生えていたものと、ムギ類に付随して紛れ込み、刈取り後の水を抜いた跡や白田、或いは里山に生えるようになったものに大別されるが、そうした種は必ずしも厳密に確定しているとは言い難く、あくまでそう推測されているという程度の仕分けだろう。
シロバナのヒガンバナの葉は幅が広く、アカバナの普通のヒガンバナの葉幅は水仙に似た程度のものもある。水仙の葉はヒガンバナより長く、ヒガンバナの葉は水仙のように長くはないが、幾分か分厚くしっかりした感じを与える。
写真は左の群生が管理事務所の下あたりで、下の方のズームはやゝ上手側の株で撮った。
ヒガンバナは漢字で彼岸花と書き。多年草で田畔(たぐろ:あぜ)、墓地など人家に近い草地に自生。夏から秋にかけ、鱗茎から30センチ内外の1茎を出し、その頂端に赤色の花を数個開く。
花被は6片で外側に反り、雌蕊・雄蕊は長く突出。花後、冬の初め頃から線状の葉を出し、翌年3月頃枯死。有毒植物だが、鱗茎は薬用・糊料とする。
カミソリバナ。シビトバナ。トウロウバナ。マンジュシャゲ。捨子花。天蓋花。
【注1】 鱗茎(りんけい):地下茎の一。節間の短縮した茎に、養分を蓄えた肉厚の鱗片葉が多数重なって、球形や卵形をしているもの。タマネギ・ユリ・チューリップなど。園芸では球根という。
【注2】 石蒜(せきさん):彼岸花の別称で、民間療法で彼岸花の鱗茎を乳腺炎などに用いる場合などではこう呼ばれる。
この辺り(多摩川大橋から六郷水門までの左岸)にはヒガンバナは少ない、というよりこれまで殆ど見られることは無かったといってよい。(本編中に10年前になる2003年10月に多摩川緑地から対岸の妙光寺を撮った写真を載せているが [No.43F]、この時右岸の堤防法面にヒガンバナが鮮やかに見えたのが珍しかったのでこの写真を採用したという経緯があるほどである。)
左の写真は全てこれらの場所で、2013年9月に撮影したもので、撮影日は川下側が24日、川上側は26日で、白花のみ1枚は28日である。
ところで史前帰化植物とされるものの中に、イネやムギの栽培伝来と直接結びつかない種がある。その代表種がヒガンバナであり、ヤブカンゾウもそうした部類に入る種である。
でんぷんを含むので、摩り下ろし、繰返し水洗いして毒素を除き、非常食などとして食用にされるとの記述もよく見かける。山中に見られず、人里植物になっているということは、自生より人為的に植えられたものが多いということだろう。ただ工事直後でなく、何年もいじられていないような場所に突然姿を見せることは不思議に思われる。(左のつぼみが見られたのは、シャープ前の堤防上に「川の一里塚」のある場所のすぐ下で、堤防の表面に作られている販路の法面だが、ここでヒガンバナを見たのは初めのことで、最近土が盛られたなどのことはなく全く意外な風景だった。)
2013年には同じように3倍体でいつもは殆ど見られない不稔性のヤブカンゾウがあちこちで結構見られた。双方の出現には何か共通する理由があるのだろうか。
ヒガンバナというと京都で群生に近いような大きな群落を見た経験があるが、ヒガンバナの名所というのはいずれも大群落であり、多摩川の河川敷のように数株程度のものが散発的に見られるものは記憶が無く、ヒガンバナに対するイメージが変わるようになった。来年は一体どうなるのだろうか。
花の時点では葉は見られないが、花が終わった後、晩秋から冬の時期に葉を出し、光合成を行って養分を球根に蓄える。
葉は細長く厚手で茎は無く根生葉の形をしている。イネ科など似たような根生葉との見分けは、葉の先が切れ長に尖った形でなく、水仙に似て水仙を大型にしたようなもので、葉先が丸味を帯びて切れ長にならないことが特徴である。
左の写真はシロバナのヒガンバナの葉である。冬場に青々とした活きの良い葉株は少ないので、こうした色鮮やかな株は際立って見える。
ヒガンバナの葉は裏面の中心線に葉脈のでっぱりが際立っていて、葉の裏面を見ると、恰も葉が中心で折れ曲がって三角形状になっているかと思わせるほどに感じられる。スイセンも葉脈があることは認められるが、ヒガンバナほどきつく出っ張ってはおらず、はるかに滑らかである。なるほどそうして見れば、葉幅が細いようなヒガンバナでもスイセンとはハッキリ区別が付く。
この株は秋に花を撮って上に載せているものと同じ株で、シロバナの葉はいかにも幅広いとよくわかる。ところがこの株は翌年には衰退が著しく、年明けにはもう殆ど痕跡程度という感じになった。
ヒガンバナは球根で多年草だからという意識に捉われると、いつまでもあるというように思いがちだが、そういうものではないことを知らされた。この株が何時からここにあって、この間ここで何があったのかなどのことは何も知らない。然しヒガンバナについては、突如現れるものとの遭遇のみが印象に残るが、一旦出現を見たものがずっと居続けることはなく、そういえば何時しか消えている場合も多いことに気が付く。突如現れる理由と同様、何故消滅してしまうのかも分からない。考えてみれば、球根ものが増える一方であれば、地表は多年草で埋まってしまう理屈だ。
【ヒガンバナ科】 タマスダレ属 : タマスダレ
その草地の管理事務所の側に9月末頃になるとタマスダレが見られるようになる。
上手側の秀和レジデンスの前には、以前から絨毯のように一面にべったりとイモカタバミが生えていて、刈られる度に増えていくという状態で、このイモカタバミのことは近隣住民にはかなり知られているが、そのイモカタバミの群生地と緑地管理事務所の間の草地に点在するこのタマスダレの方はあまり知られていない。株数もそれほど多いわけではなく、しかも広い領域に地味な白い花が点在してあるということなので目立つ存在とはいえず無理もない。
しかもタマスダレの花被は完全に開いているものを見ることが少なく、半ばすぼんでリンドウのような格好をしている場合が多いので尚更見栄えが悪く、わざわざ堤防を降りてこの小さな花を見てみようという気はなかなか起きないだろう。(かく言う自分もこの特集ページを改訂することにしてから、初めてこの花を良く見るようになった次第である。)
エシャーレットのような球根を持つことや、細い棒状(線状)の葉はヒガンバナと似ているが、ヒガンバナの葉は花が終わった後に出てきて葉だけで冬を越すが、タマスダレの葉は花が咲く時には既に出ていて、花と共に葉が存在する点でも、突如そっけない茎を伸ばし花だけが咲く印象が強いヒガンバナとは似ていない。
南米(主にペルー)が原産地で日本には明治時代の初期に渡来したという。
この種にも葉や鱗茎にリコリンという毒性のアルカロイドが含まれているそうで、その点ではヒガンバナと共通する。
タマスダレは葉がニラに、鱗茎がノビルに外部形態が似ているため、間違えて小学生が学習授業で校庭のものを食べてしまい、中毒を起こした事例(2006)があるなどのこともあって、厚生労働省による自然毒のリスクプロファイルの中に収載されている。
園芸種としては総称として属名のゼフィランサス (別名: レインリリー)で呼ばれるのが一般的で、ゼフィランサスの花の色は白以外に黄色やピンク(サフランモドキ)などがある。タマスダレはゼフィランサスの中で最も普及している一種という位置づけになるが、タマスダレはゼフィランサスの中では耐寒性のある品種であることが多用される一因ともなっている。
ゼフィランサスは園芸種としては夏水仙や四季水仙(シキズイセン)の名前で流通している場合もある。球根を持つがヒガンバナとは違い種子を作る。
除草の行われる前は一面のセイバンモロコシだったが、流石にこの時期ともなると、刈られた後の再生は無く、初めにまともに出て花を咲かせたのはタマスダレだった。この年はいつものように都営住宅のフェンス越しの側帯のような場所に多く出たが、上手にも下手にも初めて領域を広げた。上手は100メートルほど上った秀和レジデンスと桜井精密の中間辺りの堤防法面(川裏側の法尻近く)に、下手は管理事務所を飛び越えJRの陸橋先の法尻辺りに出た。こちらは川表の側で、遠くからもう白く見えて、あんなところに何だろうと思い、半ばゴミではないかと思いつゝ、近寄って見ると何とタマスダレだった。どうしてこんなところまで飛んできたのか不明だが、上手の長年の実績群の由来だろうと思う。