<参考36>  河川敷の夏から秋にかけての草木と花

 
     【キク科】   ヒマワリ属 : キクイモ

 
キクイモはキク科ヒマワリ属の多年草。原産地は北米らしいが、現在では世界中に帰化植物として広がっている。
日本には江戸時代の末期頃、ショウガ様の根茎部を家畜の飼料として利用するために導入されたらしいが(豚いもと呼ばれたという)、その後戦時中に食用として栽培される時期などを経て、現状では野化したものが荒れ地などに雑草として広がっている。
繁殖力が強いため、日本では「要注意外来生物」に指定され悪者扱いだが、塊状根を形成する糖類は澱粉質ではなく、主成分はイヌリンと呼ばれ健康食品としての機能を有するとの理由から、長野県や岐阜県などの一部では特産品として活用すべく栽培が行われている。

イヌリンはオリゴ糖の一種で、単糖類にまで消化分解されることはなく、血糖値を下げる働きがありカロリーは少ない。またキクイモにはイヌリンの他水溶性食物繊維が多く含まれ腸内善玉菌の餌になると考えられる。ヨーロッパではキクイモを機能性食品の原料として見直す動きが活発になっているらしいが、日本では未だそこまでの認知はされていない。

左の写真8枚はいずれも2013年9月の撮影で、上から3枚目までは2013年9月8日の撮影で、場所は左岸西六郷地先の階段状護岸の中に出たものを撮った。
丈はかなり高くなるので、荒れ地の中でも埋没することはなく、花は大きく色が鮮やかなので、散策路を歩いていれば見付けるのは容易だ。


左の写真4枚目とその下の5、6枚目の3枚は2013年9月14日の撮影。
この場所は多摩川緑地の川下側の端。JR橋梁がある手前で、水路側の荒れ地と河川敷を仕切る土手下沿いの散策路が橋梁にぶつかって折れ曲がる角に当たり、散策路の水路側は一時期大量のごみ置き場とされていたことがあり、例年何らかの種類が繁茂する。この年はキクイモが密集して花を咲かせていたが、翌年にはもうここでは見られなくなった。
キクイモは塊状茎を作るため、周囲から栄養分を吸収すると言われ、厭地のような感じとなるためか、キクイモ自身が衰亡していくことは無い場合でも、毎年同じ場所に繁茂するという例は少ない。



左の写真ここからの3枚は、同じ2013年の9月24日の撮影で、場所は同じ西六郷地先低水護岸沿いの荒地。
紛らわしい種類にイヌキクイモというのがあるらしいが、違いが明瞭ではないので、この頁では特に気にしていない。
キクイモは花が大きく初秋に良く目立ち、ここには載せていないが、南六郷地先(六郷橋緑地の水路側外縁部)方面でも散見される。この辺りで珍しい存在ではないが、その割りに種子を形成している状態を確認したことがない。


 

左の写真3枚は2016年9月28日の撮影。場所は南六郷3丁目地先。六郷橋緑地のほゞ中央部にあたる位置で、低水護岸に近い荒れ地の縁辺り。
この場所には数年前から例年同じ場所に10株程度のキクイモが見られたが、もう終わった花ということで特に注意を向けることは無かった。ところが2016年9月に偶々テレビのクイズ番組で、欧州では生活習慣病対策の健康食品として脚光を浴びているが、日本では雑草扱いで駆除の対象にされている野菜は何か?という問題が出た。答えはキクイモだったのだが、そんなことがあってサトイモ様の塊茎を掘り返してみるというほどの気持ちはなかったが、久々花を撮ってみようかと思った。

川の周辺では野菊類を撮ることが多く、2015年晩秋にコウテイダリアを撮った程度で、キク科の野草種で大型の花という例は覚えが無い。
そういう意味ではキクイモは参考になる。特に中央の筒状花が花弁を開いて咲いている姿がはっきり見えるところは貴重に思えて、ズームして筒状花を撮ってみた。


 


 
     【キク科】   コゴメギク属 : ハキダメギク

 
ハキダメギクは中央アメリカ原産らしいが、その後世界中に広がっている。日本には明治期に渡来したとみなされる。
牧野富太郎の命名とされるこの和名は酷い名前だが、確かに以前ゴミが集積されたりしていた跡地に群生しているのを見たりするので、幾らか肥沃した土地を要請するのではないか。
この一連の写真は六郷橋下の堤防側の角(橋台の稜裾)に群生しているものを撮った。

撮影時期は最初の写真は、この草種を始めて発見して撮影した2014年9月17日。その後の3枚は同年10月16日、その後の3枚は同年11月14日で、そこまでが2014年に追跡撮影していた時のもので、この時にはこの花は秋に咲く花と思っていた。

以下に国立環境研究所の「侵入生物データベース」からハキダメギクの項を引用する。

一〜二年草.茎は又状に分岐し,高さ15〜40cm.葉は中央脈と一対の側脈が長く,多毛,へりには粗い鋸歯.頭花は径5mm,総包は半球形で総包片は5ほどで腺毛が散生.舌状花は数個,雌性,花冠は白色で先は浅く3裂,冠毛は鱗片状で花冠の筒部とほぼ同長.筒状花は両性,黄色,先が浅く5裂,冠毛の先は細く尖り,ふちは毛状に避ける.花床には花とほぼ同長の鱗片が生える.果実(痩果)は黒色,全面または内面にねた細毛がある.

舌状花は雌性とあるので、単なる飾りではなく、種子を飛ばすかもしれない。
筒状花の数は必ずしも一定ではなく、多少がある。先端は浅く5裂しているが、拡大して見ると花弁のように見える。
茎葉にあちこちに腺毛が見られるが、特に茎に付く腺毛は多く目立つ。


花は5ミリ程度と小さく撮影は楽では無かったが、中心の黄色い筒状花と周りの白い舌状花という取り合わせは平凡に思え、初めの頃は特に注意を惹くような印象は抱かなかった。

平凡そうに思えた花だが、きちっと撮ってみると、舌状花は端正で、間を明けて付く様は恰も勲章を想起させるような魅力的な格好だと思えるようになった。
然し実際に完璧な花を探すとなると結構大変で、例えば左下の写真のように舌状花が不規則に6枚あったり、舌状花が乱れている花の方がかなり多いことが分かる。

ハキダメギクは雄性先熟とされていて、この時期に筒状花の中に見えるのは、雄蕊が筒状に結合した雄ずいの先端部、葯か或は花粉の集まりと思われる。

2014年にこの花はもう撮り終えたものとの感覚になっていて、2015年は特にこの花を撮ろうとは思わず、殆ど忘れている状態だった。
然し2016年に再びこの花を精力的に撮るようになった。そのきっかけをとなったのが左の写真である。

かねてからマクロ撮影に強いカメラの追加購入を考えていたが、年々撮る対象が小さいものが多くなって撮影に苦労するようになり、2016年の5月、遂にマクロ撮影用にリコー(ペンタックス)のWG-40を買うことにした。

当面の撮影対象は、六郷橋下の本流に近い草地に多く出ているヒメコバンソウだったが、風に揺れて中々満足な写真が撮れず、何回も通うことになった。ハキダメギクは堤防下の通路から本流側に折れる、六郷橋下の法尻にあったが、初めのうちは目もくれなかった。然し何度目かの時に、この時期でも花が咲いていることに気が付き、丈が低くて揺れにくく、しかも小さな被写体ということで、この花も恰好のカメラテストになると思い、何気なく何枚か撮って帰ったが、その中に左の1枚があった。

左上の驚愕の写真は偶然に撮れたもので、何を狙って撮ったか定かでなかったため、帰ってからPCで写真を開いて、この写真を見た時には驚きばかりで何のことかさっぱり分からなかった。
後にこれがハキダメギクの痩果であることを知ったが、何故このような形になるのか、花から痩果までの過程を推測することは出来なかった。

左上の驚愕の写真を撮ったのは2016年6月5日だったが、左の写真は同じその日に撮った写真の内の1枚である。その時点では花のことしか頭の中には無かったので、被写体としては概ね花らしきものを狙って撮っていた訳で、このような花が撮れていた訳だが、この花は端正ではない上に、筒状花の中心部から何かが出ていて、単純に勲章のように見える端正な花習いとしてはハネられる1枚だが、同日に撮っていた花の1例として載せた。

左の写真は翌日の2016年6月6日に撮った花の写真である。
あの驚愕の写真が何だったのか、よく分からなかったので、ほゞ同じ辺りで花を撮り直してみたが、あの驚愕の写真と似たようなものは捉えられなかった。
但し、花の写真には一昨年には捉えていなかった、筒状花の中心から何かが出ている、という新たな気配は、この日の花の写真でも捉えられていた。

ハキダメギクが雄性先熟であるという性質から推測すると、咲き始めの頃の筒状花の小花の中は雄ずい或は葯のようなものだが、次第に花柱が伸び始め溜まっている花粉を外に押し出すと考えれば、筒状花の中心から出ているものは花柱で、やがて花柱の先端は分岐して広がり、他所からの花粉を受け入れやすい状態になるものと思われる。

この花では未だ花柱が出始めたような感じだが、上に載せた前日の花の場合には、既に花柱の先端部では分岐が起きて、花粉を受け入れるような段階に達しているようにも見受けられる。

ここからの3枚の写真は2日後の6月8日に撮ったものである。
一昨年に撮った時の写真を全て見直したところ、捉えていた花の中には、舌状花が脱落して痩果の形成に向かう途上と思えるような姿のものもあり、今年撮ったあの驚愕の写真はハキダメギクの痩果である可能性があるということに思い至った。
そこでこの日からは、敢えて明瞭に見える花ではなく、何か違った、肉眼では内容は分からないものの、冴えない感じの被写体を探しては撮ってみた。
こうした狙いを変更して撮った写真の中に、あの驚愕の写真に繋がるような幾つかの写真があった。

ここからの3枚は新たな痩果狙いの写真の中で捉えたものである。
左の1枚目はあの驚愕の写真に似ているが、数ある小花の中には未だ筒状花のイメージを残しているものがあるという様子で、完全には痩果が出来上がっておらず、少し前段階のものと判断される。









 


 
     【キク科】   ダリア属 : コウテイダリア(参考)

 
日頃のウォーキングは西六郷4丁目地先の河川敷から、上手側では多摩川大橋を潜ってドウダンツツジを過ぎ、川裏に圓應寺がある地点迄(水路際のタチアオイ、ヒメツルソバが折り返し点)、下手側では六郷の橋梁群を抜け雑色ポンプ所前を通って六郷水門水路に突き当たる迄としている。
2015年の晩秋に入る頃、六郷水門水路の対岸(川下側)に見えるピンク色の花が気になった。
この終点までは低水護岸沿いか河川敷端に続く散策路を伝って来るが、水路に突き当たった所で一応の終点になるので一息入る。ここから対岸側の様子を正確に確認するには、堤防に寄って上り降りしなければならず、もう一行程歩くという感じになるため、体力的に余裕を感じていないと、敢えてルーティンを変えるところまでは気が進まない。
そんなことで正面に見えるこの花のことは、気になってはいたが、何だろうとおもうだけで数日は放置していた。然し殆ど花が無くなった晩秋にかかるこの時期に、この花の存在はあまりに不思議に思え、一体何だろうか確かめておこうという気持ちの方が次第に強くなり、2015年11月21日遂に堤防を上がり、六郷水門を通って対岸側に降り、この花を確認に行くことにした。(左の写真4枚は全てこの日に撮ったものである。)

六郷橋緑地は六郷水門水路に遮られて終わりとなり、川下側の大師橋緑地は六郷ポンプ所の排水路が河川敷を貫く位置から下手側に広がる。六郷水門と六郷ポンプ所の排水門との距離は100メートル余りと短いため、双方の水路によって仕切られる間の高水敷は使い道が無く、草地のまゝ放置されている。
六郷水門水路自身は遊漁船が出入りするため、定期的に水底の掘削により水深を確保しているが、その本流への出口には両岸に島様の堆積が進んで、ここ数十年の間に景観が変わってきている。
六郷水門水路の川下側で、本流に突き出すように形成された堆積地は、当初は島状だったが、やがて高水敷を遮る形の細い水路がほゞ埋まり、行き来は容易になった。島状であった頃からここにはHLが入植していて、水路側に住いを構えていたが、高水敷との行き来が容易になるようになって、高水敷の島側に隣接する一画を畑のように利用するようになっていた。島の方はこんもりした山状で地面はデコボコなので耕作は容易ではないが、高水敷の方は削平された平地なので、草地を耕して何かを栽培するようにしたようだ。

何年前かもう覚えていないが、堆積地が未だ島状だった頃に、一度だけここに渡り上の方や裏の方がどんな環境なのか見に行ったことがあった。然しその後は二つの水路で仕切られたこの区画には興味が無く、本羽田の方を観察に行くことは多くても、この間はスルーし降りてみることはついぞ無かったので、HLが高水敷側に出て耕作しているという実情については知らなかった。

行ってみて間近に見ると、このピンクの大きな花は皇帝ダリアだった。HLが畑にしている一画の隅に植えられていて、偶々出会ったここの住人に話を聞いてみると、この皇帝ダリアを見に来る人は結構多いとのことだった。

皇帝ダリアはメキシコから中米を原産とするダリア属の一種で、茎の頂上に直径20センチ程度のピンク色の大輪の花を咲かせる。大きく硬い塊根を有する多年草だが、非耐寒性であり霜に曝されると枯れると言われる。コウテイダリアは短日植物の一種で、11月になると花芽を付け、霜が降りる前の晩秋に掛けて開花する。
(日長が一定時間以上に短くなると花芽を形成する植物を「短日植物」という。1日の明暗サイクルを光周期と呼び、生物が光周期の季節的な変化に反応する性質は光周性と呼ばれる。光周性は環境の季節的な変化に対する生物の重要な適応機構で、動物の休眠や植物の紅葉などがよく知られる。短日植物は光周性の一例で、光のあたる時間が短いだけでなく、暗期がその種に応じた限界暗期以下であるうちは花芽をつくらない。外套などの照明が届く場所では花芽を形成せず、花芽が形成された以後の時期でも、夜間に短時間光を照射したりすれば、花芽の成長は止まり開花は阻害される。)

コウテイダリアは丈が5メートル前後に成長し、木本のような印象を与えることから、日本では別名「木立ダリア」と呼ぶが、原産地では茎が木質化する3種のダリアがツリーダリアと呼ばれている。

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