第四部 多摩川緑地 

(六郷橋周辺の地図を表示)

   その1 多摩川大橋から多摩川緑地へ


この区域は左岸側では川がぶつかってくる位置になり、しばらくの間河川敷の幅は狭いが、川裏に安養寺がある辺りから川下に向けて河川敷は次第に広がり、やがて幅300メートルを超える広大な多摩川緑地となる。緑地は南向きから次第に東に向きを変え、そのまま六郷橋梁群を抜けて六郷橋緑地へと繋がっていく。
一方右岸側は多摩川大橋から下手に、幅300メートルくらいの高水敷が張り出しているが、右岸側では大きな河川敷はこれが最後のものになる。右岸側にも○○緑地というのはこの後も幾つかあるが、堤防から水際までの幅が100メートルを遥かに超えるような規模の河川敷はこの以後河口まで存在しない。

右の [No.411a] は、多摩川大橋から200メートルほど下ってきた左岸の川岸。上手に見えているアーチは多摩川大橋の川下側に隣接して架けられている送電線専用鉄橋。
橋の近傍の河川敷はあまり広くはないが、川岸には非常用船着場が造られ([No.315])、堤防寄りには以前からヘリポートのようなものも出来ている。(この船着場は第二京浜国道が頼みだが、右岸側の非常時船着場はずっと川下にあり、府中街道の川表に作られている。参照 [No.511]
橋の下から川下側の河川敷一帯は、低水路側をコンクリートで固めてしまったため、水はけが極端に悪くなり、雨の多い季節にはいつも半湿地のようになっている。
写真はその一帯の川下側にあたり、低水護岸脇に岸辺の散策路があり、河川敷の方はゲートボールやスケボーの練習場になっているところである。川の正面を向くと、右岸の河川敷は最大幅が300メートルあって見晴らしが良い。橋の近くはゴルフの練習場などになっているが、川下側は川崎競馬(小向厩舎)の練習馬場になっている。(参照 [No.42B]) 右岸に行ってみると、川裏の厩舎村近辺では強い動物臭を感じるので、厩舎に馬は結構多くいるのだろうと思うが、馬が出てくるのは未明から早朝と思われ、昼間この練習馬場で馬の姿を見ることは滅多に無い。

右の [No.412] 以下の4枚で撮っているのはここの川岸にあるムクノキ。この辺りの河川敷で目立つ自然高木は、オニグルミ、シダレヤナギ、トウネズミモチなどで、この木のようなニレ科の木はめずらしい。側脈の先端が葉縁に流れず、鋸歯の先端にまで達しているのでエノキではなくムクノキではないか。
この木は低水護岸の外にある堆積地に生えていて、根拠は心もとないが界隈の樹木の中では威勢が良い方である。4月に新芽を出すと程なく小さな白い花を咲かせ、8月には1センチほどの丸い実を着け、実は10月には熟して黒っぽくなる。(ここでムクドリを見たことはないが...) 晩秋に紅葉し(黄色系)冬は完全に落葉する。

[No.413] で川岸に見えるのはヨシの新芽。冬になるまでにイネ科の他の種は次々に消えてゆくが、ヨシの穂は地下茎に支えられて越冬し、4月下旬でもまだ立ち続けている。おそらく生命活動はしていないと思うが、葦簀(よしず)の有用性から分かるように、「枯して朽ちず」はヨシの本領とするところだ。
ヨシが有機物なのに腐りにくいのは、おそらく細菌や菌類が資化しにくい組織のためで、微生物にとってヨシの茎は単なる固形表面に過ぎない存在なのだろう。

ヨシは4月下旬になると新しい地上茎を出し、5月にかけてそれまで枯れ色だったヨシ原は、一斉に緑の袴(はかま)を佩(は)いたような姿になる。6月には茎は伸びきってヨシ原は緑一色に覆い尽くされ、8月下旬には早くも(実が入っていない)青い穂を出すのである。
ヨシ原は定期的に刈り取らないと水質浄化の役に立たないという意見をよくみるが、本当にそうなのだろうか。すくなくとも六郷川ではヨシを刈っている光景は見たことが無い。
バクテリアなどの微生物は定着床(水中では石の表面など)がないと繁殖できないが、水中に林立するヨシの群落は、微生物にとって格好の住処(すみか)になるのではないか。水中に微生物が増えるだけでBODは低下するし、周辺の生態系が発達してカニなどが繁殖するようになれば底質のヘドロ化も防止される。

[No.414] は同じ場所で初冬の夕景。[No.41B] は秋で落葉前。太陽は右上方にあるが、雲間から差す陽光が水面に反射し、一帯が逆光に近いシルエット状態になっている。このチョッと変わった日の逆光写真は、このページの一番最後に載せた [No.41C] [No.41D] のほか、「第3部 その1」にも載せている。([No.314a]

2004年12月初旬、時期外れの台風27号が台湾まで北上、このエネルギーを受けた低気圧が異常に発達して本州を直撃、東京は5日未明に瞬間最大風速40mの暴風雨となった。[No.415a] はその一過に時ならぬ泥水状態になった川を撮った。
[No.415a] に見られるように、低水護岸の澪筋側に高木を含む植生が繁茂する光景は不思議なものだ。内務省の直轄工事が行われた時代にも護岸工事は行われたはずである。波消ブロックはいつ積まれたものか分からないが、その後に工事が行われた箇所では、低い古い護岸をそのまま残し、新しい護岸を手前に引いた少し高い位置に作っていた。
このような場所では、洪水の度に流されてくる泥が旧護岸上に堆積し、新護岸の先に土の部分を作り出す結果になったことが想像される。波消ブロックの一部は既に堆積土に埋没し、新しい護岸の先には2メートルほどの幅で植生が繁茂する土地が生まれている。
ここでは2002年に「岸辺の散策路」が作られたが、ご多分に漏れず、護岸から少し離して道を引いた。真意は分からないが、どこでも散策路と護岸の間には距離がおかれ、その間の草は刈られない。ガス橋方面などでは、夏季に身の丈ほどの雑草が散策路に覆い被さるところもあり、川辺で水に親しむという散策路の趣旨とは程遠い実態があった。
(多摩川大橋から上手の岸辺は、2003年の渇水期工事で一変した。この辺の低水護岸は見た目新しそうだが、区民広場までの区間は2004年〜2005年に護岸工事が行われている。河川敷の風景は大きく変わることだろう。)

多摩川大橋から500メートルほど下って来ている。[No.420] は春先にキショウブの新芽を撮ったものだが、この雑草帯もムクノキが植わっている「護岸先堆積地」と同じ条件の自然造成地であり、下に掲げたオニグルミもここと繋がる川下側にある。
ここは背後の川裏に高層マンション(トミンタワー)があり、短い間だけ堤防が高規格化され、都道(旧提通り)が川上側から堤防上に乗り上げてくる。この先で低水路は右にカーブしていくので、練習馬場越しに見えている対岸のかわさきテクノピア、NTTドコモ、ミューザ川崎などの高層ビルが次第に流れの正面に移動してくる。
直線運動は惰性(慣性)でも進むが、回転運動は方向を変える間、回転の中心方向に力を掛け続けないと進まない。洪水の場合このような急カーブにある堤防には、単に静水圧がかかるだけでなく、ぶつかってくる水流の勢いが加わる。水流を受止め押返す堤防の反力が水流を回転させ、洪水をカーブに沿って流下させる力になっている。
湾曲した流路の外側になる堤防は、直線流路の堤防とは異なり、洪水時に水流との鬩(せめ)ぎ合いがおきる。それだけ堤防に水が浸透するおそれは強いことになる。ここ(トミンタワー前)からシャープ手前までの湾曲部で、堤防側面にコンクリートブロックによる高水護岸を施しているのはそのためである。

[No.417][No.418][No.419] は同じオニグルミ。[No.411] からここまでこの手のオニグルミが10本ほどある。おそらく上流から流され、岸辺に漂着した実から自生するのだろう。
夏場は半分枯れたように見えるほどみすぼらしいが。4月の新芽時だけは綺麗だ。ただし枝の先端に新芽を吹いた格好は可愛いらしいが、枝から無造作に大量の雄花をぶら下げるようになる姿はあまり見た目のいいものではない。

夏場の河川敷は数多の雑草が繁殖力を競う。仔細に見ればその数は数十種類あるいは百種類を超えているかもしれない。河川敷は夏場とその前後に何度か刈られるので、刈り取りに強いかどうかが勢力分布に影響してくる。
夏場の雑草はイネ科が強い。水際はヨシでその陸側にはオギが多い。河川敷の低水路側はセイバンモロコシが有力、中央ではシシマスズメノヒエやメヒシバ、オヒシバなどが優占種。堤防の法面(のりめん:傾斜面)はチガヤが支配的だったが近年ではヘラオオバコに追われている。堤防下にはエノコログサなどのほか、イネ科以外のクワクサ、センダングサ、ヨモギ、ギシギシなど多くの種類が混在する。

セイカカアワダチソウはあちこちで散見されるがそれほど多くはない。 (8月後半にはギシギシの花穂は枯れて、鉄サビのような赤茶けた色を堤防下などに点々と残す。葉の方は例外なく食べられていて、葉脈がボロ網のように僅かにその痕跡を留める姿にされているものが多い。何の幼虫が好んでこの葉を食べるのかは知らない。)
近年殆ど見られなくなってしまったが、紅葉する草としては晩秋の法面を赤紫に変えるチガヤが有名だ。あまり知られていないがオギやクサヨシなども綺麗に紅葉する。特にオギは葉が橙掛かった黄色に染まるだけでなく、茎が血のように鮮やかな赤色を呈するものがある。
[No.418][No.419] は春、展葉すると同時に花を付ける時期のオニグルミ。

(オギについて詳しくは、[参考3]
(オニグルミ他、この辺りの春の樹木や草花については、[参考26]

六郷川は多摩川大橋を過ぎてしばらく行くと大きく右にカーブし、引き続き六郷橋方向に向けて逆に左にカーブしていく、典型的な逆S字型の流路となる。(左岸側で逆S字の変曲点となっているのはシャープ流通センターのある辺りで、そこから先の大きな蛇行の内側に多摩川緑地や六郷橋緑地などの河川敷が出来ている。)
多摩川大橋を抜けた後、流路が最初に右に曲がる河川敷の岸辺に石のベンチが3つ置かれている。数年前この区画に岸辺の散策路を工事した際に作られた一寸した休息場だが、堤外地にあるもので、堤防上に作られる川の一里塚とは違って屋根などの体裁は一切無い。(「第3部その4」で冬場の夕景夕焼けを撮影しているのは、ここから川裏に安養寺のあるこの少し川下の地点までの辺りである。) 右の [No.41C] [No.41D] はこのベンチの界隈で撮っている。(上掲した [No.41E][No.41B] 及び [314a] は同じ日の撮影)
ここは多摩川緑地に向かう起点になる位置で、右を向けば多摩川大橋が見えるが、左を向けば [No.41C] のように(六郷橋方面に左折するまで)約1キロメートル下っていく川を見通すことが出来る。[No.41D] は光線のカーテンが掛った場所をズームした。あたかもセピアのように見えるが、無論フルカラーである。(正面は河原町団地)

この区域から多摩川緑地手前までの左岸では、2004〜2005年の渇水期に大規模な低水護岸改修工事が行われ、当地の護岸縁にあったムクノキやオニグルミなどはゴミ同然に始末された。上に掲げた写真はいずれも工事が行われるより前の年に撮影したもので、今となっては(こういう場所に自生した植物の哀れを感じさせる)遺影のような写真集となった。



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