<参考36> 河川敷の夏から秋にかけての草木と花
【ウルシ科】 ウルシ属 : ヌルデ
A, 「広辞苑(第2版)」
ヌルデ【白膠木】
ふしかね【付子鉄漿】
B, 「Wikipedia:ウィキペディア」
ヌルデ(白膠木、学名:Rhus javanica)はウルシ科ヌルデ属の落葉高木。
C, 「岡山理科大 植物生態研究室(波田研)植物雑学事典 」
ヌルデは落葉の小高木で、樹高7mほどに成長するとされているが、大きくなることは少ない。伐採などの撹乱跡地にいち早く生育する代表的な先駆樹種であり、比較的水分や土壌条件の良い場所に生育する。種子は土中で20年以上の寿命を保っているという。土の中で粘り強く伐採や倒木などの撹乱を待っている植物の1つである。
ヌルデは雌雄異株であり、盛夏の8月から9月にかけ、茎の先端に花を咲かせる。花序は枝分かれして総状となり、小さな花をたくさん付ける。雌花には長さ2mmほどの5枚の花弁があり、中心に3つに分かれた柱頭を持つ雌しべがある。雄花は5本の雄しべがあり、花弁は反り返る。花序にはアリやハナムグリなどの昆虫が多数来訪しており、豊かな蜜を分泌していることがわかる。
(参考:代表的な樹木の先駆種は以下)
【樹皮について】
【お歯黒】
ヌルデは秋に美しく紅葉する樹木の代表的なもので、ひと頃は小学校理科の教科書にはたいていヌルデの紅葉の写真が載っていたものだ。俳句では白膠木紅葉(ぬるでもみじ)が秋の季語となっている。
ヌルデ(かづのき)は古来より日本にあって、万葉集にも歌われている。以下その一例 (万葉集は難しく、同じ句でも人によって解釈が多少違うが、私を誘って欲しいという意味であることは間違いない。)
原文: 阿之賀利乃 和乎可鶏夜麻能 可頭乃木能 和乎可豆佐祢母 可豆佐可受等母
足柄(あしがり)の、和乎可鶏山(わをかけやま)の、かづの木の、我をかづさねも、門(かづ)さかずとも
「和乎可鶏山(わをかけやま)」は、神奈川県の足柄山地(箱根山地と丹沢山地の間、金時山の北側)にある矢倉岳というのが有力。(足柄峠は古代、東国と西国とを結ぶ官道にあり、交通の要所であったため、防人など人行き来が多く、足柄地方を詠んだ歌が万葉集の中に多い。足柄市には足柄万葉公園が出来ているほどである。) 「かづの木」と書かれているのが、ウルシ科の「ぬるで」のことで、ここまでは(意味を掛けていたとしても)全て枕言葉になる。
属名のRhusはウルシ属の木を指すギリシア語から。種小名のjavanicaはインドネシアのジャワを意味する。変種名のroxburghiiは18〜19世紀のイギリス人植物学者の名から。
ウルシ科の落葉小喬木。山地に普通。東南アジアに広く分布。高さ約6メートル。葉は3〜6対の羽状複葉で、小葉間には翼があり、秋に紅葉。8月頃小型白色の花を多数円錐花序につけ、花後、核果を結ぶ。果実は扁平で毛があり、成熟後白粉をつけ、鹹味(かんみ)を有する。
しばしば葉に生ずる嚢状の虫嬰(ちゅうえい)を五倍子(ふし)と称する。カチノキ。ヌリデ。フシノキ。
→ふし
ヌルデの若芽・若葉などに一種のアブラムシが寄生し、その刺激によって生じた瘤状の虫嬰(ちゅうえい)。葉軸の翼に集まって生ずる。紡錘形で内部は空洞、皮壁は帯黄褐色の絨毛を被る。タンニン材として、薬用・染織用・インキ製造用に供する。昔はその粉を婦人が歯を黒く染めるのに用いた。
→ふしかね
五倍子(ふし)の粉を鉄汁に浸して作った黒色染料の一。おはぐろ。
雌雄異株。樹高は5-6mほどの小高木であるが、10m以上の大木になることもある。若い枝は紫褐色で、楕円の皮目ができる。年ごと樹皮に縦の割れ目が入り、やがて全体が灰白色になる。
花は円錐花序で、7-8月に開花する。花は数mm程度で、5つの花弁がある。雌花には3つに枝分かれした雌しべがある。雄花には5本の雄しべがあり、花弁は反り返っている。花序は枝の先端から上に出るが、何となく垂れ下がることが多い。果実ができるとさらに垂れ下がる。
秋には直径5-8mmほどの扁平な球形をした果実をつける。果実の表面にあらわれる白い粉のようなものはリンゴ酸カルシウムの結晶であり、熟した果実を口に含むと塩味が感じられる。
東南アジアから東アジア各地に自生する。日本では北海道から琉球列島まで、ほぼ全域で見られる。
ヌルデの葉は多くのウルシ属の植物がそうであるように、9から13枚の小葉からなる複葉である。葉軸に翼があるのが特徴であり、他種との良い区別点である。長さは20〜40cmで小葉の縁にはやや尖る鋸歯がある。葉の表面は主脈上に毛が密生するが、その他は毛が散生する程度。裏面は軟毛が密生してビロード感がある。
アカメガシワ、アキグミ、オオバアサガラ、カラスザンショウ、キリ、クサギ、シラカバ、ダケカンバ、タラノキ、ヌルデ、ネムノキ、ノリウツギ、ヒメヤシャブシ
若いヌルデの枝には丸〜楕円形の皮目があり、樹皮は紫褐色。2年目の枝では不規則に縦に割れ目が入り、2年目、3年目となるにしたがって次第に割れ目の部分が広くなる。
ヌルデには「ヌルデシロアブラムシ」が寄生し、大きな虫こぶを作ることがある。この虫えいを割ってみると、中には黒紫色のアブラムシが多数生活している。この虫えいを「五倍子;ごばいし あるいは 付子;ふし」と呼ぶ。この五倍子にはタンニンが多量に含まれており、お歯黒や白髪染めの色素原料として利用されていた。
歯を黒く染める風習であり、その歴史は有史以前に遡るという。平安時代の貴族は男女ともにお歯黒を施し、成人したことを示すものであったという。その後武家にもこの風習が伝わり、既婚の女性が夫のあることを示すものへと変化したという。お歯黒は虫歯と歯槽膿漏を防ぎ、冷たい水がしみるのを防ぎ、口臭を防ぐ効果もあった。
明治はじめにお歯黒は禁止され、衰退した。禁止の理由は、二夫にまみえず等の女性蔑視の思想に対するものであり、既婚女性へのお歯黒の風習が人権蹂躙・人身拘束であり、黒い歯がなかなか白くならず、再婚への障害になるなどであった。お歯黒が禁止されると、女性の虫歯や歯槽膿漏が増加するなどの障害が多発し、お歯黒の生産は再開されたが、やがて廃れていった。
その他、羽状複葉に翼がある樹木としては、シナサワグルミ、フユザンショウなどがある。又、ヌルデの割り木は燃焼に際してパチパチといい音がするということで、かつては護摩木に利用されたという。
その際高水敷も幅30メートルほどが追加で造成され(右岸側の堆積部が掘削除去された)、低水路には20〜30メートルほどの長いシートパイルが打込まれた。シートパイルの頂上部はコンクリートブロックが被され矢板の存在は隠されたが、このラインを最下段としてそこから高水敷までは、階段状の植生護岸で仕上げられた。
このヌルデの一群は植生護岸の比較的上方部に定着している。こういう場所なので各種の植物が入混じって繁殖しているため、ここのヌルデも大小数本がまとまってあるようだが、夏場には実際のところどうなっているのか良く分らなかった。
花は9月が最盛期で、9月初旬の円錐花序が未だ蕾の状態の時は緑色をしているが、やがて下旬頃になって開花すると白色という感じになる。花をズームで見るといずれも雄蕊が5本ということなので、雄株の一群ということで、残念ながら果実は見られなかった。花には蟻が相当目立ち結構に蜜を出しているものと伺われた。
ヌルデは秋に美しく紅葉する樹木の代表的なものと書かれているものが多いが、その一方二次遷移のパイオニア的な植種でもあり、このような劣悪な環境に出たものでは、優雅な雰囲気は期待できず紅葉の気配は全く無かった。
ヌルデに関する書き物には必ず、その葉にはヌルデシロアブラムシが寄生し、虫こぶ(虫嬰)を作ることが、「お歯黒」との関係を含め記述されているが、そのようなものも見当たらなかった。
ヌルデの雌株がどこかにないかと思って、初冬の頃この護岸に沿って多摩川緑地から多摩川大橋までの一帯を見てみたが、ここ以外にはヌルデは見当たらなかった。紛らわしいものはオニグルミだが、葉を落としたオニグルミは、枝の先に大きな冬芽を付け、枝先が三角形に尖って見えるようになるので紛れはない。
ただ下手側にあるアカメガシワやクサギは河川敷と同レベルの護岸側放置部にあって、地面を確保した位置にあるので結構大きく伸びているが、このヌルデは階段護岸の中で条件は悪く、丈も精々2メートル程度に止まっている。
ただこの護岸はテリハノイバラやフヨウが階段の下方部にあって綺麗に咲いていたりしているので、競合は激しいが見た目ほどには劣悪な条件では無いのかも知れない。