<参考36>  河川敷の春から初夏にかけての草木と花


     【イネ科】  チカラシバ属 : チカラシバ

 

チカラシバは数年前まではかなり多く見られた。湿気た場所を好むようだが拘るわけではない。
左岸ではバイオリン公園の下手側の本流寄りなどに多くあったことがあるが、この辺りは橋梁が4本あってそれぞれが逐次耐震化工事などを行ったため、植生の変化が大きく、近年ではこちら側ではチカラシバは殆ど見掛けないようになったが、逆に堤防側で比較的よくみるようになった。
右岸ではかつて河港水門から大師河原水門までの長い区間(概ね味の素の前)で、堤防法面が殆どこれに覆われていたような時期もあったが、堤防拡幅工事が行われて法面が全面的に更新された。
チカラシバ自身は珍しいものではないが、2013年の調査時点では、一旦減少していた時期に比べ、また復活しつつあるように思う。

上から3枚の写真について、写真上は堤防法面下の刈取り地帯に出た例でこういうケースは珍しい。写真中は京急の鉄橋下の水路寄りの方に多く見られた頃の群生写真。
写真下は2013年9月末の頃で、雑色ポンプ所前の護岸縁で、オオオナモミやエノコログサ、ホオキギクなど雑多の中で見られたもので、以前も水際にあったものを見たことはあるが、こんな風に雑多の中で競合しているのを見るのは初めてだった。

チカラシバは東アジア全域に広く分布する多年草で、根が発達し引き抜くのが困難なほど定着力が強いことが名前の由来となっている。

ここから5枚の写真は2015年9月30日に多摩川緑地の上手から多摩川大橋までの道中の撮影で、上の3枚はトミンタワー近くの堤防法尻辺り、下の2枚は多摩川大橋のすぐ手前、非常時船着場の上手の端辺りで撮った。
ここ2,3年、初秋にキンエノコログサとこのチカラシバがあちこちで目立つようになってきた。六郷橋緑地から多摩川緑地までの広い範囲で、万遍なく見られるので、更にこの範囲の上手や下手、或は右岸側にも同様な傾向が出ていることと推測される。

キンエノコログサもチカラシバも共に多数の毛や芒(ノギ)を出したブラシ状の花穂を付ける点で類似しているが、キンエノコログサは柔らかい感じで、穂もいずれ垂れ気味となるのに対し、チカラシバはあくまで剛直で、花穂は幾らか放射状に延びきり、芒も針のように堅く力強い。

チカラシバの花穂は小穂は緑色をしているが、小穂の付け根から多数伸びる針状の毛は黒紫色で、花穂が若い内は小穂は斜め上方に向っているので、花穂の全体が黒紫色の毛に密に被われ、円筒状の花穂は黒っぽく見える。
イネ科の小穂には先端から芒を出すものが少なくないが、チカラシバの花穂を被う針状の毛は小穂の先から伸びる芒ではなく、全て小穂の元部から出て上方に向って伸びている。て総苞片が毛状になったもので、総苞毛と呼ばれる。
小穂が熟した種子は総苞毛とともに脱落する。



ここからの4枚は2015年10月4日に京急の鉄橋下の小道で撮った。水路に近い方で、熟成がかなり進んだ穂が多く見られた。部分的に白化しているものが多く目に付き、殆どすべての小穂が白化し、もう飛び散るのも間近と思わせる穂もあった。




 


 

     【イネ科】  エノコログサ属 : キンエノコロ・コツブキンエノコロ

 
下流域の川の植生にはサイクルのようなものがあるように感じる。
水際の湿地の植物は、河身改修後の遷移過程に翻弄され、この界隈ではヨシの侵略的に拡大が顕著で、ウラギクやウシオハナツメクサなどが既に絶滅してしまい、シオクグやイセウキヤガラのように拡張するヨシに攻められ、生息範囲が狭められて絶滅に瀕するような状況に陥るなど、ヨシに偏し植生が一方向に移っていく変化がある。

然し堤防法面や、荒れるに任されている護岸沿いの草地などの植生は、時に殆ど姿を消してしまったものが、いつの間にか又蘇って繁栄したりする。この原因が何なのか、天候によるのか工事の影響なのか、或は野草にも厭地のようなことが起きるのか、そうしたことは一切分からないが、河川の植生の変遷には一部に繰り返すような側面があるのは確かである。

キンエノコロはこの界隈では殆ど目にしない時期が続いていたが、2013年にはチラチラ見られるようになり、2014年には特に南六郷の方で増えだし、2015年には更に多くなって、アチコチで普通に見られるようになった。
左の写真は上から4枚目までは、2014年9月12日に撮影したもので、一番上の写真に見るように、場所は雑色ポンプ所前の低水護岸上の荒地である。この上手から六郷水門までの範囲(一部の直立護岸部を除く)は、2003年に雑色ポンプ所の排水路が暗渠化されて六郷水門までもっていく工事で、河川敷が掘り返される時期に合わせて低水護岸が改修され、小石をネットに詰めた素材の植生護岸に作り替えられた。

当初は護岸の周辺は穏やかで、護岸先の水域もフトイの群落があって、そこにトビハゼやアシハラガニなどが生息していて、ウラギクも僅かに残り、ヒヌマイトトンボが居るなどの報告もあって、雑色ポンプ所も水門直前に排水することが憚られ、暗渠化して六郷水門水路まで引いていくことになったのだが、その後洪水毎に堆積が進み、河川事務所の放置方針によって次第に荒れ、オギ、オオブタクサ、セイタカアワダチソウなどの大型種が跋扈する環境となり、ヒメムカシヨモギ、コセンダングサなども広がった。

2013年にはもう特定の、伐り通された位置しか護岸縁に立ち入ることは出来ない程に草が繁茂し、水域も河川事務所が水域先のヨシを掘った土砂で護岸側の湿地を埋めるという不可解な行動があってから、ヨシが護岸際にも定着し、周囲は荒れ放題の極みという状態になった。

そんな状態の中で、この一画の植生護岸の上に、オオオナモミなどに混じってキンエノコロが見られるようになり、夕日に金色が映え一寸した雰囲気を醸し出した。それが一番上の写真である。

ここから下の5枚は同じ場所で、2015年9月12日に撮ったものである。

キンエノコロはイネ科の1年草で、北半球の温帯から熱帯に広く分布し、日本には縄文時代のBC500年頃に渡来したと考えられているエノコログサよりも遙かに古く、ヴュルム氷期の頃には既にあったとされている。




ここから下の5枚は、2015年10月3日に多摩川緑地に接した堤防の法尻辺りに広く見られたものから撮った。





 


 
2015年秋は例年以上にチカラシバやキンエノコロが目立ったが、実は最も多かったのはコツブキンエノコロだった。
西六郷側も東、南六郷側も、ともに堤防法尻やその下の平地など、至る所にチカラシバにを囲むようにコツブキンエノコロが広がっていた。
左の写真3枚は2015年10月4日にトミンタワー多摩川2丁目の堤防下あたりで撮ったもので、キンエノコロを小さくしただけで、キンエノコロと殆ど差はなく、強いて言えばキンエノコロほど鮮やかではなく淡色気味である程度なので、多くを撮ることはしなかった。

写真に撮ってしまうと同じように見えてしまうのは仕方ないが、キンエノコロの群集には、明らかに小穂の小さなものの存在が認められ、キンエノコロとは別種としてコツブキンエノコロがあっても不思議とは思われない。ただし、小穂の大きさをもって種を区別すべきでないという説もあり、極端には双方は同一種であるとするべきだという考えもあるようだ。


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