<参考36>  河川敷の夏から秋にかけての草木と花

 
     【タデ科】  イヌタデ属 : イヌタデ・ママコノシリヌグイ・ヒメツルソバ

 
イヌタデはタデ科の1年草で、東アジアに広く分布し、この辺りでもイヌタデ属としては最も多く普通に見られる。背丈が数十センチと低く、道脇などでは地を這うような形で広がるが、踏まれ難いような場所では直立するものも見掛ける。
花期は初夏から晩秋までと半年ほどだが、見るときはいつも咲いているような気がする。花は円柱状に伸びた穂に密に付く総状花序で、一見したところ単純だが、よく見ると実はかなり難解である。
通常濃い桃色の花が並んでいて、あゝイヌタデねという所までは平易だが、よく見れば花弁が開いてオシベやメシベが見えるような状態になっているものは殆ど無く、多くのものは丸まった袋状のまゝで、これが蕾なのか果実なのかの区別もつかない。

左の1枚は2013年10月23に撮ったもので、このように全体を撮った位置からでは、花の仔細は何も分からない。

左の1枚は上の写真から半月遡る10月8日に撮っていたもの。場所はいずれも六郷橋緑地の散策路沿いで、横向きに伸びている株が多い印象だ。
この写真では葉の形がよく分かるのでこれを載せた。花は枝の先端に付く。

ここからの写真3枚は2013年10月6日に撮ったもの。掲載順が撮影日に対して前後しているのは、ここの写真がズームばかりのため、全景を撮った写真を先行させたものである。
場所は多摩川緑地の水路側(堤防と反対)にある土手下の散策路沿い。下手側のJR橋梁下から、カキノキやカナムグラ、ツユクサなどを撮って、上手の瓢箪池の手前にあるランタナに至る前の区域でこれを撮った。
偶々この日は、この辺りにある土手上のHLの一軒から直近に出火したと思われる焼け跡があった。一軒とは言っても占有範囲はかなり広く、相当の面積が真ッ黒焦げで焼けた臭気が漂っていた。
このイヌタデを撮った場所は、その焼けた区間の手前(下手側)になる。

ここでもやはり同じように、花は棒状に長く伸びた穂の花枝に密に付いているが、咲いて(開いて)いる花は殆ど皆無と言ってよい。
逆に花穂の付け根の花で、花被が剥けて中の黒い果実が見えているものがある。

イヌタデの花穂は花が密に連なるが、大抵の場合個々の花の赤色には濃淡がある。
確認もした訳ではないので、いいい加減なことを言ってしまうことになるが、幾らか白っぽく見えるのが開く前の蕾で、受粉して再び閉じたものは全体が赤く濃くなるのではないかと思う。
再度閉じた紅い萼の袋の中で果実が熟していき、やがて被っていた萼が剥けて、黒い果実が脱落するようだ。

左の写真は上で撮った写真で、長手の穂の手前の方で枝分かれした別の未だ小さい穂の中に、咲いている花を見付けたので拡大して載せてみた。多少無理な拡大で幾分ボケたような写真になっているが、花弁は5枚で、開いている花弁の中にオシベやらメシベのようなものが辛うじて認められる。

花弁のように見せている5枚の花被片は実は萼で、イヌタデには本当の花弁は無いらしい。蕾は萼に包まれているが、咲いた後で再び萼は閉じ、稔ると果実を包み込む袋になるので、花は開いた前後でその区別が明瞭で無く、近付いて見ない限り、いつも同じように赤い球状の花が連なっているように見えてしまう。

ここからの2枚は2014年9月22日の撮影。

 
「蓼食う虫も好き好き」という言葉はよく使われる。ここで使われているタデは、湿地に生える「ヤナギタデ」のことを指すらしいが、ヤナギタデは同じイヌタデ属で、葉がやゝ細長い以外はイヌタデによく似ている。
ヤナギタデはその全草が「水蓼」(スイリョウ)と呼ばれ、民間薬で生薬として用いられるそうだが、生の葉はタデ類の本家とされるほど、苦み辛みが強いらしい。(ヤナギタデの葉を摩り下ろしたものに米酢を注いで作る「タデ酢」と呼ばれる香辛料があり、その独特な風味から鮎の塩焼きなどによく添えられるという。)

蓼を好んで食べる虫(「蓼虫(りょうちゅう)」)は、ホタルハムシなどの甲虫を指すとされる。
「蓼食う虫も好き好き」というのは、こんなに辛い葉を好んで食べる蟲がいるように、人の好みもさまざまであるから、他人の変わった趣味などを一概にどうこう言うべきではないということを諭した譬えであるが、この表現の原典は中国南宋時代の(1250年前後に)羅大経によって書かれた随筆集「鶴林玉露(かくりんぎょくろ)」であるという。「鶴林玉露」は日本で「雨垂れ石を穿つ」と使われる諺の出典の一つとして、「水滴穿石」と書かれていることでも知られる。
「蓼食う虫」に関して、「鶴林玉露」には「氷蚕は寒さを知らず、火鼠は熱さを知らず、蓼虫は苦さを知らず、蛆虫は臭さを知らず」と書かれているそうで、そこから一部を採って「蓼食う虫も好き好き」という言い方が出来たようだ。因みに、氷蚕と火鼠は想像上の生き物で実体は不明、蛆虫(しょちゅう)というのはウジムシのこと。

ここからの4枚は2014年10月17日の撮影。場所は多摩川緑地の水路側の草地。

 
植物の和名でイヌを冠したものは多い。多くは同類に有用な種があって、それに似ているが何の役にも立たない只の草という意味で使われる。(イヌムギが代表例)
イヌタデの場合も、生薬や香辛料になるヤナギタデに似ているが、こちらは何の役にも立たないタデという意味で付けられている。

イヌタデの花の色は、一口に赤と言ってもピンク側に寄っていて、あまり紅色という傾向のものは見ないが、このたびの花の色は赤色が濃く、珍しいのでズームにしてみた。
植物の花の色は太陽光線の強弱など陽の当たり具合によって、変わって見えることはまゝあることなので判断は難しいが、日が高いうちにフラッシュなどを使用していない場合、大体は見た目とそれほど違和感を感じるような色に写ることはない。この写真は晴天で時刻は14時47分という記録になっている。

正に「アカマンマ」といった感じだが、これが全て花後の痩果を包む萼だったかどうかは、実際に剥いて確かめていないので不明だ。ただよく見れば、張というか艶があるように見えるものと、幾分萎びて色褪せ掛かっているように見えるものとがある。

これもかなり無理な拡大を行っているので、写りはイマイチになってしまっているが、咲いたように見える花は白っぽい色をしている。そのような比較からは、他の大半の赤いものは稔った後のように見える。

ここからの12枚は2015年晩秋の撮影で、左から最初の2枚と白花の最初の1枚が11月27日、その他の9枚は翌日の11月28日に撮ったものである。
場所は全て多摩川大橋の下手側左岸で、何年も前に出来ているものの、堤防下の火災時と平時の消防の演習に使われただけということで、ほゞ放置された状態になっている「非常時船着場」の全面。
ここの「非常時船着場」は、出来た当初は表面がコンクリート面だったが、その後使われることが無かったため、このイヌタデを撮った2015年末頃には、下手側の一段低い方はかなりの厚さに土が堆積し、上手側の上段の方も既に半分程度は土に被われた状態になっていた。
ここに船が接岸しているのを見たことが無く、大地震などが起きた際、何がどうなるか予測も出来ないが、そもそも汽水域では低水路の堆積が進んでいて、特に浚渫を行って航路を維持するとか、澪筋の位置をブイなどで表示するなどのことも行われていない。平時であっても余程の平田船でなければここまで上ってくることは出来ないだろう。非常時ともなれば猶更、どんな船であっても、資材なり食料なりを一杯に積載した状態で、ここまで来れるとは到底考えにくく、現状ではこの「非常時船着場」は真剣に備えられた施設とは見做されない。

高水敷の方は非常時用のヘリポートがあることなどで、そこそこ除草が行われているが、水路側の非常時船着場の方は手入れされることは無く、流石に未だ大型種が茂るほどではないが、小規模な草はかなりの種類が根付いていて、特に土の堆積が厚い川下側は多彩で、イヌビエ、アメリカセンダングサなど晩秋のこの時期には季節的にやゝ違和感を感じるようなものも、低い丈で散見された。
上段、下段、更には高水敷側の散策路との境の周辺など、イヌタデが最も多く目に付き、下段の方には比較的珍しいとされる白花のタイプも結構多く見られた。
殆どの株が横這いすることなく直立し、花穂も棒状に長く伸びるものより、短い塊り状になって、枝が分岐する股の部分に何段か続くものなどが目立った。

 
左の花穂は長細いが、ここではここまで一つの花穂が伸びたものはむしろ稀で、大抵のものはもっと短い。ただしこれも他所でよく見られるように、横向いたり湾曲したりではなく、真直ぐ上に剥いて直立している。

ここのイヌタデの特徴としては、茎の赤さが際立っていることがある。季節的にもう寒くなり掛かっている時期でもあるので、このような時期を反映してのことかも知れない。

もう一つ、ここのイヌタデでは、葉にV字形の黒斑が散見された。紋様は黒の色は濃いが、V字の形は小さかったり半端なものが多い。
イヌタデ属の葉にV字の紋様が入るものがあることはよく知られているが、ヒメツルソバなどに多いとされ、イヌタデで葉の黒斑を紹介しているケースは見たことが無い。


この花の場合も穂の中に咲いている花を探すのは容易ではなかった。やっと見つけたのはこれだが、この地を通りがかったのはいつも夕方近くの時間帯だったので、朝にどうなっているのかは確認していない。

ここのイヌタデでは、花は枝先だけでなく、枝の分岐する股の部分に付いているケースが多い。

写真からは分かり難いが、これも枝の分岐の根元に出ているもの。左側に伸びていく枝は僅かにしか見えていないが、左側の大きな葉の向こう側に伸びていて陰に入っている。

左の花は、この地で見るとそれほど違和感は無いが、普通に道脇などで見るイヌタデの典型的な花穂の印象とはかなり違う。

以下はこの地に多かった白花のものを並べた。非常時船着場の下段側では、イヌタデのざっと3割程度が白花だった。白花の株でも、葉に黒斑の出たものが散見された。

これは出たての若い花穂と思われる。

こちらはまとまった大きさの花穂の例。葉の斑はV字形とは言えないようなもの。花は幾つか咲いているが、その一方で先に黒いものが見えるものもあり、これは出来立ての痩果が萼に包まれた直後で、未だ萼が閉めきらずに覗いているのではないかと思われる。

これは他の写真と同じ時間帯ながら、最も多くの花が咲いていた花穂。赤花の株でもこんなに同時に多くの花が咲いているケースは見ていない。
葉に積もっている白いものは花粉だろうか。(この日は土曜日で偶々少し早めに出ていて、これを撮ったのは14:21ということになっている。赤い花では、赤い花の最後の写真の直ぐ上の写真がこの白花を撮った18秒後に撮ったことになっている。)

 


 
ママコノシリヌグイはイヌタデ属の1年草で東アジアに分布する。トゲソバの別名がある。
茎は蔓性で、逆向きの鋭い棘が並んで出ている。茎は多く分岐して、他の草木に巻き付き、全体として藪状に発達する。茎の他葉柄にも刺があり、うかつに触ると手を傷つける。これが恐ろしげな和名の根拠になっている。
葉は特徴的な3角形をしていて、茎に付く部分から主脈が出て放射状に脈絡線が走る。
夏に枝先に桃色で元部が白色の花が塊って咲く。イヌタデのように長い花序を形成することはなく、数個から10個程度の花が一塊となり、イヌタデと同様に咲いている花は少なく、花弁のように振る舞った萼片は、咲いた後再び閉じて痩果を包む。

左の写真は2014年9月に撮ったもので、場所は六郷橋下の左岸川縁で、上手方向に続く散策路の入口の角。この場所は散策路の堤防側には長くヒメカジイチゴの林があり、手前の道脇にはツルマンネングサなどの丈の低い草種が見られるところで、反対の水路側の角にはヤブガラシがあってその次にママコノシリヌグイの藪が出来ていた。

この岸辺の散策路は、堤防側の河川敷で運営されているゴルフ打ちっ放し場の奥側(水路側)を通る裏道のような扱いで、六郷橋下から上手に進んで多摩川緑地の下手側の端に至るが、この道の六郷橋寄りは、長く竹林に覆われた環境が続いて薄暗く、以前には途中に建物を構えるHLが複数の猛犬を飼い、稀には放していることがあったなどのため、余程勇気が無いと入って行く気になれない道となり、この水路側の裏道を通り抜ける人は殆どいなくなった。
その後犬はいなくなり危険は無くなったが、人通りが無くなったこの道は獣道のようになり、京急の鉄橋に出る近くの部分では水路沿いの道は埋まってしまい、その以後この道は、埋まってしまった場所の手前で分岐してバイオリン公園沿いの道に出る、道やゝ水路から離れた細道に繋がって維持されている。

水辺の散策路の六郷橋側の入口の角にママコノシリヌグイが小さな藪を作っていたのは、2014年の秋まで。2015年には当地のママコノシリヌグイは消滅し、長年堤防側の角にあったヒメカジイチゴの林も2016年初め頃には大半が伐採され除草跡地になっていた。

アマコノシリヌグイはイヌタデほどはどこでも見られるというものではなく、写真は2024年初秋の9月下旬に六郷橋下の散策路入口のものを撮った。
撮影日は上から6枚目までは、2014年9月22日、その下の7枚は翌9月23日で、14枚目は9月28日である。
ママコノシリヌグイは1年草であり、環境が変われば容易に消滅してしまう。ここも2014年は前年に引き続き藪になって花も多かったが、翌2015年には消滅してしまい、もうここではママコノシリヌグイは全く見られなくなった。

2015年は夏から秋に掛けて、散策路より澪筋側の国交省の管理範囲で何か所か除草跡が見られた。南六郷の六郷橋緑地先の2ヶ所でかなり大掛かりに刈られたが、刈っているところを見ていないので、誰が刈っているのか定かでない。六郷橋の下も上手側は長年放置され、HL村などと呼ばれたりする区域と六郷橋の間(ゴルフ打ちっ放しの端にあたる)は通行不能に状態だったが、ここも除草が為され通れるようになった。

六郷橋緑地の方では、近隣の住民が手を出している例があったが、今年の規模は個人だけで刈ったとは思えないような規模だ。ただし何年か前に植生の保護に関して質した際に、河川事務所は「我々は堤防以外の場所を刈ることは無い」と嘯いていたことがあり、一部で大田区が見かねて散策路脇を刈ったケースは知っているが、六郷橋の下となれば管轄は河川事務所ではなく、国道事務所になるのでこの年の各地の除草の事は全く不明だった。

六郷橋下の上手側が細長く刈られたことで、岸辺の散策路口もすっきりした感じだが、この場所の水路とは反対側にあったヒメカジイチゴの林も大半伐採されてしまい残念な気もした。水路側ではヤブガラシの花を撮った記憶もあり、ママコノシリヌグイの消滅とともに何となく空しい。(散策路の奥ではゲンノショウコを撮っていたことがあるが、何故かゲンノショウコも2015年には消滅している。)

ママコノシリヌグイもイヌタデ同様咲いている花は少ないが、花は比較的大きいので、開いているものが全く見付からないというほどではない。
閉じているものが蕾なのか、花後に子房を包み込み痩果を熟している過程なのかの区別はやはり容易では無い。


ママコノシリヌグイの特徴はこの鋭い逆向の棘と、茎を囲むように付く円盤状の托葉で、このような形の托葉は托葉鞘と呼ばれたりする。

葉柄の付け根が矢尻型になりにくく、下側が直線に近いこの独特な三角形の葉の形もママコノシリヌグイの際立った特徴と言える。







左の15枚目の写真は、2015年9月22日に、羽田空港敷地の沿川部で、護岸縁のセンニンソウを撮っていた時、偶々ヤブガラシに混じって点々とママコノシリヌグイが見られたので、ついでに撮った時のものである。
手前の花は先に痩果が覗いているようだが、包んでいるピンク色は未だこんなに鮮やかだ。花被片としての役割を終えた後で、何故ここまで色を維持しているのか、どのような意味があるのか不思議だ。

 


 
ヒメツルソバはタデ科の多年草。ヒマラヤ地方が原産地と言われる。明治時代にロックガーデンの装飾用に持ち込まれたとされている。花期は晩春から晩秋までと長いが、夏季は花が途絶える。通年常緑らしいが、厳寒期には地上部が枯れることもあるとされる。
左の写真を撮ったのは2015年の晩秋で、上から4枚は11月27日、その下の4枚は11月28日である。

場所は多摩川大橋から上手側に220メートル余り遡った護岸上の小さな法面。多摩川大橋からガス橋方面に向かう岸辺の散策路は、低水護岸から20メートル程度の幅を隔てた高水敷側を通るが、橋の直下から距離にして220メートル余りの間は、散策路とは別に護岸上を通れるようになっている。
この道は多摩川大橋の袂からドウダンツツジの裏を通り、川裏に圓應寺がある前辺りまで続く。その終点の位置にまとまった株数のタチアオイがある。(タチアオイの項参照)。更に上手の矢口橋方向に進む場合には、ここから20メートルほど高水敷の側に出れば、水路からやゝ離れた位置を進む散策路に合流する。

護岸上を行く道の終点の場所(圓應寺の前)は、一見したところ終点だが、よく見れば道幅が極端に狭くなってはいるが、入って行くことが出来て、その先に護岸に沿ってもう少しだけ先に行ける道がある。(この小道は直にHLの割拠場所にぶつかってそれ以上は進めなくなる。)
表側の散策路の裏側にあるような護岸縁の通路。その「終点」めいた箇所を抜けた後の小道は、散策路側は樹木類の加わった藪になっているが、地面に近い箇所は低い法面になっていて、その一画にヒメツルソバがびっしり生えている。

タチアオイを撮っていた時も、ここに入ったことはあったが、水路側しか見ておらず高水敷側のことは記憶になかった。ここにヒメツルソバが生えているのを発見したのは、2015年の晩秋に、多摩川大橋の下手の非常時船着場でイヌタデを撮っていた日。偶々足を延ばして護岸上をここまで来て、何気なく中に入ったことで偶然にこれを見付けた。

ヒメツルソバは匍匐茎を伸ばし、地面に這いつくばるように群れて広がる。全面に花を付けているが、花序は球状に小花が密集した形をしている。
全体を見ると、白っぽい花とピンク色のはっきりした花がグラディエーション風に混在している。白花と赤花の2種があるということではなく、若い盛期の花はピンク色が濃く、古くなるに従って色褪せて白色化しているようだ。
この場所は水路側にも木があり、必ずしも陽当たりが良いという場所ではなく、半日陰というような環境だ。イヌタデ類の御多聞に漏れず、この種でも咲いている花は数少なく、ピンクの花序の中に稀に開いているものが見られる状態だった。

葉にはV字の斑紋が入る。V字部分は薄紫色に着色すると書かれたものもあるが、ここでは精々濃い目の緑色というか、やゝ黒っぽく見える程度のもの。また陽当たりの良い場所のものは秋には赤く紅葉するとされているが、晩秋となるこの時期ながら、ここのものには紅葉しているような感じの葉はなかった。
野化したものも丈夫で繁殖するらしいが、多摩川沿いでは、イヌタデやシャクチリソバのようにあちこちで見ることは無く、2015年にここで初めて見付け、これまでのところ他所では見たことが無い。




全ての花が姿を消した真冬の2016年1月に、念のためこの地を確認に行ったが、ヒメツルソバの地上部は完全に枯れて、蔓状の枯れた痕跡が僅かに認められる状況だった。この冬は平均的には暖冬と言われたが、近年四季を問わず寒暖の変動は激しく、冬も寒波襲来の折には東京で降霜があったりした。

ここからの3枚は2016年3月17日の撮影。冬場は地上部が完全に枯れていたが、早春の3月初め頃には蔓の枯れた間から新しい葉の芽吹きが始まっていた。

葉は未だ小さいものだったが、逆V字の斑紋は明瞭に出ていた。新芽の出たての部分は赤いが、やがて緑色になるものの外周部は赤く、表面には細かい粒状の突起点が目立つのが印象的だった。


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